美女塚

 市内のホテルにチェックインを済ませた楪たちは、ニコラと落ち合うまでに今少し空いた時間を使い、心の中のモヤモヤを冷ますように、夕方の風の中へと繰り出した。

 城下町というだけあって、覗いた路地の向こうがすぐに折れ曲がっているというのも珍しくはない中、電信柱の陰すら見逃さぬようにと目を凝らす。


「ママ、おこる?」


 不意にかけられた刹那の声に、楪はハッと我に返った。

 そんなことはないよと微笑みかけようとして、息子のくりんとした瞳に、やたらと殺気だった形相が映っているのに気が付き、声がつまる。


「ごめんね、大丈夫だよ。紲那に怒っているわけじゃないの」

「あー、ごめんなさい。年長者の私が一番構えてなければならないのに。誰に怒っているかなんて、子供には関係ないものね」


 一度深呼吸をして肩の力を抜いた英は、ごめんねー、と紲那の頬を指先でつまむ。

 後ろからわっしゃわっしゃと頭を撫で回しながら、芽瑠も肩を竦めた。


「怖かったじゃろ。仕事が終わって山形戻ったら、好きなおやつ買ってあげるですよー?」

「それはダメです。お菓子ボックスはもういっぱいなんですから」

「めるるんごー!」

「あら御指名ね。紲那は芽瑠と遊びたいって」

「けっ、女に跨ることにもう味占めおって。ろくな男になら――いっだだだだだ!?」


 英から尻をつねり上げられて、芽瑠は百面相をしながら飛び上がった。

 それを傍から見ていた相森が、目を細くしている。


「皆さんはとても仲がいいんですね。あっという間に元の調子だ」

「戦友だからね。紲さんがいたからこそ出会えた、大切な家族なの」

「家族……うん、素敵な響きだね」


 何かを納得したように頷く相森に、楪は、彼には正確に伝わっていないだろうことを気付いてはいたが、敢えて話すことはしなかった。

 きっと、喋って回ることでもないこと。話すとすれば、もう少し紲那が大きくなってから、父の背中を語り継ぐことくらいだろう。


「あ、付きましたよ」


 足を止めた相森が、通りの傍らを指示した。

 住宅地の一角で、緑に囲まれた小さな区画。大きな立て看板と、吹き晒しの祠の中には地蔵尊が鎮座されていた。


「ここが、小野小町を埋葬したとされる、美女塚です」

「ここが……? 思ったよりも小さいんだね。塚というより、盛り土みたい」

「当時は風葬が主だったから、土葬をされているだけすごいものなんだよ」


 相森の解説に、楪はへえ、と曖昧に返事をしながら立て看板の前に立った。紲那と二人で顔を近づけているところを、隣から芽瑠が読み上げてくれる。

 曰く、前半は小野小町について。出羽の郡司であった小野良実――小町の父とされている人物――が消息を絶ったのを追って、彼女がこの地を訪れ、小野川温泉を発見するまでの経緯が記されていた。


「――『その後体調を回復した小町は父を訪ねて秋田へ旅立ったという説とこの地で亡くなったという説がある』。……のっけからこの墓が眉唾もんと言ってどうするですか」

「小野小町は全国各地に墓があるからねえ。そもそも存在すら不確かとされているらしいわよ」

「えっ、あんなに歌が残っているのにですか!?」


 目を丸くした楪に、相森が「仕方がないよ」と苦笑する。


「歴史的事実とするためには、きちんとした資料が必要だから。詠み人の記載に小野小町という名があったというだけで、良実が父親というのも、小野姓としての仮説に過ぎません」

「でも確か、三川町には小野小町の池がなかったかしら?」

「ええ。産湯を捨てたという池ですね。池の水は涸れることがなく、大雨の時でも溢れることがないのだとか」

「庄内からは七号線で秋田まで一本だし、有力なんじゃ……」

「あくまで有力という域を出ないんです。せめて、この地を題材にした故郷の歌でも残していてくれれば違うんでしょうけど」


 相森にあっさりと棄却され、英は腕を組んで難しそうな顔で目を閉じた。「『いいくに』から『いいはこ』にするくらいガバガバのくせに」と恨み節を唱えている。

 一方、ずっと読み上げていた芽瑠も、訳わからんと諸手を放り上げた。


「やれ小町だの、小笠原某の妻だの、キリシタンの美女だの、ついには直江兼続の遺器とかいう人ですらねえものが埋められているだの、そこまで並べておいて『いずれも伝説の域を出ない』とは……ちょっと腹立ってきたんですが」

「でもこれ、西にある『美男塚』の方は、深草少将が埋葬されているという逸話だけなんですね? ……深草少将って誰ですか?」


 楪は、後半の一段落を指さして首を傾げた。


「小町を深く愛していたとされる男性だね。小町から、自分の下へ百日通い続けたら結婚してもいいと言われ、九十九夜通ったのですが、百夜目を迎えることなく、雪に埋まり凍死したといわれています」

「まーた『いわれています』ですか……!」

「こちらはもっとはっきり言うと、創作ですね。世阿弥らが、小町を題材にして作った『百夜ももよ通い』という架空の伝説なんだとか」

「へえ……でもこっちの看板だと、雪に埋もれたって記述はないわね。それどころか、『死に際に「美女塚」に向き合ったところに埋めてもらいたいと遺言したので』とあるから、小町より後に亡くなっている……?」


 英が口元に指を当てて、目を瞬かせる。さらに芽瑠が「もっと謎なんが」と首だけで振り返った。


「当時の都って京都じゃろ? あっちで埋まって凍死するほどの雪が降るんです?」

「僕もそれは考えていました。百人一首で編纂された山部赤人の『田子の浦に』では、雪が降っているのは富士の高嶺です。中納言家持の歌では、橋に霜がかかっている程度。その他も、初霜だとか、月が見えるくらいの雪模様でしかなく、一番降雪量が多いものは源宗行の歌ですが、こちらはそもそも山里です」


 それを聞いて、楪はあっと声を上げた。


「じゃあ、もしかしたら、雪に埋もれたのはこの地っていうことも……?」

「ね。諸説ありというのも、意外とロマンがあるでしょう?」


 相森の視線に、楪は頷いて、頬を綻ばせた。

 土地を守っているお地蔵様へ、紲那と一緒に手を合わせて振り返れば、芽瑠がしゃがみ込んで土の膨らんだところを睨みつけていた。


「いっそ掘っちまった方が早いんじゃねえです?」

「駄目に決まっているでしょ。もしも小野小町ブランドが消えたらどうすんの」

「仁徳天皇陵じゃあるまいし……ただでさえ曖昧モコモコしてんですから、雪と一緒に溶けて消えても誰も気付きゃしねえですよ」

「第一骨が見つかっても、照合する術がありませんからね……」


 英と楪に左右から挟まれ、芽瑠は渋々とヤンキー座りから腰を上げた。


「せめて小野小町の髪か何かでも残ってりゃいいんですけどねえ」

「京都の隨心院には、『百夜通い』の際に小町が日数を数えていたという、糸に綴られたカヤの実があるそうですが……もし、皮脂なんかが付着していれば、どうでしょう?」

「私も専門家じゃないからねえ。遺骨の方は、火葬じゃなければDNAが取れるかもしれないけれど、そういった道具からのものはさっぱり」

「つーか、どうして創作の伝説に出てきた道具が残ってるですか」

「由緒不明のお墓もこうして残っているくらいだし、そういうものと思うしかないわよ」


 半ば諦めたように肩を竦める英の一方で、芽瑠は納得がいかない様子でひょっとこ顔をしている。それから何度か、宙と美女塚を交互に見やって、手のひらを拍った。


「とりあえず、鑑識でも科捜研でも連絡して聞いてみねえです? イケそうなら全国の墓を荒らして回ろうぜい」

「まだ言ってる……罰が当たるわよ?」

「ウチが呪われるくらいで、小町の存在が証明されるなら安いもんですよ」


 芽瑠はおどけたように舌を出して、腕のストレッチをしながらこっちへと戻ってきた。

 誰もが、ただの戯言であると判っていて、そうなったら面白いなと笑い合う。

 しかし、蚊帳の外の者からすればそうもいかないらしかった。


「だってよ、ヨウタ。お前が行ってやれって!」

「そうだよ。女性が呪われるなんてさせちゃいけねえもんな?」


 若々しい声に振り返れば、男子高校生らしき制服を着た三人組が目に入った。後ろに二人が控え、彼らに背中を突き飛ばされるようにして、一人の少年が前に出てくる。

 ヨウタと呼ばれた肩を丸めた少年は、背後からの「お前なら出来るって!」「よっ、ヨウタかっこいー!」という、字面だけなら耳障りのいい野次に、じっと唇を噛みしめていた。

 そんな光景に、芽瑠が顔を顰める。


「うわあ、わっかりやすー……」

「ねえちょっと、私こういう者なんだけれど。解ってる? 勝手に掘るのは重罪よ。誤解させて悪いのだけれど、こっちは冗談で言っていただけだなの」


 英が掲げて見せた警察手帳に、男子学生二人がぎょっと気色ばんだ。しかし慣れた様子で、すぐに追従笑いを浮かべると、頭を掻きながら弁解を始める。


「いやだなあ、俺らも冗談っスよぉ。ああでも、こいつが呪われても平気ってのはマジっすよ」

「……はい?」

「だってこいつ、今までにも、心霊スポットで色々やったけど、この通りピンピンしてるし」

「小坊ん時からずっと。呪いマスターなんですよ。お姉さんたちも困ったらこいつ使えばいいっすよ」

「……はいぃ?」


 英の顰めた眉が、さらに彫りを深めていく。


「なあハナ――」

「ええ、解ってる。ねえ、ヨウタくんだっけ。もしかしなくても、これってイジメよね?」


 声を潜めて手を差し伸べる。しかし、彼から帰って来たのは、大きく腕を振り払った拒絶の意思だった。


「やめてくれよ! あんたたち大人はいつだってそうだ! その場限りでちょっと心配した風にして、それっきり! あんたたちが茶々を入れた後、あんたたちの目がなくなったところでどうなるかなんて微塵も考えていない! 一言注意すれば収まると思ってる!」

「ヨウタくん……」

「いいんだよ。僕はグロメンのバケモノなんだ。そういう星の下に生まれてるんだ。中途半端に手を出すことしかできないなら、放っておいてくれよ!」


 ワイシャツの胸元を強く握りしめながら半狂乱に叫んだ彼は、意を決したように、美女塚の上へと乗り込み、手を振りかぶろうとした。


「駄目っ、待ちなさい!」

「離せ、離せよ! 明日からの地獄を考えるくらいなら、ここで呪われた方がマシだ!」


 英に羽交い絞めにされても、決死の抵抗は止まらない。


「こんな時、どうすれば……」


 楪が、そう呟いた時だった。


「――決まっているでしょう。怪物を倒してしまえばいいのよ」

「えっ……?」


 どこからともなく女性の声がしたかと思うと、次いで男子生徒たちの悲鳴が上がった。

 突如として現れた二体の異形――人の影を歪に引き延ばしたような、夜の闇よりも黒いナニカににじり寄られ、男子生徒たちは尻もちをついて後ずさっている。


「チッ、こんな時に――芽瑠!」

「応!」


 拳銃を構えた英に続き、芽瑠もポケットから取り出したグローブを手に嵌め、戦闘態勢を取る。

 相森が叫んだ。


「皆さん、その異形……あの日に僕が視たモノと同じです!」


 不意に齎された情報に、英たちは唖然とした表情で影の異形を睨みつけた。

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