第四章 阿羅漢
助太刀
振り返った顔には、どことなく琴葉の面影があった。ただ姉がキレイ系であれば、こちらはカワイイ系とだろうか。目元や頬の丸みなど、猫のようにころんとした印象を受ける。
しかし『異なるもの』には変わりない。惑わされてはいけないと、楪は気を引き締める。建前こそ『力を借りる』と言っているものの、やらなければならないことは、彼女の『使役』だ。紲がヨジロウたちをそうしていたように、ニコラがチャーリーたちをそうしているように。懐柔ほど優しくてもいけない、征服ほど一方的でも果たせない。共存の契約である。
「思っていたよりも綺麗ですね。黄泉比良坂でのイザナミは、体が腐敗し、蛆が湧いていたそうですが」
「そりゃあそうよ。同化はしていたけれど、私、永遠の十六歳だもの」
枝調の口元が、にぃと吊り上がった。小悪魔――いや、悪魔の笑みだ。黄泉の底だというのに、平和な朝に小鳥が囀るような軽やかな声色が蠱惑的に耳を障る。
幾何かの時間、視線が交錯する。彼女は満足そうに喉を鳴らすと、ぐるりと視線を巡らせた。
「あんた一人? 紲はいないの?」
「――亡くなりました」
「はあっ!?」
猫目がまん丸に見開かれた。空いた間合いに、楪は爪先を滑り込ませる。
「一度彼を殺したことがある貴女が、驚くことないでしょう」
「あのねえ。あたしが手にかけることと、どこの馬の骨かも判らない存在に掠め取られることは同義じゃないの。わかる?」
「面白いことを言いますね。私は紲さんが『殺された』とは言っていないのに、事故や病死の可能性は微塵も考えていない」
楪が半眼を向けて言うと、枝調は一本取られたとばかりに膝を打って笑った。ひとしきり肩を揺らしてから、乱れた袂を直す。所作の品は巫女然としていて、態度の尊大さとの乖離があった。
「これでも、本気で紲のことを愛していたのよ」
「でしょうね。ムカサリ絵馬を悪用したことは今でも赦せませんが、そこに至った気持ちは、痛いほど理解できますから」
その答えが意外だったようで、枝調は睫毛を伏せ、瞳を彷徨わせた。
糾弾された方が楽だろう。けれど、してあげないし。できなかった。
もし、自分が呪いに巻き込まれていなかったら。もし、紲がオナカマの里の人間でなかったら。もし、そんな状態でムカサリ絵馬のことを知ったなら。
――きっと私は今頃、彼を追って自分をムカサリ絵馬に描いているだろうから。
「言っておくけれど、今のあたしに口寄せは無理よ?」
「それも承知の上です。それに、紲さんの躰はもう、現世にはありませんから」
「……何ですって?」
枝調の声が、怪訝にトーンを落とす。
「一体ナニにしてやられたわけ?」
「神です。異教に造り上げられた、魔仏神三教混在の蛇神です」
「呆れた。異なる神話の神を同一視をするのは正解だけれど、人が別けた信仰を混ぜても意味がないのに。根源とは程遠い、継ぎ接ぎのデウス・エクス・マキナが出来上がるだけだわ」
「私に言われましても。是非とも本人に言ってあげてください」
「どうしても、あたしをノせたいみたいね?」
からかうような視線に、楪は真っ直ぐ頷いた。
「先ほども申し上げた通り、今の貴女の力を借りに来ました。私の中に在る琴葉さんの力を引き出し、黄泉国の女王と繋がった神の力で、私を巫女にしてください」
「なるほどね、弔い合戦をするために堕龍を迎えたいわけだ。それなら、もう二顧してもらおうかしら。紲の指以外に、何をかすがいとするのか見ものだわ」
「いいえ、弔い合戦ではありません」
「うん?」
「紲さんは彼の神を斃すために逝きましたから、その意志は現在進行形で続いています。私は……いえ、私たちはそれを支えるだけです」
ここまで座していた枝調が、初めて立ち上がった。つかつかと歩み寄ってきて、こちらの目をじいっと覗き込んでくる。
彼女の瞳の色は、銀河のように渦巻いていた。一切智々を司る
「あんたのカラダ、乗っ取っちゃってもいいの?」
「構いません」
「ふうん、惜しくないんだ。もしかして、紲との子供もいない感じ?」
「わかりません」
「へーえ?」
楪は毅然と受け止めた。その
どれくらいそうしていただろうか。永遠の時間に感じられた。
「へえ。へえ、へえへえへえ!」
まるで神楽を踊るように、枝調が飛び跳ねた。くるりと一回りをして、膨らんだ袖と袴の花で花を作る。
「面白いじゃない。気に入った。あたしの力、使わせたげる」
小悪魔な微笑みを浮かべて、枝調は足を踏み出し――楪に重なった。
英とニコラは、美優を漆山家に送り届けた後で署に戻ってきていた。夫である大輔とも連絡が付き、帰りは真っ直ぐに妻の下へと向かってもらう手筈になっている。
まずは一安心だ。そう、一安心。そう頭では解っているのに、どうしても気が逸る。焦ったところで彼の死は確定しているのに。
手が震え、薬莢を取り落としてしまった。応接デスクに敷いた半紙の上に黒い粉が散る。
『あはは、へたくそー!』
メアリーの声が飛んだ。すかさず『メリーたちも人のこと言えないでしょ』と赤いビスクドールの優しいフォローが入る。
英は眉間を揉みながら、彼女たちを宥めた。
「いえ、メアリーちゃんの言う通りよ。火薬ってのは、銃の種類によって適切な装薬の量が決まっているもの。集中しなくちゃ」
「……手順通りになら、多少大雑把にやっても範囲内に収まるわ。
「ありがとう。けれど、特別なものだからこそ、ちゃんとしたいのよ」
「……そう、素敵な心がけね」
ニコラの指示でジェニーが運んできた紙コップのコーヒーを受け取り、一息に煽る。
警官になってはじめて変死体を見た時のような油汗が背中に浮いているのを感じる。いや、どんなに原型を留めていなくても、彼の肉塊を目視した方が安心できたかもしれない。
けれど、楪はそうしなかった。
最も心が押しつぶされそうな彼女がそう言うのだ。過去の女未満風情が浮足立ってなどいられない。
再び装薬と、ニコラ特性の灰をそれぞれ量りに乗せ、よく混ぜ合わせカートリッジに詰める。
吾妻や人形たちも手伝ってくれたことで作業は捗っている。
最後の一つを詰めてスピードローダーに挿した頃、楪と芽瑠が戻って来た。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい。まずはお疲れ様」
英は彼女用にミルクと砂糖をかき混ぜたコーヒーを用意し、手渡した。
受け取った楪の顔つきが、わずか小一時間で随分大人びたように見える。
「その様子だと、上手く行ったみたいね」
「上手くぅ? ちょっと、あたしを丸め込めたみたいに言わないでくれる?」
彼女の口から発された、やや鼻にかけたような可愛らしい声に、英は目を瞬かせた。顔つきが変わったと思ったが、口調と声色まで変わるものなのだろうか。
しかし、そうではなかったようだ。ほくそ笑んだかに見えた顔が、急にしかめっ面に変わる。
「発言を許した覚えはありませんよ。 ――あら手厳しい。神のあたしより上に立つつもり? ――私は紲さんの妻です。あなたより格は上でしょう? ――ふふふ、あはははは! 言うわね。そういうの好きよ?」
百面相のように表情と声色を切り替えながら、楪が一人で会話している。
「車ん中でもこんな感じだったですよ……マジ賑やかでしたわ」
芽瑠が困ったように肩を竦める。
「ごめんなさい。琴葉さんと違って聞かない子で」
苦笑した楪は、またも変わろうとした表情を押し止めると、デスクの上に並べられた銃弾に気が付いて、わずかに瞼を押し上げる。
「これは……?」
「銀の弾丸よ。私も参戦するために、ニコラさんに材料を用意してもらったの」
「もち、ウチも出張るですよ。――支払いは五年ローンでいいです?」
「……取らないっていってるでしょう」
歯を見せた芽瑠に、ニコラが呆れたようにため息を吐いた。
「二人とも……いいんですか?」
「むしろ、ここで外されたりしたら怒るわよ?」
「テメエを殺してウチも死ぬ!って奴ですね。……ただ、銀の弾丸アリとはいえ、キングギドラにチャカ振り回すんが足りるのかと言われれば耳は痛えですが」
『ハゲ、ゲロキモだけど強いもんねー』
『へんたいでばかだけどねえ』
肩を竦めた芽瑠に並んで、ジェニーとエミリーがひそひそと内緒話をするように笑う。もっとも、声は一切憚られていないが。
デスクの上を片づけてくれていた吾妻が、半紙を丸めながら申し訳なさそうにした。
「ごめんね、僕が若ければ前線に立てるのに……」
『メリーたちも、多分ニコラの後ろにいると思うから……』
「いっそ、署の連中に赤札出すですか? 少なくとも本部の奴らはこの件把握しとるんじゃろ?」
「事後処理してくれるだけ御の字よ。それに、彼らじゃ蛇が視えないんだから」
やるしかないのだ。欲を言えば、かつて紲が楪に使わせたような御札があればとは思うが、件のヨジロウやおヤチたちは眠りについている。
ないものをねだっても仕方がない。不安を誤魔化すように、リボルバーに
その時だった。
不意に、英のロッカーが内側からノックされるような音がした。
その場の全員が何ごとかと顔を見合わせていると、それを無反応と取ったか、ノックの音はだむだむと可愛らしいドラミングに変わる。
「まさか、この状況で新手だったりしないわよね……」
「本陣奇襲は笑えねえですよ」
生唾を飲み、意を決してロッカーの取っ手に指をかける。念のために掲げた銃は、果たして通用するだろうか。
「……開けるわよ」
ロッカーを開け放ち、銃を構える。
「――は?」
目に飛び込んできた『ドッキリ大成功』の看板と小さな指のピースに、英は不意を突かれた。
驚いたのは向こうも同じだったようで、自分にS&Wの銃口が向けられていることに気が付くと、あわあわと看板を取り落とし、ピースをパーにして首を横に震わせた。
「え、花子さん!?」
コクコクと頷くおかっぱの昭和少女に英が警戒を解き、身を引く。
次の瞬間、ロッカーから飛び出した四十六人の花子さんが、部屋いっぱいに拡がって――まるで堅気ではない者がそうするように、片膝と拳を突いて跪いた。
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