土方歳三という人 弐

 紫紺の瞳を柔らかく細め、蒼馬に訊ねる。

 周助に訊ねる事があるのは事実だが、この時期の試衛館の内情を知りたかった。


(見たところ、土方ひじかたさんはまだ入門していない)


 土方歳三としぞうは、後に新選組副長として陰ながら内部の指揮を取る人間だ。

 敵に対する非道さが尾を引き、仲間内だけでなく民からも恐れられる事になる男だった。


 しかし、厳しい言動に反して熱い心を持つ人間でもあった。

 凛は土方に会うべく、それとなく周助や勝太の供をしたい、と願い出る気でいたのだ。


(でも、私だけでとなると怪しまれる事は必須のはず。兄上、すみません)


 凛は心の中で蒼馬に謝った。

 蒼馬を駒として使う事に躊躇ためらいもあるが、他に上手い言い訳など思い付かない。


(周助先生が駄目なら近藤さんに、無理を言って連れて行ってもらおう。そして、土方さんに会わなければ)


 どくりどくりと心臓高鳴るのが分かる。

 何を焦る必要がある、と自分に嫌気がさしてしまう。しかし、凛の身体は意志とは裏腹に土方に会う事しか頭になかった。


「部屋に? ……構わんが、俺が代わりに聞きに行こうか?」


 蒼馬は僅かに目を瞠る。

 その言葉が善意であることは分かっているが、今の凛には甘えられない理由がある。


「ありがとうございます、でも大丈夫です。私が直接訊ねたいので」

「そうか」


 蒼馬が凛の微笑みに弱い事は、とうに知っている。

 それを逆手に取り、折角の善意を無碍むげにしているという事も。


(本当にごめんなさい、兄上……!)


 凛はもう一度心の中で謝罪する。

 過去も蒼馬に甘え過ぎ、それが元となって疎遠になったのだ。

 家族が離れ離れになった、あの時に比べれば小さな事なのかもしれない。


 しかし、今この時まで甘える事は、凛の理性が許さなかった。


(見た目こそ幼くても今の私は、大体のことは一人で出来るから)


 だから心配は無用だ、ともう一度蒼馬に向けて微笑む。


「ん」

「……はい?」


 唐突に蒼馬から差し出された手に、困惑する。

 なんだろう、と図らずも凛は首を傾げると、大事なものに触れるように手を摑まれた。


「はぐれられちゃ困るからな」


 柔らかく微笑みを浮かべ、蒼馬は試衛館に入る前よりも優しい声音で言った。


(別に大丈夫なんだけれど……)


 部屋の場所は分かっているが、ここで反論しては言い合いになるという事は学んだ為、凛は無言で頷く。


「着いておいで」


 さも上機嫌な蒼馬に手を引かれ、周助の部屋へ続く廊下に出た。

 凛から見て左側には背の高い樹々が植えられており、閑散とした、けれど美しい庭が見て取れた。


 試衛館に出入りする女中か、最近入った人間が定期的に手入れしているのか、庭には落ち葉ひとつ落ちていない。

 それを横目で流し見、凛は歩幅を合わせてくれる蒼馬をそれとなく見上げる。


 蒼馬の美しい黒髪は、そこらの女子と比べても全く見劣りしない。

 寧ろ女もうらやむ容姿を持ち合わせ、加えて剣技の腕も立つとなれば、男女関わらず放っておかないだろう。


(本当に兄上は私のことを心配し過ぎている)


 気の所為であればどんなにいいか、と何度目とも分からない問いを自分自身な投げ掛ける。


(昔はそんな事なかったのだけれど……程度というものがある気がする)


 凛の下には弟妹が一人ずつ居る。


 奈津なつは少しお転婆だが、その実天真爛漫てんしんらんまんで、可愛らしい妹だ。

 反対に弟である燈馬とうまは事あるごとに父から叱られ、その度に泣いてしまうほどの少年だった。


 蒼馬なりに二人を可愛がっていると理解しているが、凛に対しての行動とはあまりに掛け離れている。

 それもすべて凛が過去に居る反動なのか、蒼馬の深層心理が行動に現れているのか、真実はきっとこの先も分からないままだろう。


(どうにかして、此処の事が少しでも分かればいいんだけれど)


 無理だろうな、と諦観しかけた時、のんびりとしたが正面から聞こえた。


「本っ当に仲良いね、君達」


 呆れた声が降りかかり、凛は顔を上げる。

 袴から着流しに着替えた総司が、目の前に立っていた。


 先程まで髪は頭上で結い上げられていたが、今は耳辺りで低く結ばれている。

 しかし、その見た目以上にくつろげられた胸元に、図らずも凛は動揺した。


(忘れてた。沖田さんは普段はこの格好をしているんだった……!)


 何度となく見ていたはずだが、凛が最後に総司と会ったのは戦争が始まる前だ。

 蝦夷地は五稜郭での決戦から数えて三年以上の時があり、その間に様々な出来事があった為、すっぽりと頭から抜け落ちていた。


「おい、凛にソレを見せるのは止めろ。まだ小さいとはいえ、これから成長していく娘だぞ」


 繋がれた手から僅かな感情の乱れを悟ったのか、蒼馬はそっと凛を後ろへ隠す。


「蒼馬くんって凛ちゃんに甘いよね」


 先程よりも更に呆れた総司の声が響く。

 蒼馬の気持ちも分からないでもないが、改めて総司のことを忘れていた自分に恥じ入る。


(十年以上一緒に行動していたのに、私は……駄目だな)


 数刻も経っていないうちに色々な事があり過ぎて、記憶が混濁しているのかもしれない。

 断片的な出来事しか覚えていないのも、きっとその所為せいだと自分自身を納得させる。

 凛はすっと瞳を伏せ、一度二度と深く息を吸う。

 そうでもしないと、心臓が破裂してしまいそうなのだ。


「あ、あの。沖田さん」


 意を決し、蒼馬の後ろから声を掛ける。


「ん?」


 口では愚痴を言いつつも、律儀に胸元の襟をしっかりと合わせている総司に問い掛けた。


「どうしたの、凛ちゃん」


 怯えさせたと思ったのか、総司はその場にしゃがみ込み目線を下げてきた。

 心做こころなしか背後に黒い影が見えるのは、きっと気の所為ではない。


「あ、えっと……。明日から此処に通うので、ご挨拶をと」

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