VR結婚式

 家から追い出された楪たちは、状況を呑み込むまでの何呼吸かの間、門の前で立ち尽くしていた。


「にべもなく、という感じね……相森先生の手前、話してくれるかと思ったんだけど」

「けれど、救いはあるように感じました。はっきりと否定されたのは、異形を喚び出したのは二色根さんだというところだけでしたから」

「それが一番厄介なルートなんですよねえ。美女と野獣タイプの映画じゃあるまいし、マジモンのバケモンを庇ったところでバッドエンド真っ逆さまですから」


 やるせなさに肩を竦めて振り返った芽瑠が、門の真正面で二色根邸の方を縋るように見つめている相森へと近づき、その肩をそっと叩く。


「気持ちは解るですが、一旦退くぞ。出待ちしても躱されるだけです」

「……はい」


 相森は自分に言い聞かせるように二度、三度と頷き、踵を返した。

 身を寄せ合うように小さく固まって、上杉城址の紅葉の中を戻る。鮮やかさに見入っていた赤も、今は焦燥を煽る烈火のように見えてならなかった。

 それを振り払うように、英が組んだ手をうんと伸ばす。


「一先ずは、ニコラの到着待ちかしら」

「ですね。日中は人形作りの教室をやっているそうで、到着は夜になると連絡がありました」

「人形教室ぅ? まさか、呪いの人形作りじゃねえじゃろうな」

「普通のビスクドールですよ。目とか関節とか衣装とか、アレンジをしようと思えば結構なバリエーションがあるみたいです。なんでも、市の主導でやっているそうですよ」


 伝え聞いているあらましを説明すると、芽瑠は「市が、ねえ」と苦笑した。

 かつては霊峰の地にある魔女の家ということで、景観等の観点から、ニコラの家はせっつかれていた。しかしウメズ様の件以降、楪たち動揺、彼女にも待遇に変化があったのだ。


「いっそ、十三課で抱えたらいいんじゃねえです?」

「庄内を離れられないという、たっての希望なのよ」

「ならしゃーないですかね」


 足下の落葉を爪先で舞い上げてから、芽瑠は「腹減ったな」とぼやいた。それに続くように、紲那も「はーへたな!」とはしゃぎだす。


「もうちょっとで晩ご飯の時間だから、待っててね?」

「やー!」

「たまにはいいべ。せっかく米沢に来たんですから、旅行の楽しみを教えるのも教育ぞ」

「調子いいこと言って、あんたが食べたいだけでしょう」

「よろしければ、僕にご馳走させてください。そこの伝国の杜にはカフェが入っていますから。軽いものなら、紲那くんにも大丈夫でしょう?」


 相森が手のひらで示したのは、上杉神社の正面に建てられたミュージアムホールだった。市の上杉博物館と置賜文化ホールを内包し、コンサートホールまで取りそろえている巨大な複合施設である。

 ならばお言葉に甘えてと、楪たちは彼の後に続いてホールに向かった。


 相森の勧めで注文したのは、特産であるうこぎを使用した茶とケーキ。古くから食用兼垣根として親しまれてきたが、上杉鷹山が奨励したことで根付いたのだという。ノンカフェインのため、子供でも飲めるのはありがたかった。

 栗の形の砂糖菓子を齧らせ、たっぷり冷ましたお茶を飲ませると、紲那は満足そうに微笑んでくれた。


「へえ、紲那は漢方系の茶も平気なのね」

「だい!」

「母親は未だにブラックのコーヒーを飲めませんがね」

「べ、別にいいじゃないですか! それに、このお茶なら私だって飲めますもん!」


 胸と顎を反らして抗議をしてみたが、しかし、楪に返されるのは生温かい眼差しだけだった。

 一人、相森がくすくすと控えめに笑っている。


「その辺りは変わらないんだね」

「むう、宗貞くんまでえ……」


 楪は肩を縮こめ、唇を尖らせて唸った。


「意外とからかうの好きだよね。私のことも好きだったとか言うし」

「あれは本当だよ。ただ当時の僕は、それが恋心なのか、ただの興味なのかは判断できていなくてね。それだけ衝撃だったんだ。あの夏に君が素敵な女性へと変化したことは、僕ら同級生最大のミステリーなんだよ」

「美優にも言われたなあ……そんなに変わりました?」


 視線で訪ねると、英は首を縦に振った。それでも楪は、いまいち腑に落ちずに眉を寄せる。

 自分では、特に何かが変わったという意識はなかった。ただ家族を喪い、ただ紲さんと出会い、苗字が変わって、紲那を授かっただけ。一般的な幸せの形から見れば変わっていることはあるかもしれないけれど、自分という個は、未だに弱い子供のままだ。


「僕のあの頃の願いを、今、改めて思い返したよ。よければぜひ、君をモデルにした作品を書かせて欲しい」

「私を……?」

「うん。強くて、優しい、楪さんのような人なら、きっと主人公に相応しいと思うんだ」


 そんな相森の申し出に、英と芽瑠がほうっと息を呑む。

 けれど、楪はすぐには答えを返すことができず、うこぎ茶の湯面に目を落とした。


「私は――」


 自分を評価してくれるというのは、素直に嬉しく思う。しかし同時に、こうして認められることで、心の中にある我儘な感情にも気が付いた。

 くすぐったくないのだ。あの人の大きな手のひらじゃなければ。


「うん、やっぱり、違うよ。私は、物語の主役になれるほど、出来た人間じゃないから」


 今度は自然と笑うことができた。

 我儘も言えば、嫉妬深く、利己的に考えることもある。英たちの『彼』への感情を知った夜には、選ばれたのが自分で良かったと、こっそりガッツポーズをしたこともあった。

 絶対に人前では口に出せないけれど、それが、漆山楪という女の素。誰しもが持っている醜い部分は、自分の中にもきちんとある。


「それに、宗貞くんが好きなのは、二色根さんでしょう? 今はちゃんと、彼女を見てあげて」


 相森は目を丸くしてから、「そういうところだよね」と笑った。

 傾いてきた日差しの中、ケーキを小さく切り崩して紲那の口に運んでいると、不意に、館内の方から賑やかな声が漏れ聞こえてきた。


「もう、本当に幸せ!」

「本当だよね。推しと結婚できるなんて、現代技術様様だわ!」


 目を向ければ、興奮気味に頬を緩めて浮足立っている女性の二人組だった。色の明るいドレスの上から、上着を羽織っているようだ。

 その後からも、ぞろぞろと男女混合の人の群れが現れて、外に向かって歩いていく。彼らもスーツ姿だったり、ドレス姿だったりと、きらびやかだった。

 一様に満面の笑顔を浮かべ、口々に幸せだと言いながら。


「結婚式でもあったんでしょうか……?」

「いくら何でも揃ったホールでも、さすがに式場はねえですよ。だいたい、新郎新婦意外があんな顔している式なんて不気味で仕方ねえ」

「それはあんたが捻くれ過ぎよ――ってわけでもないか、当たらずとも遠からず」


 スマホを操作していた英が、フリックの動きを止めた。


「会議室でイベントが催されていたみたいね。VR結婚式だって。つまりはあの全員が新郎新婦だったってことね」

「ああ、聞いたことありますね。専用のカメラで撮影をすることで、臨場感のある映像を残すってやつ。打合せにも使えて便利だそうですよ」

「ああ、そっちじゃなくて。3Dで目の前に現れたキャラクターと結婚をするって方。結構色んな記事がヒットするわね……へえ、本当の結婚式場でやるところもあるんですって」


 再び操作をしながら、英が感嘆を漏らす。


「ようやるわ……大丈夫なんですかソレ。架空のモンと結ばれるなんて、ムカサリ絵馬みてえなもんじゃないですか。呪われても知らんぞ」

「こーら芽瑠、そういうこと言わないの。失礼よ?」

「へいへい」


 小さく両手を挙げて黙ってますよのポーズをとった芽瑠に、楪が苦笑していると、その対面で、相森があっと声を上げた。


「漆山さん……?」

「おいおい先生。身内ならともかく、テメエの悪ノリは見過ごせねえですよ?」

「そうじゃなくて、本当に! あそこです!」

「あー? ドグサレは死んでるって言って――なんじゃありゃあ!?」


 相森が指を差していたのは、窓の外。

 その先を目で追って、楪は心臓が跳ねたのを感じた。


 既にぞろぞろと広がりつつある人の群れの中を、神社の方に向かってすり抜けて行くライダースジャケットの背中があったからだ。


 何度もバイクの上でしがみついた、大きな背中。背格好も、態度の割にはきちんと伸ばして歩く背筋も、無造作に流した髪も。


 すべてのシルエットが、記憶通りにそこにある。


「そんな、まさか……ごめん宗貞くん、お会計しててもらっていい?」


 楪は立ち上がり、紲那を抱え直して飛び出した。

 自動ドアが開くスピードさえもどかしく感じる。どうにか外まで転がり出て、シルエットの去った方向を見やれば、既に背中は遠く向こうにあった。


「すみません、通してください!」


 人混みをかき分けようとするが、有頂天になっている人々の耳には中々届いてくれない。


「私が先行するから、ユズは芽瑠と一緒に来て!」


 背の高さを利用して強行突破した英が、腰元から拳銃を抜きながら足を早め、シルエットが曲がって行った角へと突っ込んでいく。

 ようやく楪が角へと辿り着いた時には、周囲には気配の一つも見当たらなかった。


「ママ。おとーたん?」

「ううん、違うよ……絶対に違う。違うから……」


 息を整えながら、ぐずりかけた紲那を抱きしめて背中をあやす。

 そこへ、会計を済ませた心配げな顔の相森と、髪をかきむしりながら苛立たしげに戻ってきた英とが集まってきた。


「ごめん、見失ったわ。くそっ、何だったのよアレは……」

「すみません皆さん、僕が変なことを……人違いでしょうし、忘れてください」

「いいや、先生はよく見つけてくれたですよ」

「うん、きっとあれは、漆山紲で間違いないから」


 頭を垂れる相森を、楪は宥めるように言った。

 見間違えるはずがなく、確かにあの背中は同じものだった。二年半の時を経た今でも忘れたことなんてない、『彼』を愛した女が三人もいて、全員が立ち上がるくらいには。


「ただ、問題は――頭に『紛い物』と付くこと」


 唇を噛み、拳を握りしめる。


 一体どういう原理でそうなったのかは判らない。見たところ完全なるヒトガタを形成していたことから、二色根の件と繋がるわけでもないだろう。

 一つだけ判っていることは、今この米沢の地で、何か大きなものが渦巻いていること。


「ハナさん、芽瑠さん。今回の米沢探訪、厳しいものになるかもしれませんね」


 声を絞り出すと、溜息にも似た相槌が二つ、返ってきた。

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