終わりの始まり 弐
(これで、良かったんだ)
凛は未だ先の戦争の激状が残る、
あちらこちらに銃弾の痕や、敵味方関係ない
今となってはブーツで大地を踏み締める事にも慣れ、それと同時に哀しくもなる。
まさかここまで着いて来れると、あの時の自分は思っていただろうか。
いや、寧ろ遠い蝦夷という未開の地まで来て、尚生きている事が奇跡とも言うのだろうか。
(でも、今更私の帰る場所は……)
烏の濡れ羽色のような美しい髪が、さわさわと風に揺れる。
帰る場所はあるにはあるが、そこは凛の本当の居場所とは言えなかった。
元よりこの戦争が終われば、旧幕府軍は新政府軍に逆らった逆賊として謹慎を言い渡される
それが何ヶ月、何年続く事になるか定かではないが、きっとその時になれば凛の居場所は無いに等しい。
逆賊という肩書きだけでも目の
(兄上の……駄目だ、もう私は邪魔なはず)
五つ上の兄である
その翌年に子供も生まれ、
蒼馬やその妻は快く受け入れてくれるだろうが、今更転がり込む事はできなかった。
(所詮、今の私はいらないから)
お腹の子も、と無意識のうちに言葉にして自分に絶望した。
「今、私はなに、を……?」
自分だけならばいざ知らず、なんの罪もない小さな命にまで「いらない」と言ったのか。
生まれて来るかは定かではないが、八郎が遺してくれた命を無価値だと言ったのか。
がくりと凛はその場に
「ごめん、ごめんね。……ごめん、なさい」
わなわなと口が震え、やがて頬に温かい雫が伝う。
とっくに枯れてしまったであろう涙が、後から後から溢れて止まらない。
(私は弱くて、でも貴方は何も悪くなくて……)
まだ薄い腹に、そっと両手を重ねる。
こうも泣いていては、八郎は呆れるだろうか。
それとも「大丈夫だ」と傍に居て、慰めてくれるだろうか。
こんなに弱い母では腹の子が可哀想だと、強くあらねば、と頭では分かっている。
しかし、その意思に反して心は悲鳴を上げていた。
もう逃げてしまいたい、八郎の傍に逝きたい、と。
「──凛」
「っ」
聞き馴染みのある声が聞こえた気がして、びくりと肩が跳ねる。
低く落ち着いた、凛を呼ぶ時だけとびきり甘くなる声。
何度も何度も呼んでくれた、愛おしい八郎の声だ。
凛は泣き濡れた頬を拭いもせず、のろのろと顔を上げた。
「大丈夫、ですか?」
「桐生……さん」
どくりと心臓が大きく跳ねた。
──やはり幻聴だった。
いや、最初から分かっていた。八郎のはずがない、別の誰かが名を呼んだのだと。
しかし先程部屋を訪ねてきた桐生が、何故追って来たのかだけは分からなかった。
何故今にも泣き出しそうな、悲しそうな顔で名を呼ぶのか。
額に薄らと浮かぶ汗は、そこらを走っただけでは滲むものではない。
考えている間も桐生は凛の腕を取り、立たせようとする。
「凛さん、ここにいては寒い。待つなら中へ──」
桐生が何かを言っているが、もう凛の耳には届いていない。
頭の中を埋め尽くすのは、会いたくても二度と会えない八郎の姿だけだった。
深い樹々を思わせる緑碧は、いつだって凛を優しげな瞳で見つめてくれたのだ。
剣に優れた腕で大切に、凛の心も身体もそのすべてを
時々粗野なところもあったが、情に篤い八郎の声音は聞いていて心地よかった。
人を愛する喜びを教えてくれ、二人で分け合う熱を知った。
この戦争が終わったら共に遠くへ行こうと、一緒になろうと、何度も言ってくれた言葉の数々を、凛は生涯忘れないだろう。
そうして段々と姿が代わり、昔馴染みの上司から腐れ縁の人間達へ、果てには幼い頃に亡くした両親の姿が浮かんでは消えていく。
(もう、駄目)
頭の中がぐらぐらと揺れる。
恋しい人に二度と会えないという恐怖を、
このまま永遠の眠りに就いてしまいそうな、そんな錯覚がしてしまうほど自分は追い込まれているのか。
「は、はは……っ」
自嘲するしかなかった。
ここまで弱くなってしまった自分に。
「ははは、っ……あははははは!」
もう何もかもどうでも良かった。
大切な人を亡くし、生きていく
「り、凛さん!?」
突然笑い出した凛に仰天してか、桐生は一歩
「落ち着いてくれ、凛さん! 今すぐに──」
桐生の切羽詰まった声は段々小さくなっていき、ついには聞こえなくなった。
がくん、と今度こそ身体の力が抜け、ぷつりと意識が途切れる。
深く深く、どこまでも続いていく深淵に、自然と身体が沈んでいく心地がした。
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