桃華楼

 病院駐車場から東側に出てすぐにある中華飯店の暖簾をくぐる。病院の利用者以外にも地元民から愛される老舗で、紲も仕事で入院患者と会う際は帰りに寄るのが専らの習慣となっていた。


 英と芽瑠がエビチリと八宝菜の定食を頼む傍ら、紲が五目ラーメンを頼もうとしたところを、楪からため息交じりの苦笑で諫められる。


「私に合わせなくても大丈夫ですから。ちゃんと食べたいものを頼んでください」

「いや、これが食べたくてな……」

「嘘ばっかり。表にあった看板を見て『美味そうだな、エビチリ』と仰っていたでしょう」


 聞かれていたことよりも、似合わない低音での物真似の方が気恥ずかしくて、紲は口ごもった。似てる似てると手を叩いて悦ぶギャラリー二名は八つ当たりがてら黙殺する。


「山形のラーメン消費量が新潟に負けていることが悔しくて抵抗する、という理由なら?」

「却下です。あれは家計調査だから、店で何食食べても直接カウントされるわけじゃないと話してくれたのは紲さんではありませんか」


 紲は白旗を揚げ、店員に詫びつつ定食を一つ追加した。最後に楪が「五目ラーメンで」と告げる。

 店員が引き上げていくのを待ってから、芽瑠があごで壁の向こうを指した。


「もしかして、そっちの龍上海ラーメン屋の方が良かったです?」


 声を憚りながらの気遣いに、楪は少し慌てたように手を振る。


「お構いなく。眼の都合で、どんぶり一つで完結するメニューが食べやすいというだけですので」

「眼……?」


 芽瑠が難しい顔で目を瞬かせる。そういえば彼女が御廟紫の件を担当した段階では、まだ楪の視力は健常だったか。

 料理が来るのを待つ間のお通しと洒落込み、紲は経緯を噛み砕いた。


「――なるほど。ムカサリ絵馬の悪用とは、難儀だったですねえ。その時点でウチにも声かけてくれれば、目はともかく、指くらいは繋げてやったですのに」

「お、良いな。山の神に直接供物として捧げたものだから、多分形そのままに残ってるだろ」

「じゃあ拾ってこいですよ」

「嫌だよ。ンなことしたらムカサリ絵馬なんざ目じゃない天罰を下されるぞ」

「さっきの『良いな』は何なのよ……」

「いや、なんとなく。芽瑠が医療目的として拾うのなら、ワンチャン赦してもらえたりするんじゃねえかと」

「人畜無害が聞いて呆れんぞ」


 芽瑠は吐き捨てるように言って、話の間に運ばれていた八宝菜を口に突っ込んだ。


「つか、式くらい呼べですよ。自分で言うのも癪ですが、ウチらダチだべ?」


 仰向けにした中指をくいくいと曲げた『面を貸せ』の仕草に、紲はエビチリを掬った手を止めた。


「式は来年までお預けだよ」

「あン?」

「今の俺は警察所属の扱いになるからな。最近では成人年齢が引き下げられたとはいえ、さすがに未成年相手の式に警察の連中は呼びづれえだろ」

「と、私が言いました」


 どこか得意げな楪に、対面からこちらへ茶化すような生温かい半笑いが送られた。別に尻に敷かれているわけではないと、紲も鼻白んで返す。

 ふと、芽瑠が何かに気付いて視線を明後日に向けた。


「出会って一年で……来年二十歳? おうハナ、こいつしょっぴけ」

「そういうことを言うアホがいるから待つんだよ。テメエも手錠を探すな」


 腰の辺りをまさぐっている英を制し、エビチリで口を直す。小海老の身は歯ごたえがあり、チリソースも下手な雑味あまさのない、いつ食べても安心する味だ。


「冗談ですよ。まあ、子供ができたら責任持って取り上げてやるから、ウチに言えや」

「それも、来年以降ですかね」

「成人式の着物に、結婚式のドレス。着たいものを着せてやりたいしな」

「……なあハナ。こいつ、呪われて別人にすげ替わってたりしねえです?」

「私たちはいつもの紲くんを知っているけれど、学校ではけっこう女子人気高かったでしょう」

「ああ。里の件も、妹の方がやらかしたからだったですね」

「モテる男は辛いな」

「今の発言は真正のだな」

「ホンモノって言えコラ」


 穏やかではない言い回しに、思わずお冷を噴き出しそうになって咽る。

 お前も何か言ってやってくれと楪に助け舟を求めたが、彼女は麺を啜りながらふふふと意味深に笑うばかりだった。


「漆山家は賑やかそうですねえ。あいつらも相変わらずです?」


 芽瑠はそう言ってから、英の顔が気まずそうにしたのに気づいて睫毛を伏せた。話を端折ったのは自分であるし、気にするなと水のお代わりを注いでやる。


「あいつらのことだ。あの世のどっかで元気にしてんだろ」

「実はNHK日本花子さん協会の皆さんも、会議自体は変わらずうちを使っているんですよ。臨時総長は京都の花子さんだとか」

「へえ、京都の花子さんって強いのね」

「関係性の方だな。山形は昔から、酒田港と京都の間で交流が深いんだよ。だから庄内の方の方言は、京都訛りのような柔らかいイントネーションが多いと言われているんだ」


 故に、内陸側と庄内側の大きな違いとして『問題』がある。「そうだ」に該当する「んだ」をベースとして、江戸から経路の続く内陸側では「そうだよ=んだ」と語尾が下がり、疑問形の「そうなの?」では語尾が上がる。それが庄内弁では字面こそ同じではあるが、用途別のイントネーションは真逆なのだ。

 初見では戸惑いこそするが、斯波氏~最上氏辺りの戦国時代には既に領として繋がっていた部分もあるため、芋煮が醤油か味噌かということさえ目を瞑れば、別段東西で特別仲が悪いというわけでもない。この辺りも、おおらかと評される県民性の表れだろう。


「せっかく縁のある子たちですし、庄内の調査も協力が得られると助かるんでしょうけどね」

「ないものねだりしても仕方ないさ。それに当てならある。多分」

「多分?」

「「ああ、『西』の……」」


 首を傾げる楪とは対照的に、英と芽瑠が何かを悟ったように表情をだらりと崩した。

 そう、歴史的には別に東西で特別仲が悪いわけではない。しかし、東西で因縁を持つ者がいるかどうかは、別の話なのである。

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