はぐれ者

 高清水と呼ばれた女は、英が教師と呼ばなければ、とてもそうは見えない風貌をしていた。

 英たちの年齢を考えれば、若く見積もっても三十半ば。その点は素体がいいのか、特段厚化粧で誤魔化すといったこともなく、大人の女性という色気が醸されている。問題は、それが少々行き過ぎていることだろうか。

 纏っているドレススーツも、月明かりさえ反射するような紫のサテン。髪の毛先にはカラーを入れ、彼女が指先でかき混ぜる度に蒼い蝶が舞うようだ。

 さながら、夜の蝶たちを束ねる妖艶な女王。それが楪の、高清水への印象だった。


「(高清水、朝日……)」


 そういえば、彼の高校時代についてはほとんど聞いたことがなかった。

 腹の内はこんなにもかっかと沸騰しているのに、辺り一帯はしんと冷たい夜であるのは、まるで自分の方が現世から浮いてしまったような気がして、楪は薄く深呼吸をした。

 激情の熱に浮かされた思考を整理して、地に足を付ける。

 不意に、彼我の間に吹いた一陣の風で、美女塚の上に降り積もっていた落ち葉が、はらりと翻った。視界を一瞬隠すように目の前を過っていった一葉に、目を細くする。

 眉間に皺を寄せて、一歩、そしてもう一歩。


「……あっ」


 そこでようやく、抱いていた違和感の正体に気付き、楪は小さく声を上げた。

 紛い物という前提に縛られ過ぎてすっかり放置していたが、キズナには右目があった。

 左手の薬指も健在で、そこに見えている金細工は、おそらく高清水の指にあるものと同じデザイン。


「ハナさん。あの高清水さんの方はなのですか?」


 視線を前方に向けたまま訊ねると、視界の端で、英の頭が力なく揺れた。


「わからない……顔を憶えているから先生だと判ったけれど、雰囲気や口調なんかはまるで別人だもの」

「十年も経ってますからねえ……こっちの方がと考えれば、ホンモノなんじゃねえです?」


 芽瑠が放ってみせた軽口にも、高清水はどこ吹く風で喉を鳴らしている。それどころか、態と取り繕った仮面の笑顔を浮かべて、「貴女たちは変わりませんね」と落ち着いた声色を出してくる始末だ。


「ねえ。本物とは、一体何なのかしらね?」

「あ゛? 聞くまでもねえです。そこなパチモン風情じゃないものですよ」

「クス……彼は本物よ?」


 そう言って高清水はキズナの腕にしなだれるように絡みつくと、彼の目を見上げて「ね?」と甘美にはにかんだ。それに優しげな微笑みを返すキズナとのツーショットは、初々しくも濃厚な二人の関係を匂わせるには十分だった。


「は……まさか」


 馬鹿馬鹿しい。楪は頬を引き攣らせて首を振る。


「紲さんが、そんな間抜けな笑い方をするもんですか」

「へえ。随分と漆山クンのことを知っているみたいだけれど……じゃあ、貴女の言う『本物の漆山クン』って、どんな人なの?」

「そんなの決まってます。もっと口が悪くて、いつも一言多くて、ふんぞり返っていて、世界で一番自分がカッコいいと思っているみたいな人です!」


 いざ言葉にしてみれば、紳士的な男性像とやらからは縁遠かったように思う。

 口を開けば二言目には『バカヤロウ』が飛び、すぐに小突いてくるし、難しい話で置いてけぼりにされる。こっちの心配をよそに傷ついてくるし、自分のことなんて勘定の外で。

 けれど、誰よりも優しく、勇ましかった。

 だからこそ、多くの人々を救って、天に往ったのだ。

 直接賛辞を向ければ、彼はどんな反応をするだろうか。照れくさくなって『うるせえバカヤロウ』と軽口を叩くだろうか。あるいは、おどけて誤魔化すだろうか。


「ええと、その、ユズ? もうちょっとフォローするような言い方とかしなくていいの……?」

「事実ですから!」


 ふんすと鼻息を荒くして、楪は胸を張る。金でも銀でもない、『漆山紲』という男を形容するには、これしかないのだから。


「あっはははは! 違いない!」


 手を打って笑った芽瑠に、英は諦めた様子で肩を震わせている。

 虚を突かれたのか、目を見開いて硬直していた高清水だったが、すぐに女王の顔に戻ると、吐き捨てるように笑い飛ばした。


「酷い言い草ね。もしかして、アレ? 自分たちが選ばれなかったものだから、悪く言って心を慰めようとしているんでしょう。クスクス、これだから子猫ちゃんは」


 なまめかしい指先が、キズナの袖口からなぞりあげ、胸元で円を描く。


「彼はとても優しい、素敵な男性よ? 人の上辺ではなく、心の内側を視ることのできる人」

「当たっているような、当たっていないような……」


 楪は否定する言葉に困り、呻きながら首を倒した。

 それを白旗と受け取ったらしい高清水が、にい、と白い歯を見せる。


「そっちこそ、さっきから彼を偽物だと言って聞かないけれど、貴女たちの見ていた漆山クンこそ、偽物ではないの?」

「……どういうことですか?」

「彼のこと、どれくらい理解しているのかって聞いているのよ。お里のこと。オナカマのこと。巫業のこと。彼が苦しんできたものを」


 一番槍で噛みついたのは、芽瑠だった。


「知る必要があれば、ドグサレが喋ってるですよ。あの日だって、ウチが問い詰めたらゲロりはしたですし」

「独立後の彼とはこの中で最も古くからの付き合いだったけれど、琴葉さとのことも、抱えてはいても、苦しんではいなかったと思いますが」

「苦しむ要素があったとすれば枝調しにがみのことでしょうけど……それも紲さんが手ずから断ち切りました。それ以外のことまで知らないと、隣に立ってはいけないと仰るんですか?」


 楪が語気を強くして刺し込んだ。しかし、高清水は鼻白むばかりで、キズナの腕に胸を押し付けて強気の姿勢を崩さない。


「いいんじゃない? けれど少なくとも、伴侶パートナーは絶対になれないわね」

「あなたは知っていると?」

「当たり前じゃない。ねえ?」

「ああ、朝日は俺の一番の理解者だ。悪いなお前ら。気持ちは嬉しいが、絶対に越えられねえ壁ってのはあるんだよ」


 浮かべられた仮面のような薄笑いに、楪は頭痛と吐き気を覚えて頭を押さえた。

 声色と口調こそ似ているが、ナニカ得体の知れない別物にすげ替わっている。それこそ、紲とキズナの間には、絶対に越えられない壁があるようだ。


「……解りました。こちらとしても、その紛い物とは遠慮したいところですから、ソレが本物だと仰るのなら、どうぞお譲りいたします」

「まだ言うのね。負け惜しみは醜いわよ?」

「どうぞ、如何様にでも」


 一度線引きをしてしまえば、ほくそ笑まれても涼しいものだった。そのような勝利でいいのならいくらでもくれてやろう。


「それより、先程そちらの彼氏さんが回収した紙についてお尋ねしたいのですが――神札か姿札かは存じ上げませんが、異形の発生原因はそれでしょう。貴女たちの目的はなんですか。異形たちを使って何をしようとしているんですか」


 敢えて『神札』『姿札』という言葉を用いて踏み込む。こちらが無知な猫ではなく、一を知って多くを知ることのできる鼠であると示していく。

 しかし、返って来たのは、呆れたといわんばかりの長嘆息だった。


「そういう質問が出る辺り、彼のことを本当に何も解っていないのねえ」

「申し訳ありません。如何せん、紲さんとは一番歴が浅いので」


 密度は飛び抜けて一番濃いですが、という言葉は差し控えた。


「ふん、いけ好かない小娘。けれどいいわ、教えたげる。私たちは、この世から『はぐれ者』をなくそうとしているのよ」

「はぐれ者……?」

「そうよ。私たちの望む世界が訪れれば、漆山クンのように俗世から弾かれてしまう人はいなくなるわ。そこの男の子のように、誰かにいじめられることもない。隣を見ればトモダチがいるし、独り身で虚しく死ぬこともないの。素敵でしょう?」

「ああ、ああ、バケモンと二人組作ってやればハブられねえってことですか。けったくそ悪い」


 芽瑠がげんなりと肩を落とした。英も苦虫を噛み潰した顔で高清水を睨んでいる。


「その言い分だと、異形と共に在る人は、そういう――が必要な『はぐれ者』ということよね? けれど、私たちの依頼人は、ある人が異形と関わってしまっていることを憂いているわ。想われているのに『はぐれ者』と断じるのは、勇み足が過ぎるんじゃないかしら」

「私たちは無理強いはしていないわ。求められたから与えただけ。だから……そう。その想いとやらが、本人に届かないくらいのだったんじゃない?」

「そんな――っ!」


 思わず叫んだ相森を、英が制し、まともに受け合うなと首を振る。

 彼の代わりをするように、楪が進み出た。


「その計画、私たちが阻止します」

「そうか。なら、俺の出番だな」


 大きな手のひらで高清水の頭をふわりと撫でてやってから、キズナがそっと腕を解いて前に出た。抜き身の刀を持ち替え、肩を慣らすように一振りする。


「朝日の敵になる者なら、旧友だろうが俺を想っている女だろうが関係ねえ」

「上等。ウチらも、見てくれがどうだろうが関係なくブン殴れるんですよ。――行くぞハナ!」

「応!」


 姿勢を低くし、蛇が地を滑るように駆けていく芽瑠の頭上を、数発の銃弾が追い越していく。

 芽瑠は全神経を集中させて、キズナの一挙手一投足を観察した。奴が銃弾を避けるのか、はたまた斬り伏せるのか。それによって採るべき追撃の一手も変化する。

 しかし、


「――なっ!?」


 眼前で起きた光景は、第三の選択肢だった。

 キズナはあろうことか、銃弾を微動だにせず受け止めたのだ。左胸部に穴が空いたのもわずかな間だけで、銃弾は内側から押し出されるように体外へ弾かれ、奴の足下に落ちていく。


「ハッ、ホンモノ謳うんなら、もそっと人間らしくしやがれですよ!」


 滑り込んだ芽瑠は、しゅうしゅうと煙を上げながら修復されていくキズナの胸部目がけて、重い一撃を振り抜いた。


「ぐ、……っ」


 たたらを踏んだキズナは、苦悶の声こそ上げたが、倒れることはなかった。

 聖銀の拳に心臓の位置を貫かれたというのに、その大穴を涼しい顔で撫でるだけで、たちまち修復されてしまう。


「ちょっと、どうなってるのよコレ……」

「残念だったな、長南、行才。俺の体は特別製でね。この程度じゃ死ぬことはねえんだよ」

「この程度じゃ……? つまり、もっとデケエのぶつければ殺せるですね?」

「そいつは言葉の綾ってもんだ。不満なら言い直そう。俺は死なない。朝日と生涯を共にすると決めたんだ。こんな道半ばで死ねるかよ」


 臆面もなく言ってのけるキズナの背中を、高清水が頬を赤らめて見つめている。

 前方からは楪たちの、形容し難い白い眼差しが。

 そして、上方からは――


「へえ、ずいぶんキザなこというのね。寒気がしすぎて冬が来たかと思っちゃった」

「あン? ――っ!?」


 地獄の番犬の鋭利な爪が降ってきて、キズナの正中線と両肩口を切り裂いた。

 数拍遅れて円を描くように降りてきた魔女の箒が、楪たちの前で止まる。


「あのねえ、私が来る時って、どうしていつもいつも状況が変な方向に変わってるのよ!?」

「ええと……LINEは入れておいたのですが」

「嘘っ!?」


 魔女は鞄からスマホを取り出すと、唖然と目を瞬かせた。

 その背中へ、腰元から四枚下ろしになっているキズナの血走った目が向けられる。


「……おい、人斬り裂いておいて悠長だなコラ。誰だお前」

「あら、面白いわね。紛い物だとは思っていたけれど、本当に何なの貴方。紲がこーんなに小っちゃい時から面識があるのに、その記憶がないだなんて」


 まるで親戚の中年たちがするように指で豆粒を作ってみせてから、魔女は帽子を直し、ローブを翻して微笑を浮かべた。


無音よばらず・フラメル・迩来良ニコラ、無音・ホーエンハイム・亞祚斗アゾット――どちらなら心当たりがあるかしら?」

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