事故の手がかり
「あン? この声は、ハナか」
おヤチに頼み、
空いた皿をまとめて机の端に寄せたところで、件の訪問者がやってきた。
「週末の朝早くからごめんなさいね。昼から来るつもりだったんだけど、ちょっと訊かなきゃならないことができちゃって」
ショートボブの髪を手櫛で整えてから入室してきた女性を、紲は肩を竦めて迎え入れる。
きっちりとスーツが決まっているが、顔立ちは二十ン歳にしてはやや幼く見える。それでも瞳の底には冴えがあり、キレイ系の敏腕巡査部長として、署内では人気が高いらしい。
「あら、食事中だった? というか、御廟さんもいたのね」
「……ごめんなさい刑事さん。私のことは放っておいてください」
英の質問さえも袖にした楪は、そのまま机に突っ伏して「お嫁に行けない」いう呪詛をぶつぶつと繰り返し唱え始めた。
どういうこと? と訊ねてきた視線に、部屋の隅にいる花子を顎で示してやると、英は全てを察したような、複雑な顔で口角をひくつかせた。
「あー、あはは。懐かしいわね。私が着任して、ここへご挨拶に来た時だったから……三年前かしら。最初はびっくりしたっけ」
「してたのか?」
「してたわよ。ちょっぴり、だけどね」
英が照れたように指でスケールを測って見せたが、紲の言いたいことはそうではなかった。
「俺の記憶では、妖怪相手にメンチ切って見せたヤクザ刑事がいたような気がするんだが?」
「もう、御廟さんの前で変なこと言わないでよね。確かに、最初は霊とか神とか半信半疑だったから、新人いびりでもされてるんじゃないかと不貞腐れてはいたけどさ」
唇をすぼめてから、彼女はテーブルのトーストを指さして「いただいても?」と訊ねた。
「よろしければ、レタスとハム、卵もございますが」
「えっ、おヤチさんいいの!? 助かるわあ。昨夜は泊り込みだったんだけど、今朝は朝ご飯食べる暇もなく出動してきたから。誰かさんのお、か、げ、で」
「……まるで意味が解らないんだが?」
対面から半眼を向けられても、紲としては何のことやらさっぱりである。
「まあそれも、今の御廟さんを見たら何となーく察しちゃったんだけどねえ」
ヨジロウが淹れてくれた湯飲みのコーヒーを躊躇いもなく受け取る様子は、さすが勝手知ったるといったところか。
湯気を眺めてほうっと一息ついたところで、英が世間話でもするように笑った。
「今朝ね、署に通報があったのよ。『漆山さんの家から女性の悲鳴が聞こえた』ってね。オナカマの家だ、ってことでうちの課に回されて、宿直だった私にお鉢がパスされたってわけ」
「俺も有名になったもんだな」
「はいそこ。私が言うのもなんだけれど、褒めてないからね」
「すみません。私が近所迷惑なことをしてしまったばっかりに」
「ああ、いいの、いいの。御廟さんは気にしないで。テキトーに『事件性なし』って言っておけば済むことだから。あったとしても警察にはどうにもできないし。あくまで形式上」
所在なげに項垂れる楪を、英は軽く手を払って宥める。
そこへ、おヤチがサンドイッチの皿を持って戻ってきた。寝かす余裕がなかったからと、プラスチックの串を突き立てた状態のパンを、英は崩さないようにかぶりついた。
「やーん、やっぱりおヤチさんの作ってくれたものは美味しいわあ!」
「恐縮です」
「いやほんと。具材をきちんと温めてくれているでしょう? こういう一手間ができるだけで、女子力の評価が全然違うんだから」
こんど作り方教えて~、いいですよ~、などと気さくに交わす光景は、姉妹とはいかないまでも、仲の良い親戚のようだ。
「刑事さんも、家族みたいですよね」
「不本意ながらな。腐れ縁なだけだよ」
紲は耳打ちしてきた楪をそっと押し返す。こちらはこちらで、いつの間にか復活していた。
「それで、ハナ。訊かなきゃならんことが件の通報だとして。昼からの用件ってのは?」
「ちょいタンマ。その前に、御廟さんはどうしてここに?」
「こいつが寂しいと泣きついてくるからな、仕方なく住み込みの助手として雇ったんだよ」
「事実なだけに言い返せないですぅ……」
人差し指をつき合わせていじける楪に、英はふうん、と微笑んでいた。
こちらへ投げられた意味ありげなウィンクは、目を逸らして受け流す。
「捜査に進展があったのか」
「そそ。仁間淳平さんのご家族と連絡が取れたわ。父親は春の繁忙期で家を空けていたから、母親も、その……息子さんとその婚約者の邪魔にならないようにと、親戚に誘われて旅行に行っていたらしいの。私もまだ、電話でしか話をしていないのだけれど。事故を伝えた時の声は、それは悲痛なものだったわ」
英が食べかけのサンドイッチを皿に戻して、目を伏せた。
一方、紲は押し黙っていた。思うところがないわけではない。しかし、この手の感傷に一々触れていると、どうも参ってしまってならない。
我ながら、冷たい人間になれたものだと感心する。
「わざわざ出向いてくれたってことは、それだけじゃあないんだろう?」
「ええ。それが、妙なのよ。ねえ、御廟さん。お姉さんと淳平さんが会っていたのは、どれくらいの頻度だったかしら」
「ええと、多くても週に一度だったと思います。お互いに社会人でしたから、週末くらいしか時間が取れなくて」
「そうよね。けれど、淳平さんの母親は『ほとんど毎日会いに出かけるくらい、仲睦まじい二人だったのに』と仰っていたの」
「それは……確かに妙だな」
紲は眉間を揉んだ。縁側近くに移動し、食後の一服がてら、煙草で脳を燻す。
普通に考えて、親が把握している子のデート頻度など、口頭報告くらいしかないだろう。女性ならば、同じ女である母親がメイクや香水の仕上がりで看破することもあるかもしれないが、言わなければ、まず判らないものだ。
「親に嘘を吐いてまで、出かけていた場所があるということか」
「場所も調査済み。東根市にある、学生時代に仲間内でたむろしていた廃屋ですって。卒業して以降、悪友たちとも集まる場所は居酒屋へシフトしていったらしいんだけど、淳平さんだけは頻繁に出入りしていたみたい」
「そんなこと、誰が証言したんだ」
「その悪友の一人よ。何でも、淳平さんは結婚に必要なものを作っていたとかで、相談を受けていたらしいわ」
「相談、ねえ……」
煙草の火を消す。結婚に必要なものを、廃屋で? まだ、意図が靄の向こうにある。
眉間に皺を寄せて、見えてこないホワイダニットを凝視しながら、卓に戻る。それを勘違いしたらしい英がサンドイッチを千切って渡してくれたので、それはありがたく口に放り込んだ。
手間を惜しまない下拵えが施された具材がじわっとパンに馴染んでいく。葉物には昨夜のえごまを使いまわしているらしく、さっぱりとした辛味と塩気も調度いい。
「一度、見てみるか」
「何か心当たり、ある?」
残りのサンドイッチをパクつきながら、英が訊ねた。
「さっぱりだ。ヤマノケも妊娠・出産にこそ関係があるが、結婚にまつわる逸話はない。ただ、仮に仁間淳平が既に死亡しているのであれば、生前と同じように彷徨っている可能性もある」
「了解。一応、廃屋ということで、本来の管理者は別にいる物件だから、調査に行くときには私が同行するわね。本当はこの時間にアポとって、昼から、って考えていたのよ」
最後の一口を食べきった英は、ごちそうさまでした、と丁寧に手を合わせた。
「それなら、悪いが、予定通り昼からで構わないか?」
「構わないけれど。何か予定があった?」
「こいつを助手として雇ったからな。今後は買い出しなんかもしてもらうことになるだろうし、明るいうちに近所を案内しておきたい」
そう伝えると、にわかに英の表情が悪戯っ子のように歪んだ。
「はっはーん、デートだったら、邪魔はできないわねえ」
「で、デートですか!?」
「茶化すな
べこん、べこん、と小気味よくデコピンをかましていく。
「いーけないんだ、いけないんだー。せーんせいにー、言って痛っだぁ!?」
耳元で囃し立てるマタには、ついでに裏拳を喰らわせておいた。
今日も平和だった。このひと時だけは。
紲は目を細める。少し、嫌な予感がしていた。
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