座釈迦

 英からの返事で告げられたのは、三階にある外科の手術室だった。エレベーターの扉が開くと、壁にもたれて待っていた英が小さく手を挙げる。


「例のモノは見たのか?」

「見たけれど、さっぱり。なんて言えばいいのかしら……ほら、座釈迦って呼ばれるタイプの仏像があるでしょう。あんな感じ」


 言葉を探しながら述べられた第一印象に全く想像がつかず、紲は曖昧に返事をする。「だから見た方が早いと思うわ」と苦笑しながら、英は一番奥まったところの通路を曲がった。

 表札もない部屋の前で、これまた壁にもたれて腕を組む、手術着姿の小柄な女医が待っていた。


「よお、めーるるん」

「ご挨拶ですねえ。次にその呼び方したら解剖ゼクんぞ、お?」


 帽子とマスクの間から覗いた目が威圧的に歪んだ。小心な男ならこれだけで失禁してしまうだろうが、こっちは慣れた者二人と、あまり視えていない者一人だから、効果はいまひとつである。


「この方が……ですか?」


 メルルンさんですかと言いかけたのを、楪がぐっと飲み込んだ。


「そうだ。行才ぎょうさい芽瑠める。俺とハナの同級生で、ここの医師だよ」

「普段は産科勤務なんですけどねえ。誰かさんたちの同級生だと知られちまったが最後、厄介な件をマワされるようになったですよ」


 自嘲気味にため息を吐いてから、手袋を外して手を伸ばした――ところで、芽瑠は楪の顔をじいっと覗き込んだ。


「ええと……?」

「ああ、どこかで見たことがあると思いましたが、御廟紫さんの御遺族でしたか」

「あ、はい。そうですけど……」

「あの時帝王切開を執刀したのがウチです。改めて、その節は」


 正した背筋からぴしっと三十度頭を下げるのは、さすが武道畑の人間だろう。

 楪は礼を返し、おかげ様で姉は安らかに逝けましたと言葉をかけた。


「改めまして、漆山楪です。よろしくお願いします」

「漆山ァ?」


 虚に豆鉄砲を打ち込まれ、芽瑠が唖然と目を剥いた。マスクの端から引き攣った頬がはみ出している。

 紲は堪えきれずに噴き出した。楪に電話を取らせなかった甲斐があるというものだ。


「後で話す。それで、ホトケさんは? マジの仏みたいだってのはハナから聞いたが」

「おう、そうでした。ちょいと待っとれ」


 手術室の中に入って行った芽瑠は、ほどなくしてマスクと小さな青い布を持って出て来た。


「これを被れです。楪は、髪をまとめるゴムとか要るですか?」

「いいえ、自分のがありますのでお構いなく」


 楪は手首からヘアゴムを外して髪を結い上げ、その上から帽子を被った。


「靴とかはいいのか?」

「どうせここは解剖ゼク室ですし、唾や髪だけ気ィ付けてればいいですよ」

「そういや気になっていたんだが、山形に監察医制度はないだろ」


 紲の疑問には、英から「大々的にはね」と答えが返ってきた。


「ご遺族から依頼を受けたり、承諾を頂いた際にはやっているのよ。事件によってはご遺体を運んでいる猶予もなかったりするから」

「ですです。かといって他のオペ室と混ぜるわけにも行かねえですから、こうして奥に隔離された秘密の部屋があるですよ」


 病院も大変だなと紲は唸った。万人に『霊安室』と知られている安置室とて、院内フロアマップからは消されていることが殆どである。

 芽瑠に続いてスイングドアをすり抜けた紲は怪訝に顔を顰めた。事前に耳にしていながらも、奇妙の一言以外の感想が出てこない。斜に構えて本職風の言葉を捻り出すのならば『あやしい』といったところだろうか。

 手術台に置かれていたのは女性の遺体だった。傷一つない綺麗なもので、まるで自らそこに座しているかのように優しげな微笑みを湛えている。腰元から下は編み笠に似た藁籠にすっぽりと収まり、隙間いっぱいに詰められて溢れんばかりの白い絹が遺体を包む様は、なるほど仏が蓮の葉から生まれ出でる様子に見えなくもない。


「遺体で人形遊びでもしたのか?」

「さあ。発見された時にはこうだったらしいですよ。ちなみにこの笠と布は、材質も正しく笠と布ではありますが、びくともしねえです。本体も然り。辛うじてスキャンなんかは出来たですが、刃は立たないわ籠から出せないわでお手上げじゃ」


 渡されたゴム手袋を付けて触ってみた。布の柔らかい手触りは伝わってくるのに、曲げることすら叶わない。隙間から蓮の葉の中を覗き込んで、紲はあることに気が付いた。


「妊娠していたのか」

「正確には『している』です。死後五日が経過していながら体は腐らず、腹ン中の子供は生きてるですよ。元気な男の子ぞ」


 台に並べられたエコー写真に映る胎児を眺めながら、英が首を傾げる。


「仮にこのまま成長したとして。刃も立たず籠からも出せない状況で、どうやって産むのかしら?」

「さあ。このドグサレをヘソかチチ辺りにでもしゃぶりつかせて、させりゃいいんじゃねえです?」

「ほざいてろ。だいたい、生きてる奴を口寄せはできねえよ」


 立てた二本指をくいと曲げた大変面白い冗句を手のひらで払う。死んでたら乗り気ではあるんか。次言ったら一生メルルン呼びしてやる。そんな風にぎゃあぎゃあとじゃれている隣で、子供という単語を口の中で反芻しながら遺体を観察していた楪が、小さくあっと口の中に言葉を含んだ。


「そう考えるとこの布、おくるみのようにも見えますね」


 言われてみれば蓮の葉のように見えていた部分は、幼児の後頭部から頭の先までを包む布の角の部分にも見える。


「おくるみ、ねえ……母体を包んでどうするんだ」


 ぼやきながら、ふと、紲の脳裏に近しいものの存在が浮かんだ。


「これアレだろ、アレ。いづめこ人形」

「何ですか、それ」

「庄内地方の民芸品だよ。昔の人間が農作業をする間、『飯詰籠いづめこ』という、藁で作った飯の保温籠――つまりバスケットに子供を入れて保護・保温をしながら育てた様子を象ったもんでな」

「こけしみたいな感じ?」

「子の健やかな成長を祈願するという意味では似たようなもんだ。本来なら中に入っているのは子どもの人形だが……」

「そういや本件の依頼人であるご遺族も、住まいは鶴岡だったですね」


 壁の棚からタブレット端末を引っ張ってきた芽瑠が、いくつかの操作をしたあとでタブレットをひっくり返して見せる。


「構造がそっくりね」

「かわいいですね。猫壺みたい」


 画面を覗き込んで、英と楪が口々に感想を漏らした。若干一名不届きな輩がいた気がするが。

 一方紲は、腕を組んで黙り込んでいた。いづめこ人形だと判ったところで、解決の糸口は先端すら見えてこない。目を凝らしてみても一寸先は霧の中だ。


「庄内か……行くのが面倒くせえな」

「頑張れ男の子!」

「へいへい」


 英が無責任に立ててくる親指に、紲は生返事で返した。

 こと山形では、ちょっと出かけるだけで片道一時間はザラである。我が家から最短で国道112号線に乗り月山道を飛ばしたとしても、鶴岡市内のスーパーが見えてくる頃には一時間半程度はかかる。楪を乗せることを考えれば五割増し、余裕を持って倍くらいの見込みをしていた方がいいだろうか。


「とりあえず飯にしねえです? せっかくだ、少し話もしてえですし」

「紲くんたちはご飯大丈夫? なめこのお味噌汁食べたんじゃ……」

「ああ。こうなるだろうと思って軽くに済ませたよ。味噌汁の残りも夕飯にすればいいさ」

「おう、珍しく気ィ利くですね。丸くなったか?」

「うるせえよ。俺は元から人畜無害だっての」

「「「嘘だあ」」」


 途端に上がったブーイングからは耳を塞ぎ、紲は一足先に手術室を後にした。

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