土方歳三という人 壱

「そうか。じゃあおいで」


 凛の言葉に満足したのか、周助はにこりと微笑んだ。

 蒼馬と繋いでいた手がいつの間にか離されており、その代わり背に周助の手が添えられる。


「皆、一旦止め。注目」


 周助が短く静かな声で言葉を発すると、それまで掛け声と共に竹刀稽古をしていた男達は、さざなみが引くように動きを止めた。


 そして、楚々とした動きで縦横二列に並ぶ。

 整列した男達の姿は過去に飽きるほど見ているが、未だに圧巻してしまう。


「たった今から蒼馬の妹が入門した。さぁ、挨拶なさい」


 周助にぽんと背を叩かれ、促される。

 凛は瞳に力を込め、人知れず男達を見回した。


 そうでもしなければ見知った顔がいた瞬間、涙腺が決壊してしまうのだ。

 浪士組に志願した者も少なからずいる為、試衛館で出会った頃の人間達とはそう短くない時間を過ごしてきた。


 時には笑い、時には叱られ、そして別れを積み上げた。

 その時の出来事があったから、凛はここまで成長出来たと言っても過言ではなかった。


(私はもう一度此処で過ごす。ただ、それだけ)


 すぅと一度深呼吸をして、心を落ち着ける。


「神宮寺凛です」


 言いながらゆっくりと頭を下げ、言葉を唇に乗せた。


「兄共々、これからよろしくお願いを申し上げます」


 蒼馬が入門してどれほど経っているのか詳しくは知らないが、じっとりとした視線を背後から感じるのは確かだ。


(そんなに殺気を出さなくても……)


 凛は内心で呆れるしかなかった。

 蒼馬がここまで心配してくれるのは嬉しいが、あまりにも甘過ぎると思う。


(昔ですら、兄上にここまで良くして貰った事はないはず)


 自分が過去に居ると分かってからずっと、凛の記憶にある出来事と何かが少しずつ違っている。

 しかしそのどれもは些細なもので、気にする事はないはずだった。


(もう少し確信が持てたらいいけど。難しいな)


 視線を自分の足下に向ける。

 何もかも小さな身体は、紛れもない現実だ。

 ただ、その感覚や精神は過去の凛が持つもので相違なかった。


 蒼馬から発される鋭い殺気も、昔の幼い凛では到底感じ取れなかったものだ。

 凛の心とは裏腹に、その理性はこの現実を受け入れ掛けていた。


「へぇ、蒼馬の妹か」

「可愛いなぁ」

「後で稽古をつけてやるか」


 しんと静まり返った広間に、それぞれに男達の囁く声が聞こえてくる。


「──という事で、だ。女子おなごであるのは勿論だが、手加減はしてやってくれ。まだ幼いゆえな」


 おごそかな声音で周助から発された言葉に、凛は小さく歯噛みする。


(……舐められないようにしなければ)


 子供だからという理由でならまだ許せるが、これから成長するにつれ、女だからとあなどられてはこちらも煮え切らない。


 天然理心流は、基本は勿論のこと独自の剣術のすべを持つ流派だ。

 今でこそ身体は小さいが、あと数年も経てば身体は成熟していく。


 女ということを抜きにしても、凛には身体に馴染みきった剣技がある。

 入門する限りは、そこらの人間に引けを取るほど遅れるつもりは更々なかった。


「儂は部屋に戻る。今日も励めよ」


 そう締め括ると、周助は話は終わりだとばかりに一度二度と手を打ち鳴らす。


「はい! ありがとうございました!」


 それを合図に、男達は散り散りに己の元いた場所へ戻っていった。


「凛」


 背後から声を掛けられ、振り向くと蒼馬が何やら後ろ手にして凛の元へ歩いて来た。


「なんですか?」


 こてりと首を傾げ、凛は先を促す。

 稽古場になっている広間には、竹刀や防具が立て掛けられていたり転がったりしている為、十分に気を付けるということ。


 この場所に集う人間は血の気が多い者が殆どの為、何か問題があれば言いに来い、ということ。

 言葉の節々から蒼馬の思いが伝り、凛の胸にほんのりと火が灯る。


「分かったか?」

「流石に子供じゃないので。でも、兄上と一緒に居る間が増えて嬉しいです」


 はにかみながら紡いだ言葉は、気恥きはずかしいが心からの本音だ。

 そんな妹に何を思ったのか、蒼馬の天を仰ぐ仕草には気付かないふりをした。


「兄上、早速ですが……」

「凛」


 稽古を、と紡ごうとした言葉は名を呼ばれた事で、数瞬早く遮られた。


「これからは俺がいる。だから、何かあったら言ってくれ。出来る限りは力になる」


 そっと両手を握られ、真摯な瞳でこいねがわれる。

 視線の絡み合った黒曜石の瞳は真剣そのもので、蒼馬が嘘を言っているようには見えなかった。


 元より、やると決めた事は必ず実行に移す男だ。

 それは少年の時から変わらない。


(昔から兄上はずっと、変わってらっしゃらないな)


 ふ、と凛は小さく微笑む。

 時には叱られる事もあったが必ず助けてくれ、『出来る限りは』と言ったが、全て聞き入れてくれた。


(あの戦が終わった後、『鷹城屋に置いてくれ』と言ったら……兄上はなんて言うんだろう)


 無性に蒼馬に会いたくなった。

 目の前にいる少年時代の蒼馬ではなく、歌舞伎役者として名をした蒼馬に。


「凛? どうした?」


 小さく笑ったかと思えば、黙ってしまった凛を不審に思ったのか、蒼馬が顔を覗き込んでくる。


「いいえ、何も。──周助先生に聞き忘れた事があるので、お部屋まで案内してくれませんか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る