再臨

 インパネの上に放り出していたレシーバーから、ノイズが走った。


『――山形本部より十三課』


 車内に緊張が走る。ひっきりなしの煙草で手が塞がっている英の代わりに、助手席の楪がレシーバーを取り上げた。


「こちら十三課。どうぞ」

『酒田署より入電。国道47号線沿いにて、ライダースジャケットを着用した男性、死亡確認との由、どうぞ』


 息が、止まりそうになった。

 胸の上から拳で叩き、自分を奮い立たせる。


「……状況の詳細を教えてください。どうぞ」


 問いかけには『えー』という逡巡が返って来ただけで、そこから先は聞こえてこない。普段十三課を鼻つまみ者として扱う本部の人間でさえ、躊躇うほどらしい。

 しかし楪は毅然と「構いません」と答えた。暫くの間が空き、またレシーバーに反応が届く。


『えーマルタイ、最上川上空にて浮遊中、下半身、次に上半身の順に損壊。よって、遺体の回収も不可能とのこと。時間十九時三十一分。扱い酒田署池田ですどうぞ』

「了解しました。受信漆山です、どうぞ」


 楪が名乗ると、本部の担当者がハッと息を呑み、それから慌てた様子で『い、以上、山形本部』と打ち切った。

 それがどこかおかしく感じて、くすりと笑いが漏れる。


「私よりも、向こうの方が焦ってましたね」

「そりゃあそうよ。今際の様子を話して聞かせた相手が妻本人だなんて、私でも肝が冷えるわ」


 英が灰皿に吸殻をねじ込み、新しい一本に火を点けた。しかし確かに紲の状態が判明したことで、煙を吸うスピードは多少落ち着いたように見える。


「空中に浮遊していたって言ってたけれど、彼、口寄せの能力は戻ってるの?」

「いいえ、聞いたことありません。庄内に行っている間も、使っていませんでしたし」


 首を振って、楪は、見えて来た交差点を指さして「そこを右です」と指示する。

 見えて来た一軒家の前に、英の車と、その後ろに着いてきた芽瑠の車が並んで止まる。

 車を降りた楪はが振り返り、無線のことを告げると、芽瑠が顔を顰め、ニコラがじっと目を伏せた。


「……あいつは、成功したんか?」

「それを願うしかないわ。メリーさんたちから入って来た情報としては、少なくとも白蛇はまだ生きているそうよ。それも、首の数が五十を超えたって」

「化け物もここに極まれり、って感じね」


 煙草を揉み消した英が、苦々しい顔で言った。


「一般人の目には視えていないことが救いかしら」

「ウチには視えたですけど?」

「貴方の場合は、紲くんと関わった影響でしょうね」


 肩を竦められ、芽瑠は「いらんもん遺しやがって」と吐き捨てる。不思議とどこか、嬉しそうな横顔である。


「安隆寺のこともあります。私たちもできる限りのことをしなければ」


 顔を上げた楪に、英たちが頷く。

 そこへ、声がかけられた。


「あのう……うちに何か御用でしょうか?」


 この辺りの田舎では、未だに『部落』ということばが『地区』と同義で用いられる。そんな住宅地に似つかわしくない高級車が二台も連れ立って来たのだ。無理もない。

 不安そうに顔を出した女性――矢野目美優は、こちらの大半が見知った顔だと気が付くと、目を丸くした。


「楪と、皆さん? どうしたんですか」

「急にごめんね。色々説明しなきゃならないんだけど……今、大輔くんは家にいる?」

「ううん。今日は休日出勤してる」

「そっか。じゃあひとまず、二人分の外泊準備をしてもらっていいかな?」


 胸の前で手のひらを合わせて申し訳なさそうにする楪に、美優はまた驚くのだった。



 楪だけが家に上がり、荷造りの手伝いをすることにした。


「そう、だったんだ」


 白蛇にまつわることと、昨夜に安隆寺の母子シェルターを反対した理由を聞いた美優は、キャリーバッグに着替えを押し込んだ姿勢で、眉を下げた。


「大変だったんだね、楪」

「信じて、くれるの?」

「もちろん。急に視力が悪くなったのもそうだけど、あの日から楪の顔つき、変わってたからね。しかもそのすぐ後に、どこで接点があったのかも謎な人と突然婚約するし、進路は警察署だって言うし、何かあったんだろうなあってのは、わかるよ」


 予想の斜め上でびっくりはしたけれど、と苦笑する美優に、楪はほっと胸を撫で下ろした。万が一にも気持ち悪く思われて、親友すら失うことになれば、さすがに立ち直り切れるか不安だった。


「それで、私はどこへ泊るといいの?」

「今の私の家にだよ。魔除けがされているから、少しは安全だと思う。家にあるものは自由に使ってくれて構わないから」


 そう言いながら楪が畳んだ服を手渡すが、しかし、美優の受け止める手が止まる。


「……楪たちは?」

「今日は、帰って来られないから、大丈夫。気にしないで」

「いやいや、気にするよ!」


 血相を変え、膝を立てて寄って来た美優は、服の代わりに楪の手を握った。


「楪、ちゃんと帰ってくるんだよね?」


 必死に訴えかけてくる瞳に、楪は微笑んで返した。つい数時間前の自分も、このような顔をしていたのだろうか。だとすれば、嘘を吐いてでも宥めたくなる気持ちも理解できなくはなかった。

 同時に、伝わる手の温もりから、力が湧いてくるような錯覚も覚えた。守るものがあるということは、自分の心も強く守ってもらえることなのだと、この立場になって身を以て思い知る。


「うん、必ず。美優と大輔くんの結婚式に出るって、約束したでしょ?」


 だから頷いた。だから、笑って見せた。勝算なんてまるで見えていないけれど。

 私は、美優を――必ず守り切らなければならないと。






 そこから搭乗員の入れ替えが行われた。署に戻る英とニコラ側に美優を任せ、漆山家へと送り届けてもらう。一方の楪は、芽瑠の運転する車に乗り込んであかねヶ丘を北へ下り、中山町へと向かっていた。

 中腹部の十八夜観音に手を合わせ、山の中にひっそりと建てられた里の人や姉たちの墓に参る。墓参りのこともあって、ここまではあれからも何度か来たことがあった。

 懐中電灯の光を山の奥に向け、怖気づきそうになるのを足踏みで誤魔化す。


――里でカップルができる時にはたいてい、告白のスポットはここだった。想いを伝え合った後、山の影に太陽が隠れたことであっという間に暗くなる山道を、手を繋ぎながら帰るんだ。二人が歩く未来を、慎重に、身を寄せ合ってな。


 かつて紲が、そんなことを話してくれた。なるほど確かに、ライトで照らしても届かぬような深い闇である。

 人の未来は斯くあるものなのだと、楪は思った。五里霧中。一寸先は闇。それでも歩いていくのだ。だからこそ、一生懸命足を踏み出すのだ。


「足下大丈夫です?」

「はい、ご心配なく。どのみち、目が見えていないので大差ありません」


 気丈に笑って見せる裏の不安は隠せなかったのか、芽瑠が歯を見せて手を繋いでくれた。

 二人で慎重に、山を登る。

 記憶を頼りに進むと、やがて開けた場所に出た。隠れ里だ。

 一度越冬しても、ほとんどあの日のままだった。護摩火や地獄の業火に焼かれた跡に雑草が芽吹き始めているくらいだろうか。

 あそこでコーヒーを飲んだんですよ、あそこでカミツケをしたんですよと、辿りながら思い出をかき集めるように話す楪に、芽瑠は黙って相槌をくれる。

 朽ち果てた集落の一角に、目的の場所があった。


「これは、柱が切断されてんのか……?」


 すっぱりと断ち切られて崩壊しているその家に、芽瑠が眉を顰める。


「おそらくこの辺りが、紲さんとの戦った場所でしょう」


 楪は頷き、懐中電灯で舐めるように地面を照らす。

 それは思っていたよりもあっけなく見つかった。――あるいは、まるで楪に見つけてもらおうとしていたかのように、そこに現れ出て来たのかもしれない。


――山の神に直接供物として捧げたものだから、多分形そのままに残ってるだろ。


 彼の推測通り、それは腐ることなくそこにあった。奇しくも代わりに、痛々しい断面もそのまま残っている。


「あったですね。ドグサレの指が」

「はい。もし、十分経っても私が戻って来なかったら――」


 言いかけた口は、背中を叩いて塞がれた。


「そん時ゃ一蓮托生です。まずは目の前の相手に集中しろですよ」


 そう言って、また芽瑠は背中を叩き押してくれた。

 紲の姿が消えたことを受けて、楪が彼女たちに頼んでいたことが、この『指探し』だった。

 ニコラの工房での会話を思い返す。


――……他にも残滓の混じり気があるみたい、だけど。

――そこまで解んのか。それは……どっちだろうな。巫女としての力を引き起こした琴葉か、ムカサリ絵馬の呪いとして引っ張っていた枝調か。

――……多分、前者。悪いモノではないから。


 あの時、紲は彼女の力が自分に入っている可能性を挙げた。つまり、私の中に、彼女の力を入れることができるということ。その後で彼が押し黙り、何か考えるような様子を見せたことが、楪が着想を得るきっかけとなった。


 ここは岩谷霊場。山寺と緯度・標高を同じくし、かの出羽三山の地に在りながら、一つの最高峰として君臨する聖域。

 この地で私は、一年ぶりにオナカマ巫女として再臨する。


「力を貸してください、琴葉さん」


 宝物を掬い上げるように、紲の薬指を胸元に抱え、目を閉じる。三つほど静かに呼吸をしてから顔を上げれば、そこは薄暗い伽藍洞の中だった。

 縦に彫られた井戸の底のような場所。湿気の類は感じられなかった。日の光は射さないが、ぼんやりと空間全体が仄かに光っているため、足下に不安はない。

 襲い来る生温かい気配に包まれながら、楪は螺旋状に彫り出された階段を降りて行く。

 底の方に辿り着く。一見何もないように見えるが、自分の中の琴葉の力の一端が、そこに異物があることを教えてくれる。


「そこにいるんでしょう?」


 楪は意を決し、底の中心でゆらゆらと燻ぶるような瘴気へと声をかけた。存在を知覚したことで、その瘴気が輪郭を帯びて行く。


「力を貸してください。いえ、力を貸しなさいーー」


 その背中に向かって、忌み名を告げる。


「珠ヶ谷枝調さん」


 瘴気の表面を八雷が駆け巡り、そこに色が戻った。黄泉比良坂に生えていたという桃の木の果実のように白い紅色の頬は、確かに琴葉あねの姿によく似ていた。

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