儚げな拒絶

 山形県を南北に縦断する国道13号を南下し、南陽市から市街地を抜けるようにいけば、そこから高畠を跨いだ向こうが米沢だ。

 込み入ったパワースポット等に赴くのでなければ、大きな道を突き進むだけで辿り着けるというのは便利である。もっとも、郊外の田園風景や山の緑ばかりが映る車窓に対する暇つぶしは必携だが。


「あろわなのー!」


 後部座席でベビーシートに括られている紲那は、カーステレオから流れてくる特撮の主題歌集に合わせてご機嫌に口遊んでいる。


「すごい、英語の歌詞も歌えるんだね!」

「だい!」

『英語じゃなくて空耳ですよソレ』


 スピーカーモードで繋いだスマホから、後ろを走る車の運転手の苦言が呈される。通話口をデコピンで弾いて、英がバックミラー越しに細くした視線を送った。


「将来は歌手かしら?」

『親バカばっか……好きで叶うのなら苦労もせんわ』

「あら、めるるんが指導してくれればいけるかもよ?」

『ケツ掘るぞ?』

10:0ジュウゼロご馳走様。ちょうど車買い替えようか迷ってたのよ、派手によろしくね」

『同乗者の心配したれや……』


 淡々とあしらわれたスマホの向こうから、苦笑交じりの舌打ちが鳴る。

 仲がいいんですねと、助手席の相森が微笑む。


「しかし存外、無い未来でもないかもしれませんよ。楪さんの生まれである天童市は、日本初の流行歌手である佐藤千夜子の故郷でもありますからね」

「ああ、舞鶴山の麓に記念碑があるよね。でも流行歌手って?」


 楪が首を傾げる。『しれっと名前呼びに切り替えとるぞ』という冷やかしに、再びデコピンが見舞われた。


「簡単に言えば、レコードを出した歌手ってことよ」

「へえ、その日本初が山形出身の人だったんですか!」

『地味に日本初の宝庫ですからねえ。ラーメンにシャンプーにマスクに足湯にと、山形の『冷やし文化』は言わずもがな。鶴岡は学校給食の日本初、戸沢が国民健康保険第一号、村山は居合の祖とよりどりみどりですよ』

「諸説ありというのも含むなら、もっとあるわよ? 紲那が飲んでいた粉ミルクは高畠が初とされているし、さっき通った上山はたくあん始まりの地。意外なところだと、ジンギスカンも、蔵王発祥という説があったりするわ」

「へえー!」


 目を輝かせた楪は、ちょうど窓の外に見えてきた高畠町の看板を指さして、紲那と微笑み合った。購入したミルク自体は高畠町製造のものではないだろうが、どこか誇らしく思えた。


「高畠といえば――ほら、今看板があった、浜田広介記念館も」


 そういって、相森が指を立てた。


「彼が手掛けた『泣いた赤鬼』をはじめとして、山形は童話の生誕地でもあるんだよ。『鶴の恩返し』は南陽が発祥の話で、その逸話を由緒とした鶴布山珍蔵寺もあるんだ」

「えっ、それも山形なんだ! 今度みんなで見に行きたいね、紲那」


 覗き込むと、紲那は「だい!」と大きなばんざいで答えた。






 母方が米沢、父方が高畠と、置賜に詳しい相森のガイドを聴きいているうちに、あっという間に米沢市へと入っていた。最後に堀周りの道だけ若干曲がれば、目的地は目前である。

 上杉神社――またの名を、米沢城址。戦国から江戸にかけての動乱の世を伊達・上杉によって築かれた、歴史ある町の象徴だ。

 堀の奥に見える厳かな神社は、まるで燃えているかのように鮮やかな紅葉から抱かれている。

 春は桜、夏の新緑、冬には雪灯籠祭と、美しく変遷する季節の一幕に、楪はわあ、とため息を漏らした。


「きれい……」

「山の中だともっと綺麗にみえると思うよ。米沢は、温泉大国山形の中でも、八湯二十四宿を有する名湯・秘湯の聖地でね。震災からの復興を機に、米沢八湯会が結成されているから、旅行の際はぜひ、ホームページを覗いてみて」

「うん、そうする」


 楪たちの二歩ほど後ろから、英と芽瑠が八湯を指折り数える声がする。


「この小野川温泉って、小野小町が病を湯治したところなんだっけ?」

「ええ、小町が薬師如来に導かれて発見したとされています。ここから少し北にいけば、彼女が埋葬されたとされる『美女塚』もありますよ」

「へーえ、あやかってみたいものね。肌ツヤ良くなりそう」

「その発言がもうババアなんですよ」

「ぐっ……私たちももう来年には三十路なのね」

「言うな、虚しくなる」


 駐車場から上杉神社を跨ぐように抜けて、住宅地の細道を歩く。その中にある、城址内の資料館と遜色ないような立派な佇まいの古民家の前で、相森は足を止めた。


「ここです」


 表札の『二色根』を指さして門を潜った彼がインターホンを鳴らすと、ややあって、掠れたような女性の声で返事があった。


「真知さん。僕です、相森です」

『貴方お一人かと思っていましたが……後ろの方は?』

「山形警察署の長南です。私の隣にいるのが、同じく漆山。その後ろが、特別顧問の行才です」


 進み出た英が、レンズに見えるようにして紹介をする。

 しばらくの間があったものの、『そうですか』という淡泊な返事があり、やがて玄関の鍵が開けられた。


 二色根真知は、写真で見たよりもずっと濃い薄幸さが窺えた。黒のロングカーディガンに薄い灰色のストールを巻いている。その上に流れる髪さえも着物のかさねの一部ようで、秋の色の中にあって、そのモノトーンは神秘的に浮世離れしている。

 楪たちは、応接間へと通された。畳部屋に絨毯と長ソファが設けられ、壁の本棚には難しそうな分厚い本が並んでいる。


 紅茶のカップを並べ、紲那用に清涼飲料水のコップを足してから、二色根は音もなく腰を下ろした。


「して、今日はどのような……?」


 長い睫毛の向こうで、薄墨色の虹彩が揺れた。目元の黒子が妖艶な印象を深くする。


「実は私たち、ある方から依頼を受けてきたんです」


 口火を切ったのは、楪だった。相森の依頼であるということは一旦伏せて、注意深く様子を窺う。表情の細かい変化は英任せになるが、その分、雰囲気の変化は見逃さないように。


「二色根さんが、異形と仲睦まじく歩いていらっしゃったと、心配する声があるんですよ」

「心配、ですか……」


 二色根は下唇に指を当て、どこか物憂げに目を伏せた。

 表情の色にほとんど変化は見られなかった。一般的に考えれば、異形と歩いていたなどという目撃情報など、身に覚えのない素っ頓狂な話である。だが彼女は、驚くでもなく、動揺するでもなく、こちらの発言を受け止めている。


「心当たりが、あるんですね。話してもらえませんか?」


 駄目押しに踏み込んでみるが、しかし、そこは暖簾だった。

 二色根の口角がうっすらと伸びる。


「私が異形と? ……クス、可笑しなことを仰るのですね」


 彼女はティーカップにそっと口を付け、湿った上唇を丸め込むように均してから、再び口を開いた。


「異形、怪異、ひいては化物。古来より人々はそう擬えて来ましたが……酷い言葉だとは思いませんか?」

「えっ?」

「だって、異形とは『形の異なるもの』、怪異とは『怪しく、なるもの』でしょう。最悪なのは化物です。『化けた』と指を差した挙句、『もの』ではなく『モノ』呼ばわりだなんて……」


 細い指で宙に字を書いて、また二色根はくすりと微笑んだ。


「一体、何と比べているのでしょうね。人でしょうか? では、人とはなんでしょう? 大変なエゴだとは思いませんか、刑事さん」

「……申し訳ありませんが、無学でして。もう少し噛み砕いていただいても?」


 頭を下げる英に、二色根は口をわずかに開いて、すう、と息を吸った。


「その方が目撃したのは、本当に異形だったのでしょうか?」

「えっ……?」

「なんなら、私も学生時代、学友たちからバケモノだとか、エイリアンなどと呼ばれてきましたよ。どこの学校にもあるでしょう? タッチ、バリア、縁切った――ああ、みんな愉しそうでした」

「二色根さん……」


 なんと声をかけていいか分からなかった。

 芽瑠が、自分の分のついでに楪のカップへ角砂糖を放り込みながら唸っている。


「いじめの被害者からすればたまったもんじゃないでしょうし、同情もするです。けれど、だからといってマジモンのバケモン喚び出したところで意味はねえですよ?」

「別に私、喚び出したりはしていませんよ?」

「じゃあ誰が!」


 腰を浮かせかけた芽瑠とは対照的に、二色根は落ち着き払った様子で紅茶を口に含んでいる。

 たまらずといった風に、相森が訴えかけた。


「真知さん、お願いですから話してくれませんか。もしも真知さんが大変なことに巻き込まれていたらと思うと、僕は……」

「ありがとう、相森さん。けれど大丈夫、私は何にも巻き込まれてなんていませんから。目撃情報も、何かの悪戯でしょう」

「真知さん! その情報を齎したのは――」

「お引き取り願います、皆さま。私これから、拙作の取材がありますので、東京に発たなければなりませんの」


 ぴしゃりと、似合わないような強めの語気で打ち切った二色根は、相森から視線を逸らすようにして、彼もろとも、楪たちを部屋の外へと促した。

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