エピローグ - 糸繋ぎ
翌春――
寒波の数の割に雪の少なかった冬が開け、少し早めに咲いた桜が町を彩る頃、矢野目夫妻の子がハーフアニバーサリーを迎えるのに合わせて、二人の結婚式が天童の式場で執り行われていた。
招待状は楪だけでなく、英や芽瑠、ニコラにも送られていた。あの日の顛末を聞いた二人からのささやかな厚意だった。
「本当におめでとう。美優、すごく綺麗だった。ドレスも似合ってるね」
歓談の時間に、楪は英たちとともに高砂へ挨拶に来ていた。子供を挟んで幸せそうに照れ笑いを浮かべる二人は、今日この日、世界中の誰よりも輝いているだろう。
守ることができてよかったと、楪は安堵した。惜しむらくは、美優の両親がついぞ参列しなかったことだろうか。古き時代には正しかったのかもしれない価値観も、時代に取り残される。そもそも正解なんてもの、存在しないだろうに。
「ありがとう。それと、楪もおめでとう」
「おめでとう」
美優と大輔の祝福が、楪の膨らんだお腹へと贈られた。
「さっき行才先生に聞いて驚いたけれど、もうすぐなんだって? ごめんね。ドレス、窮屈でしょう」
「ううん、気にしないで。私が選んだ道なんだから。今日の主役は美優なんだよ? 私に遠慮なんてしたら、それこそ承知しないからね」
えっへんと胸を張って頬を膨らませて見せると、後ろ髪を引かれたようにしていた美優の表情が、ほっと和らぐ。
楪の抱える命の芽は、今に十月を迎えようとしていた。ややもすれば既にその日を迎えているかも知れない中でこうして親友の式に参列できているのは、ある種の御加護かもしれない。
……もしかしたら、彼に似てお寝坊さんなだけかもしれないけれど。
「男の子? 女の子?」
「男の子。キミより一個下になるね。よろしくね、
美優と大輔の間にいるベビーカーを覗き込み、もちもちやわやわのほっぺたをつつくと、可愛い命がきゃっきゃと笑った。
「名前は決まってるの?」
「うん、この子の名前はね――」
遡ること数か月。ウメズ神との死闘の後、穏やかな夏を超えた楪は、英に付き添ってもらいながら芽瑠の診察室を訪れていた。
シャウカステンにエコー写真のフィルムをかけ、芽瑠がうむ、と大きく頷く。
「ま、予想通りですね。これで
その言葉に、楪よりも興奮気味なため息が英から上がった。
「わあ、良かったわね!」
「はい。これも、枝調さんのおかげですね」
あれから数日と経たずして、彼女の仰せ通りにわらび餅を買い付けた。天童市といえば、かつて御廟一家が住んでいた土地である。
一年程度では何も変わっていない町並みを散歩しながら、まさかと思ったことがある。距離のある中山町出身の枝調がわざわざここを指定したのは、楪の記憶を覗いた彼女なりの謝罪なのかもしれない。
だから、素直じゃない死神さんへ仕返しをしてやった。墓は当然紲や琴葉ら里の人たちと一緒にしたし、わらび餅は持ち帰り用の大箱に加え、春限定の大福風菓子『いちごわらび』も供えてあげた。もちろん、大人数で囲めるように複数箱ずつだ。
しめしめと満足して帰り、オフィスでみんなとつついたわらび餅は、とろける蜜の味だった。何故か翌朝に謎の高熱を出す羽目になったので、第二の仕返しを画策中なのである。
「一応医者として聞くですが、産むです?」
芽瑠が椅子に腰かけ、小首を傾げる。最近では望まない妊娠が多いため、おめでたとは容易く言えないのだそうだ。世知辛い世の中だと、楪は思った。こちとら、望んだことさえ叶わなかったかもしれなかったというのに。
「はい、もちろん」
「りょーかい。約束通り、必ずウチが取り上げちゃる」
意思は事前にも伝えていたため、カルテに走るペンに淀みはない。
「いやあ、これでやっと一連のことが解決したって感じね。ねえ、男の子? 女の子?」
「それが判んのは来月以降ですよ……つうか、なんでハナの方がはしゃいでやがるですか」
「ママ
「はあ……?」
英が突き出したピースサインに、芽瑠はあごが外れんばかりに落として呆れた目を向ける。
「私がお願いしたんです。さすがに、この目では厳しいことは理解していますから」
「ちなみに芽瑠はママ
「そのセンスの欠片もねえ名前にウチを巻き込むなし」
「なってくれないの……?」
「だから何でハナが言うんじゃっちゅーとろうが!」
芽瑠がうがあと吼えた矢先、診察室の裏から回って来た看護師から「行才先生、お静かにお願いします」と釘を刺され、三人は顔を見合わせて笑った。
「名前も決めなきゃねえ」
「性別もまだなのに気が早え……それとテメエだけは絶対口出すな。センスゼロですから」
「なにおう!?」
「実は、もう決めているんですよ。男の子でも女の子でも使える名前」
楪の笑みに、英と芽瑠は互いの胸倉に手をかけたままの姿勢で「ほ?」と変な声を出して目を瞬かせた。
胸を反らし、発表する。本邦初公開の、未来の名前を――
「セツナ。あの人の名前から字をもらって、
あたたかい
一番どや顔を向けたかった人は、もういなくなってしまったけれど。
「素敵! よろしくね、紲那くん」
そう言って、美優はお腹を撫でてくれた。ほら、もう縁がひとつ繋がった。
ひとつひとつの人生は儚いのかもしれない。不慮のことで、あっけなく散ってしまうこともあるかもしれない。そんな、いつほつれて切れてしまうかもしれない命の糸も、寄り添い、撚り合わせることで、一条の脈になる。
楪は目を閉じ、自分の中に息づくもう一つの鼓動に耳を澄ませた。
「(紲さん。どこかで見てくれていますか)」
私は、しあわせです。
――ムカサリ第二部【白蛇ノ命詰籠】(了)
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