目撃証言
得体のしれない存在となったシラベと遭遇した翌朝、紲は琴葉の部屋へと来ていた。
「琴葉。昨夜、枝調に会ったよ」
壁にもたれて、話しかける。
「どうやら、あいつ自身が冥界の舟守になってしまったらしい。幽霊であるはずなのに、おヤチの攻撃が届かなかった。神の雷も試してみたが、てんでダメだ」
八方塞がりである。
「……こんな経験はないんだ。ヨジロウにも相談したが、奴も判らねえんだと」
おぼつかない足取りで生骸に歩み寄り、紲は膝から崩れ落ちた。
かつての笑顔を求めても、躯となった琴葉の表情は、変わるはずもない。
「俺はどうすればいい。どうすれば、あいつを救うことができる?」
ただ思い描くのは、楪の無垢な笑顔のみ。
呪われているのは自分だというのに、こちらを悼むことができる少女。
守りたいと、切に願った。
しかし対策などまるで見つけられないまま、紲は悄然と肩を落として部屋を出る。
そこで、居間に入ろうとしていた楪と目が合った。昨夜、中山町を離れてからは呪紋も収まってくれたが、当然というべきか、疲れは抜けていないようだ。
「おはようございます、紲さん」
「おはよう。目の下のクマが酷いな、ちゃんと寝たか?」
「紲さんこそ」
お互いに顔を指さして、乾いた笑いを浮かべる。
居間で朝食を待つ間に世間話でもして茶を濁そうかと考えても、紲はどう声をかけていいか分からずにいた。
あなたの呪いの元凶を取り払う術が見つかりませんとは、決して言いたくなかった。それは意地でもあり、願いだ。
楪も楪で、何を考えているのか、ころころと百面相をしては、不意にすとんと表情を欠くことを繰り返している。たまに笑顔が混ざるのが、謎だ。
「気まずいのう……」
「気まずいっすねー」
空気の読めないクソ狐とクソガキだけが、呑気に湯飲みコーヒーを啜っている。
そんないたたまれない状態の紲を救ったのは、電話の着信だった。
「俺だ」
『おはよう、私よ。あれからどうだった?』
英の軽い調子の声に、幾分か気が楽になる。
「芳しくないな。情報自体は集まっているんだが、どうしたらいいものか」
『あら、結構参ってるのねえ。大丈夫? すごく疲れた声してる』
「ああ、気にするな」
『…………』
「ハナ?」
電話口からの音がくぐもった。
もう一度呼んでみようかとしたとき、ようやく応答があった。
『ごめんなさい、赤倉温泉の宿泊客から通報があったっていうから、もしや、と思ったんだけどね。「立ちんぼ」のことだったみたい』
「立ちんぼ、ねえ」
「立ちんぼっすか!? エロい話っすか、オレっちも聞きたいっす!」
前のめりになってきたマタの首根っこを引っ掴み、放り投げる。
立ちんぼとは、繁華街の路上などで直接客を取る女性のことを指す俗称である。
「しっかし、山形くんだりにもいるんだな」
『ある程度大きなところだと、たまにいるわよ? ごめんなさい、ちょっと待ってね――はい、はい……えっ? はい』
電話口を押さえられているのか、何を言っているかは窺い知れない。
考え事の続き、と洒落込むわけにもいかず、手持無沙汰になって、煙草に手を伸ばす。
『紲くん、例の立ちんぼ、シロかも。ジャミラのように真っ白』
「何? 詳しく聞かせろ」
紲は再びかかってきたマタを蹴り飛ばして、縁側に出た。
『通報者は男性。内容は、赤湯温泉付近で不審な女性に襲われそうになったというもの。あ、襲われたってのは、暴行ではなく、シモの方ね』
「そんな喜ばしい状況で、どうして通報なんか。御廟紫って女はそんなに残念なのか?」
『いいえ、身元確認のときに妹さんから写真を見せてもらったけれど、かなり綺麗な人だったわよ。モデルさんみたいな、カワイイ系美人』
「はーん」
曖昧に頷く。それだけの上玉を捕まえておいて、仁間淳平は楪を狙ったのか。
「…………あ」
『んー、どした? 何か心当たり?』
昨夜のことを思い出す。楪を担いで逃げる際、立ちはだかった、首無し男らしき影。
てっきり、祓ったものとばかり思っていたが。アレが初端から、ムカサリ絵馬の呪いの一環で、楪を襲ってきているのだとすれば。
――ひしゃげたドアとエアバッグに挟まれたらしくて、血痕がべっとり。
もしも、もしもだ。その際に首が切断された、あるいは激しく損傷していたとするならば。
そして、決定的なのが、楪の体に浮かんだ呪紋。昨夜の状況から、ムカサリ絵馬の呪いに因るものだと断定したアレが、三日前に天童のマンションでも見受けられたことを考える。
どちらの状況にも共通する要因と、その正体を。
「おそらく、仁間淳平は既に死んでいる。それも、首と胴体が外れた状態でだ」
『それ多分、ビンゴよ』
英がパチンと指を鳴らした。
『まず、女性の方。ぼさぼさに乱れた髪に、土と血で汚れた服。ひたすら通報者の下半身に執着していて、発する言葉といえば、うわ言のような「ハイレタ、ハイレタ」。何よりおぞましかったのは、バッグのように手にぶら提げていた、人間の首だそうよ』
「ああ……そりゃあ通報したくもなるわな」
『顔はひしゃげて、腐敗も進んでいたらしいけれど。まあ、当たり、よねえ……』
朝からとんでもない話を聞いてしまったわと、英が大きくため息を吐いた。
「それで、その『不審な女』はどこへ?」
『突き飛ばしたら、山の方へ逃げて行ったんですって』
赤倉温泉は、先日紲が訪れた山刀伐峠から事故現場である最上の国道47号に向かう道の、ちょうど間辺りにある温泉地である。小国川の底から湧き出た温泉によって誕生したもので、紅葉の時期に赤い欄干から眺めるアシンメトリーな原風景は見ものだった。
「結局、山刀伐峠に潜んでいた、ってことか」
『ニアミスねえ。どんまい』
「おう」
英の慰めに、頭を抱える。これまで受けて来た以来の中で、最も忙しい部類だろう。
「とりあえず、飯食ったら行ってみるよ」
『ああいえ、私の方で車を出すわ。御廟紫さんであるにしろ、ないにしろ、通報があった以上は十三課としても動かなければならない事態だし。バンディットよりも、こっちの方が早いし』
「隙ありゃ高級車自慢しやがって、クソアマめ」
『悔しかったら買えばー? うちからの報酬だけでも、十分足りるはずでしょう?』
「うるせえ、役割が違うんだよ、役割が」
本当、良い性格をしている。
からからと笑っていた英は、不意に、声のトーンを落とした。
『車の中で寝てもいいから。体を大事にね』
「大丈夫だ、眠気はない」
寝られるのならば昨夜のうちに眠っているという八つ当たりは差し控えた。
『そ。うん、分かった。じゃあ、三十分後を目途に。ちゃんとご飯を食べるんだぞー』
おどけるような調子の声で、通話は終了した。
「紲さん」
背後からかけられた声に振り返る。楪が、真剣な瞳でこちらを見ていた。
「飯を食ったら準備しとけ」
「あ……はい!」
「出かける前に、おヤチから化粧でクマを隠してもらえな」
「ええっ、今そういうこと言っちゃいます!? 紲さんってほんっとうにデリカシーないですよね。もう!」
朝食を済ませ、英の車に乗ること数分。紲は早くも、選択を誤ったと後悔していた。
彼女が乗るのはGT‐R。雪国にはありがたい四輪駆動に座席は四人掛けときておいて、その癖加速力がトップクラスというとんでもないスポーツカーなのだが、英はバイパスに乗るや否や、天板の上にパトライトを取り付けたかと思うと、サイレンを鳴らしてかっ飛ばしたのだ。
時速百キロはゆうに超えるスピードで、次々と一般車両を抜き去っていく。
「おいバカヤロウ、確かに早いが、こんなことをしたらオービスで捕まんぞ」
「それが、ランプ点けていればオーケーなのよねえ。市民の皆様からは苦情が入るだろうけれど、十三課だと知れば、署内では見逃してもらえるわ」
「関わり合いになりたくなくて、目を逸らされているだけじゃねえのか」
「うふふ。そうとも言うわね」
ウィンクは咄嗟に避けた。
対理外事案対策班――忌まわしき数字を冠させた通称は『捜査十三課』。理の外にある怪異を相手取る組織は、行動範囲も理の外らしい。
「長南さん。車を出していただいて、ありがとうございます」
「やーん、御廟さんは素直でいい子ねえ。ね、楪ちゃんって呼んでもいい?」
「はい、ぜひ!」
「『安全運転』をしていただいて、ありがとうございますぅー」
紲がそう言うと、英からの鉄拳が横隔膜に打ち込まれた。素直でいい子とやらに倣ったというのに、何故だ。精一杯の茶目っ気を演出して、裏声まで使ってやったというのに。
なまじ車自体のスペックが高いことと、英がスピード以外の乱暴な操作をすることがないため、乗っていての不快感が少ないことが逆に奇妙だった。さすがは高級車である。
「それで、ヤマノケ対策は、順調?」
「対策っつっても、ヨジロウと話したのは、山の神の性質を持ってくれないことを願うばかりというくらいか」
そう口にしてから、紲は何か、言葉が口の中に引っかかるような違和感を抱いた。
他に何か見落としていることはあっただろうかと、思考を巡らせる。
「ああ、気になっているといえば、ヤマノケが現れる時の声だな」
「テン、ソウ、メツ……でしたっけ」
「ああ。あれがもし、ヤバい呪詛の類だったりすれば、聞くだけで拙い」
「どういうことよ?」
「例えば、呪詛を聞かせることで得物の体を霊的に拘束し、中に入る、とか」
紲の説明に、楪と英が苦い顔をした。女性としては、想像したくもないことなのだろう。
「まあ、口伝種だ。ネットに転がっている話の中にそういった記述がないから、特に投稿主も考えていないんだろうとは思うが」
「お経とか真言に、似たようなフレーズはないの?」
「ない……とは、思う」
窓の縁で頬杖を突き、紲は唸った。
「ただ、真言を唱える時は割かしスローテンポだから、『ソワカ』が『ソゥワァカ』と聴こえたということも考えられなくはない、が」
「繰り返し、ってところもミソかしら。お経も真言も祝詞も知らない一般人が聞いたなら、順番さえも正しいかわからないじゃない? メツ……テン……と来て、ソワカ、かしら」
英の仮設を聞いて、紲も何度か脳内でシャッフルしながら思いつく限りの真言を並べてみるが、見当がつかなかった。そもそも「テ」や「メ」という音が非常に少ないのである。
ふと、楪が手を打った。
「山のお化けだから、ヤマノケなんですよね? なにか、そっちでヒントになりませんか。伝承の歌、とか」
「「それだ」」
紲たちは同時に指を鳴らした。
「最上での遭遇ってことで山刀伐峠に当たりを付けてはいたが、そういや、大元の話は、宮城の田代峠が舞台じゃないかと考察されていたな」
「ええ。あそこと最上、共通しているものがあるわね」
「「鉱山」」
英とささやかなハイファイブを交わす。
一人置いてけぼり状態だった楪が、ぐぐぐー、っと首を傾げていた。
「鉱山だと、何なんですか?」
「
「あ、聞いたことあります、ヘイヘイホー!」
「ヘイヘイホーは木こりだけどねえ」
英が苦笑いで茶々を入れてくる。
「田代峠の宮崎鉱山を源流とするならば、あの辺で採れるマンガンのことを『梵天』と呼んでいたらしいから、ボンが聞き取れなくて、テンの部分だけが残っているとすれば、テンソウメツのテンはクリアだ」
「ですが、ボンを聞き取れないことって、あるのでしょうか」
一度は戻ったかと思った楪の頭が、またぐぐぐぐぅー、っと傾いていく。
「あるある。石焼き芋の移動屋台なんかがそうだろ、『石焼ーき芋』、の『石』から聞こえて認識している奴ってそうそういないぜ? 『ぁーきいも』みたいな」
「分かるー!」
意外にも、英がえらい勢いで食いついてきた。
「うちでも仕事中、ドアを開けた瞬間から喋りかけてくる人とかがいると、いちいち訊き返さなきゃならないから大変よ。しかもそういう人に限って、声が小さかったり早口だったりするのよね。ちゃんとノックをして、名前を呼んで、それから要件を話してくれないと」
「その対策をしてるのが、昔の駅弁なんかの立ち売りだな。初端から『弁当』と言えば客の耳に『んとー』しか聞こえないことを防ぐため、『えー』を挟むことで集中させ『べんとー』で認識させる。上手い手だよなあ、アレ」
改めて感心しながら、コンビニで買っておいたブラックのコーヒーを飲む。おヤチにタンブラーを用意してもらえばよかったかと、また一つ、後悔した。
「ソウに関しては、『そうれ』という合いの手とか、どうですか?」
「冴えてるな、楪。『梵天だ!』と見つけて、『そうれ!』で掘り出して……あとは、メツ、か」
「そういえば、花笠音頭の『ヤッショーマカショ』も、銀山で働いていた鉱山夫たちの『やりましょう』『任せましょう』が元という説もあったわね」
「その後の『シャンシャンシャン』なんかどっから来たんだと思うけどな。大方、採掘した銀を運ぶ時の車輪か銀自体の音だろうが」
そうしてまた、三人はうんうんと腕を組み始めた。
祝詞や真言などの呪術的方面から考えるよりも、限りなく正解に近づいたような気がしたが、中々、掴めたという感覚にはならない。
しかし、土搗歌という当たりがついただけでもなかなかに心強かった。なんせ『テンソウメツ』が聞こえること自体に怯えなくていいのだから。気休めだとしても、持ちようを整えられるに越したことはない。
後は運否天賦。無事に帰れることを祈るだけである。
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