第5話
私は家主に確認を取りながら、話を聞くための場作りに着手した。彼の注文は、照明はつけないこと、周り、特に下へ響くような大きな物音は立てないことの二点。後は、物を大きく動かしすぎないことを守りさえすれば、頓着はそれほどないようだった。
私は椅子とテーブルを動かし、取材に必要な最低限の環境を整える。散らかり放題だった床の上、細々としていたものを足で避け、埋もれていた椅子をもう一つ掘り起こすと、大量の埃が舞い上がった。私は大きな音を立てないように抑えながら、何度かくしゃみを繰り返した。
「ごめんなさい。もうちょっと、無理言ってもいい?」
私は窓を開け、風通しを良くする。彼は私の言葉が飲み込み切れなかったらしく、首を傾げていた。
「流石にちょっと、埃っぽくて」
私がそう付け加えると、彼は「ああ」と頷いた。家主の了承を得て、少し大胆に整理整頓、掃除をさせてもらった。ついこの間クリーニングに出して戻ってきたばかりのコートは、掃除をする間にみるみる薄汚れていった。
掃除で身体を動かしている間は気にならなかったけど、手を止め、少年の向かいに座るとだんだん肌寒くなってきた。掃除も落ち着き、空気の入れ替えももう十分だろうと窓を閉めた。入れ替わりに、空調をつけさせてもらう。しばらくすると、徐々に暖かくなってくる。
温まるのを待っている間、少年は冷蔵庫から未開封のペットボトルを二本取り出した。中身は一般的なミネラルウォーターらしい。コップに出す一手間も加えたかったようだけど、この部屋にそういったアイテム、グッズは一つもないと言う。私は彼の気遣いに感謝し、早速一口飲んだ。喉を潤して心の準備も整えると、早速彼に質問する。
「それで、アナタは何者なの?」
私はボイスレコーダーを取り出し、録音ボタンを押してテーブルに置いた。彼はそれに手をかざし、無言で破壊した。どういう仕組みでそうなったのか、一瞬の出来事でよく分からなかった。
「録音、録画はナシで。で、なんだっけ。オレが何者か、だっけ」
彼はそう言いながら、使い物にならなくなったボイスレコーダーを私に差し出した。私はそれを受け取り、彼の回答を聞き逃すまいと耳を澄ませた。
「オレはミハラレイ。二月八日生まれの十八才。仲間にはゼロって呼ばれてる」
私が彼の回答をメモしていると、彼は表記を教えてくれた。三つの原に、雨冠の零。ゼロの由来がよく分かった。
「そういえばオバ、お姉さんの名前にも数字が入ってたね。なんか、奇遇だな」
彼に名乗った覚えはないし、字面を伝えた記憶もない。屈託なく笑う彼は、そういえば私が深潮社の記者だと知っていた。今朝から中身が変わっていないカバンの中には、名刺入れも財布も入っている。彼のスキルなら、寝ている間に身元を確認することなど、造作もないのか。
「それとノクターナスか、だっけ。その答えは、半分イエス、半分ノーかな」
「どういうこと?」
「元ノクターナスとして、仲間絡みの仕事をしている。ノクターナスとして強化改造された身体、能力も駆使してね」
彼の説明を理解できる範囲で整理すると、元々の治安維持組織としてのノクターナスは完全に解体されていて、所属していた元メンバーの間で水面下、裏社会っぽいネットワークは残っている、と。
その私設警察、自警団的な組織も、ノクターナスに準じる存在とも言えるし、厳密に違うと言えば、それも正解ということになる。また、ノクターナスは組織そのものも指すし、戦時下の違法改造を施された機械人間、戦闘や殺しに特化した改造体のことも表現するのだとか。
組織を抜ける時、解散する時に追加の手術を受けていなければ、全身に施された装備や機能は残ったまま。組織としてのノクターナスが解散してから十年近く経つものの、危ない身体で街に潜伏し、陰ながら生き抜いている人がまだまだ沢山いるのだとか。
「それって、結構危険なんじゃないの?」
「まあね。でも、個人差が大きいかな。改造度合いもバラバラだし、巨大な力を持ったところで飲み込まれるかどうかも、その人次第だし」
そういう彼の顔に、月の光が当たる。光に照らされたその顔をよくよく見ると、先ほど光を放っていたラインに沿って、細い線が刻まれていた。複雑な紋様が浮かび出るほどの肉体改造を、彼は十年以上前に受けているとは。
「問題を起こすようなら、仲間内で処理する。今までそうやって身を隠してきたし、これからも同じやり方で、社会秩序の維持に努める。それが、オレたちのルールだ」
「つまり、私がキミのことを記事にしてしまうと」
「雑誌社ごと、闇に葬ることになるね」
彼は、満面の笑みを浮かべて言った。空になった自分のペットボトルを、さも当たり前のように、易々と捻り潰した。私はそれに畏れを抱くより、大きな落胆に飲み込まれていた。これ以上ないスクープ、ネタを手に入れたと思ったのに、使う場所がないとは。
会社をクビになる覚悟で、勝手にオフィスを飛び出してきたのに。連絡もつかない状態で長時間の外出も積み重なれば、今度こそクビは間違いない。オフィスの自分の席どころか、自分の住まいも手放さなければならないかも。
椅子に腰掛けたまま、大きく項垂れて放心状態になっていると、彼は私の顔の前で手を振った。
「お〜い。生きてるか〜?」
「それを言うなら、起きてるか、でしょ。生きてるけど、死んだようなもんよ」
私が顔を上げると、彼は事情を概ね察したようにニヤニヤと笑う。
「大人は大変だなぁ」
「アナタも大人で、社会人でしょ」
彼は私の言葉に鼻で笑った。私が、「何がおかしいの?」と言うと、彼はもう一度鼻で笑う。
「残念だけど、オレは社会には存在しない人間だから。オバ、お姉さんみたいな社会人の苦労は理解できないね。さ、もう良いかな?」
彼は私の承諾も得ず、リモコンで暖房を切った。明確に言葉にはしなかったが、動きで私を追い出しにかかっている。私は彼に追い立てられながら、ペンと手帳を握りしめ、彼の追跡を何とか躱す。
「最後にあと一つだけ。朽木の件は、キミが犯人?」
「さあね。知りたければ、自分で調べてみな」
彼は不意に腕を変形させ、部屋の中で逃げ回る私を、謎の糸で絡めとった。雑誌をまとめるビニール紐のような人工的な材質のものと、微妙に粘りつくタンパク質、蜘蛛の糸っぽいものが混ざり合った不思議な糸だった。
彼は私と荷物を糸で一纏めにすると、掃き出し窓を大きく開け、そこから私たちを宙に放り投げた。一瞬フワッと浮き上がり、月の綺麗さに目を奪われたかと思うと、一気に地面へ落下した。それなりに強い力で落下したのに、私たちを捉えた糸がクッション代わりになり、衝撃を上手く吸収してくれた。
ただ、流石に着地時の勢いが強かったらしく、地面へ到着したタイミングでもう一回跳ね上がり、再び宙を待ったところで糸が霧散した。あたりに散らばった糸は泡となって徐々に消えていき、残された私と荷物は、ビル側の植え込みに頭から突っ込んだ。
幸い、大きな怪我や壊れたものはなかったが、掃除で汚れたコートはますます惨めな仕上がりになっていた。一所懸命整えた髪も顔も、すっかりぐちゃぐちゃだ。
クソガキに脳内で恨み言を呟きながら、ケータイの電源を入れた。案の定、編集長からの不在着信、メールが入っていた。私は汚れを払いながら、電話を掛け直した。取材に出てました、と事情を話し、折り返しに編集長から命じられた通り、オフィスに戻った。
編集長の部屋に呼び出されたけど、錠さんからも事情を聞いていたらしく、深入りされることはなかった。ただ、勤務態度や仕事の内容に問題があると契約内容の見直しを迫られた。
正社員から契約社員へ切り替えるとなれば、今のアパートでは暮らせない。オフィスから離れて今までのように夜勤というのは、続けられる気がしない。フリー扱いというのも、流石に今の状況では難しい。せめて、他にないネタ元は確保しておかないと。
頭を抱えて自分の席へ戻ると、錠さんにめちゃくちゃ心配された。急にオフィスを出ていった同僚が、頭の先から足の先までズタボロで帰ってきて、編集長に呼び出しを食らって戻って来たら、そういう反応になるのも仕方ない。
「どうしたの?」
「いや、ちょっとね」
ノクターナスのクソガキ、と言いかけて言葉を飲み込んだ。彼らに憧れを抱いている錠さんには悪いけど、まだ秘密を話す訳には行かない。結局、私が一発逆転を狙うためにはあの子を上手く使って立ち回る他ない。
生活と仕事の両立、それと記事にできないノクターナス。頭の中で、さっきまで見ていた光景を必死に巡らせる。散らかり放題だったけど、それなりに広い部屋だった。照明と音にはうるさそうだったけど、それ以外は興味がなさそうだったな。
立ち入り禁止が問題になるのなら、関係者になればいい。
相手は一応、十八歳。一緒に暮らす男としては最年少、年齢差も最大だけど、なんとかしよう。私は謎の少年、三原零の部屋で一緒に暮らしてネタを拾うことを、割と本気で考え始めていた。
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