真打

「何はともあれ人命救助が先じゃ。マル対がアレなのが癪です――が!」


 高校生と異形の間に滑り込んだ芽瑠が、異形の脇腹から抉り取るように拳を突き上げた。

 漆黒の影のような体は水風船のようにぶよりとたわみ、ついに耐えきれなくなって、ばちゅんと弾けた。

 拳を打ち込まれた異形は人間のような声で悲鳴を上げると、陥没した体を抱えるようにして後ずさる。それを見ていたもう一体も、戸惑うような吐息を吐きながら、わずかにたたらを踏んだように見えた。


「っしゃ、仕上げは上々! 後はブチコロを御覧じろですよ!」


 逆手にした指先で挑発しながら、芽瑠は重心を落として異形たちを睨みつける。

 彼女の装着しているグローブは、ニコラに用意してもらった対怪異専用武装。まじないのミサンガ等にも織り込むような髪の毛や糸で縫製され、拳の接地面である第二関節から第三関節の間や、手の甲の部分には、薄い銀の板が仕込まれている。殴ってよし裏拳を払ってよしと、低級の怪異程度なら十分対処可能な代物だった。


「油断しない!」


 芽瑠の背後に現れた三体目の異形へ向けて発砲しながら、英が叫んだ。

 白蛇戦で用いられたシルバーバレットは、あれから十三課の標準装備となった。もっとも、巫女という性質上黒魔術と反剋してしまう楪は扱えず、吾妻は後衛。芽瑠も拳一つステゴロを好むため、実質英だけの装備ではあるが。


『ヒィギャアアアアア!? ア、アアッ、アー……アア、アア!!』


 肩を撃ち抜かれた異形は、ぼたぼたと汚泥のような真っ黒の液体を滴らせながら、痛みに泣き喘ぐようにして蹲っている。

 男子生徒の尻を蹴りながらこちらへ退いてきた芽瑠が、頬を引き攣らせて身震いする。


「何ですかこれ、気味が悪い……」

「見た目も随分グロテスクね。まるで変死体みたい」


 自分で口にしてからハッとしたように、英は目を見開いた。


 一体目、芽瑠が殴った異形は、全身がぶよぶよと膨らんでいるように見える。

 二体目、怯えて様子を窺う異形は、ヒトの形であることは判るものの、その関節はあらぬ方向へと曲がり、ところどころ欠けている箇所も見受けられた。

 三体目、英に撃たれた異形は、蹲っている頭がまるで尾のように、長く伸びている。


 嘘でしょう、と英は乾いた笑いを引き締めるようにグリップを握った。


「多分このたち、自殺したのかも。ほら、あれが入水。あっちは多分飛び降り。そして新しいのが吊りね」

「……ウチがぶん殴ったのは土左衛門か。できれば知りたくなかったですねェ」


 そう言って、芽瑠がげんなりと肩を落とした。拳に残る感触を振り払うように手のひらを震わせてから、ふっと息を吐いて、拳を構え直す。


「まあ、バケモノに成っちまったなら仕方ねえですね。いっちょウチらで昇天かせてやりますか!」


 それは、彼女自身が喝を入れるように叫んだ言葉だった。あくまで、この奇怪な手合いとの死合いに向かうために己を奮い立たせる軽口。そのはずだった。

 しかし、芽瑠の言葉にピタリと動きを止めた異形たちは、彼女が右の拳を左手に打ち付けた音を合図にするかのように、一斉に顔を上げてこちらを見てきた。


『ナ……イ……』

『ジャ……ナイ……』


 瞳らしきものもない落ち窪んだ眼窩の奥が、より深い黒に滲んでいく。


『バケモノジャ、ナイィィィ!!!』


 まるで咆哮した獣の大顎のように、異形たちの口がぱっくりと開いた。喉の奥からごぽごぽと怨嗟の汚泥を吐き散らしながら、凄まじい跳躍力で飛びかかってくる。


「ちょっとちょっと、芽瑠が余計なこと言うから!」

「バケモンにバケモンって言って何が――ああもう悪かったですってば!」


 先陣を切ってきた二体を迎撃する。幸いなことに、禍々しくなった見た目の割に、さほど耐久力の変化は感じられなかった。

 首の長い異形は、眉間と首の根元を撃ち抜かれて地に墜ちた。

 ローリングボールの如き勢いで迫る異形も、爪先に銀板を仕込んだ改造安全靴の蹴りによって、頭部が熟れた果実のように弾け、動きを止める。


 残るは一体と二人が構えた時、彼女たちの視界には、頭上高くを過る影が映った。後方に控えていた異形が標的を変えたらしい。


「ユズ!」

「大丈夫です! 宗貞くん、ちょっと歯を食いしばっててね」

「えっ? うわあっ!?」


 楪は右腕でしっかりと紲那を包み、左手は相森の胸倉を掴んで、地を蹴った。

 剣道の踏み込みの要領で前に出て、異形の初撃を掻い潜る。その後すぐに、右足を軸にして体転換。遠心力を利用して放り投げるように、相森を後方へと引きつける。


 これが、英に稽古を付けてもらっていた理由だった。対怪異の現場では、自分の身を守る術が必要である。かといって一人逃げ回り、離れて行動してしまうのはタブー。できるだけ英たちの傍にいながら、かつ邪魔にならないよう立ち回らなければならない。

 自分が十三課の一員として在るために――本当のお飾りに成り下がってしまわぬために、導き出した答え。


「ハナさん!」

「了解!」


 異形の振り返りざまに、シルバーバレットのダブルタップが撃ち込まれる。

 絶痛に体を反らした異形は、鼻と眉間に空いた穴から銃弾を取り除こうとしているのか、尖った指先で顔を掻き毟っては汚泥の飛沫を散らせた。

 ひと掻きごとに腕の動きは緩慢としたものになり、やがて止まると、形を保っていたヴェールがなくなってしまったかのように黒血の汚泥がどしゃっと地に落ちて、地に還って行く。


 銃を構えたままで周囲を窺ってから、英がどっと一息ついた。


「――ふう、終わったみたいね」


 その言葉を皮切りに、男子高校生二人は悲鳴を上げながら脱兎のごとく逃走してしまう。


「あっ、こら、ちょっと!」


 引き留めようとした手は虚しく空を切る。角に消えて行った背中に、「半狂乱になって邪魔しなかっただけマシですよ」と肩を竦めながら、芽瑠が残った生徒の様子を診始めた。


「怪我はねえですね? ようし。相森先生はどうです?」

「…………それは何でしょうか?」

「うん?」


 すれ違いの会話に、芽瑠が振り返る。

 相森が指を差していたのは、溶けて消えた血溜まりの跡だった。そこだけ雨が降ったかのように未だ湿っているアスファルトの上には、英が放った二発の銃弾と、もう一つ、何か古い質の紙が落ちていた。

 さほど大きくない、A5前後の手のひら大のそれを、英が注意深く遠巻きに覗き込む。


「何かしら……これが異形の正体?」


 訝し気に首を捻る。既に夜になっているためか、見えているのが表面ではないせいなのか、何が書かれているのかは判らないようだった。

 彼女が意を決したように、紙を拾い上げようと背を丸める。

 その刹那、楪は全身の毛を逆撫でされるようなぞっとする気配を感じ、声を上げた。


「ハナさん駄目!」

「えっ?」


 動きを止めた指先すれすれを、銀閃が横切った。それに英はぎょっと目を見開いてコンマ数秒硬直してから、歯を食いしばり、金縛りを解くように大きな動作で跳び退る。


「――ほう、避けたか」


 夜の黒に溶け込むように立ちはだかるシルエットを目でなぞり、楪たちは身構えた。

 刀を肩に担ぐように持ったライダースジャケットの男は、こちらの手先が震えているのを見透かすかのように、ふてぶてしいで睥睨してくる。

 睨み合うこと数秒。男は急に毒気が抜けたかのように、ふっと相好を崩した。


「なんだ、誰かと思ったら長南と行才じゃねえか。久しいな」


 男は「悪いがこいつは俺が預からせてもらう」と片膝を突くと、拾い上げた紙を無造作に折りたたんでジャケットのポケットへ仕舞い込んだ。


 奴はそのまま何でもない様子で英の隣を横切り、先に倒された二体の異形の跡にも残っている紙を同じように回収していく。

 明かな遺物だと解っているのに、誰もが動けずにいた。否、解っているからこそかもしれない。下手に触れればただでは済まないと直感するような異様な気配に、その背中を目で追うことしかできない。


「……貴方は、誰ですか」


 楪が辛うじて声を絞り出すと、振り返った男は、優しげに月明かりを反射する瞳を細くした。


「あんたは初めて見る顔だな。俺は漆山紲。そこにいる長南と行才とは高校ン時からのダチでな。袖触れ合うもなんとやらだ、よろしく」


 そう言って伸びてきた手のひらを、楪は寸前で引っ叩いた。


「……っぇな、叩くこたねえだろうが」

「貴方が本当の漆山紲でないのですから、当然でしょう」

「あン? 何言ってやがる。本物も何も、初対面――」

「私は漆山楪と申しますが、何か?」


 楪は左の薬指に嵌めた証を、紛い物の眼前へと掲げて見せる。

 奴は一瞬驚いたように瞼を動かしたが、それもわずかなもので、ポーカーフェイスが崩れるまでには至らない。


「おい長南、どういうことだこいつは。ああそういや……あんたも行才も、俺のことが好きだったんだっけな」

「「……はあ?」」


 英と芽瑠の表情が引き攣る。


「私たちがあんたを好き? 冗談じゃないわ」

っつーのも癪ですね。ウチらがドグサレに抱いているもんは、現在進行形じゃ」

「いい、いい。解ってるさ。そういう形の未練もあるよな。ただ、ファンクラブに新規会員登録すんなら、ちぃとばかり遅かった」


 紛い物のキズナは踵を返し、楪たちから距離を取った。

 奴は、こちらへとやってくるヒールの音をエスコートするように手を拡げて迎え、その隣に肩を並べる。


「紹介しよう。近々俺の妻になるパートナーだ」


 現れたドレススーツ姿の妙齢の女に、英と芽瑠の口からまた呆けた「は?」が漏れた。

 それを知ってか知らずか、はたまた初端ハナから意に介してもいないのか。女はうっとりと恍惚の表情を浮かべてキズナの手を擦るように愛撫し、たっぷりと自分たちだけの世界を見せつけてから、たった今気付いたかのようなわざとらしい動きで、こちらへ向き直った。


「あら、長南さん、行才さん。久しぶりですね。もう十年近くぶりになるかしら?」

高清水たかしみず、先生……」

「一体何がどうしたら、あんたが出てくるです……?」

「二人とも、お知り合いなんですか?」

「ええ。高清水朝日あさひ。私たちの、高校時代の担任教師よ」


 英たちの困惑顔に、女はまたうっとりと、勝ち誇ったように頬を吊り上げた。

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