第3話
夜勤に備えて十分な仮眠を取り、定時にオフィスへ出社したにも関わらず、私は延々と待機を命じられていた。正確には、編集長直々に次の仕事について指示されるから、しばらくオフィスで待っていろと言うことだった。
ただ、編集長はさっきから延々と電話や打ち合わせを重ねている。カレンダーに共有されていないスケジュールもバンバン舞い込んでいて、私はどんどん後回しにされている。
私は出社してから、延々と自分のデスクで編集長から声がかかるのを待っていた。夜も九時を過ぎると、ほとんど電話が鳴ることもない。昼勤のお局、宍戸さんと入れ替わる形で夜勤に入っている錠さんが持ってきた旅行のお土産を、無心に口へ運んでいた。
その錠さんは、お盆を持って編集長の部屋から出て来た。
「どうだった?」
私がおかきを摘みながら尋ねると、彼女は首を横に振った。
「アレじゃ、まだダメだね」
彼女は、お茶っ葉がしまわれている棚の隙間にお盆を戻し、私の分のお茶も淹れてくれた。こちらから何をお願いした訳でもないのに、ベストなタイミングで色々気を回してくれる。
私も生まれ変わるようなことがあれば、彼女のような気が効く女になって、普通の男と添い遂げたいものだ。ただ、今生でそれは叶えられそうにない。
彼女は私の隣の席に着くと、さっきまで操作していたマウスに手を伸ばした。スクリーンセーバーが一瞬映り、パスワードが入力されると、今まで見ていたウェブサイトがモニターに表示された。
赤い文字や黒い背景の、いつの時代かよく分からない手作り感溢れるウェブサイト。何か変なものでも仕込まれているんじゃないかと疑ってしまう、おどろおどろしい仕上がりになっている。
私は熱いお茶を啜りながら、横から画面を覗き込む。錠さんはモニターから目を離し、横に積み上げていた資料の一番上にあった、開いたままの週刊誌に視線をやった。どうやら、関連するページらしい。
私は首を伸ばし、週刊誌の見出しにも目をやった。本文や太字になっている小見出しまでは読めないけど、"秘密の治安維持部隊ノクターナス"と書かれている。
錠さんの目を盗み、マウスホイールをいじって上に戻ってみる。どうやら、モニターに表示されているウェブサイトは都市伝説系の、怪しい情報サイトらしい。彼女が目を通している雑誌も、どちらかと言うとその手のサブカル系雑誌らしい。
錠さんは雑誌の記事を熱心に読んで、誌面から目を離すと補足資料を探すようにマウスホイールをいじった。何かしら有益な情報が得られるとはとても思えないが、熱心に二つの媒体を行き来して、顎に手を当てて何かを考えている。
私は彼女の真剣な表情に溜まりかねて、口を挟んでしまう。
「さっきから、何見てるの?」
錠さんは、顔を上げて私の方を見ると、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの表情で、小鼻を膨らませた。
「六花ちゃん、知らないの?」
「知らないって、何が?」
「本当に知らない? ノクターナス」
私が全くもって知らないと答えると、彼女は信じられないと言った様子で口を大きく開けた。
「えっ、編集部の記者でしょ? 今一番アツい噂話、都市伝説も知らないの?」
普段の錠さんとはかけ離れた様子で、「嘘でしょ」と呟いた。彼女のその言い方で、私がいかにモノを知らないか、流行に疎いかがよく分かる。彼女は自分の入れたお茶で喉を潤すと、私に向き直った。
「いい? ノクターナスって言うのはね」
彼女は落ち着いた口調で、都市伝説に関するご高説を解いてくれた。何でも、ノクターナスというのは、百年戦争末期に結成された秘密の組織で、戦中戦後の治安維持に暗躍した特殊部隊なのだとか。
その特殊部隊、秘密の治安維持部隊は戦後数年で解体され、所属していた人たちも社会に散らばっていったと言うのが表向きの話で、本当は水面下で運営が続いていて、治安維持のために社会の裏で暗躍しているというのが、今一番ホットな都市伝説だそうな。
「社会の秩序を守るため、あるいは社会正義を守るために、時には非情な手も使う、秘密の必要悪。誰にも褒められることなく、社会の陰からみんなのために役に立っている組織なんだって」
「つまり、ヒトゴロシの反社集団ってコト?」
「そういう面も、あるにはあるんだけどーー」
錠さんはマシンガントークの出力を上げ、さらに早い口調で自論を捲し立てる。これはつまり、かつての赤穂浪士やネズミ小僧みたいな存在であり、悪党相手の悪だから人を惹きつける魅力がある、そういうことらしい。
「そのノクターナスが、何で今ホットなの?」
話がすっかり明後日の方向に逸れてしまい、私は半分も聞いていなかったが、錠さんは丁寧に話の筋道を整え、私の質問に沿った解答を組み立ててくれた。
「それが、最近の殺人事件、未解決事件の裏にもノクターナスが関わってるんじゃないかっていう噂があるの」
錠さんは、さっきまで読んでいた雑誌を私に向けて差し出した。そこには「連続不審死」とか「ノクターナスによる不可能犯罪か?」みたいな文言が並んでいた。その記事を書いた人によると、このところの事件で犯人逮捕に至らないのは、実行犯が特殊な地位にいる人物で、それがノクターナスだからではないか、みたいな書き振りになっている。
どれだけ取材を重ねて裏を取っているのか定かではないが、これをそのまま鵜呑みにするのは、眉唾すぎる。それでも錠さんは、情報に聡い編集部の人間として、眉唾なまま情報収集に勤しんでいるらしい。
基本的に外へ取材に出ることがない彼女なら、夜のオフィスでそういう遊びに興じるのも悪くはない。
「最近の殺人事件と言えば、クチキキョウシロウもそうじゃない? アナタが今朝、風祭先輩に問い合わせたっていう……」
錠さんの口から、朽木京志郎の名前が飛び出すとは思わなかった。そう言えば、彼の身分証は、編集長に預けたというか、取られたままだった。
彼の事件も、犯人逮捕に繋がる有力な情報は得られていないと、出社後の夕刊で読んだ。それがノクターナスとやらに繋がっているのであれば、今朝の少年はやはりスクープのタネ。他の誰かに見つかる前に、私の唾をつけておかないと。
私は編集長の部屋の方を見た。まだしばらく、部屋から出てくる様子はない。もう一度錠さんに見に行ってもらう手もあるけど、ココは優雅な立ち回りを魅せるところだろう。
「編集長は、もうしばらくダメそうだって言ってたよね?」
私は錠さんにそう言いながら、コート掛けから自分の上着を外し、デスクの脇に置いてあったカバンを握りしめた。錠さんは私に、「何してるの?」と嫌そうな表情で言いながら、力尽くで止めるつもりもないらしい。社内用のスリッパを外回り用のヒールに履き替えた。
「後はお願いしてもいい?」
私は顔の前で両手を合わせ、編集長が次の動きを見せる前にオフィスから飛び出した。背後では、錠さんが悲痛な声で「また私がドヤされるの?」と嘆くのが聞こえた。私はエレベーターを呼び出しながら、ケータイの電源をオフにした。これで、呼び出されることもない。
デスクの私物と、私のクビはこれで終わるかもしれない。でも、ここでスクープを取ってくれば、私の逆転勝ち。コレで深潮社を首になっても、飯の種には困らない。反りの合わない編集長に飼い殺しにされるぐらいなら、一発逆転、一縷の望みに賭けてみよう。
私はケータイを握り締め、出社前のキツネ亭への電話取材が空振りに終わったことも思い出した。秘密部隊を守るために、門前払いで煙に撒かれてしまうなら、直接根城へ踏み込むまで。
黒衣の少年よ。首を洗って、待ってなさいーー。
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