勇者の子供

@ryu10110

短編

「勇者の子供」

                 ぐんそう大佐



 矢の如く降り注ぐ雨が市街地を濡らす。


 布を纏う物乞い、失職者が横たわる市街地の大通りは貧困に飢えていた。


 水溜まりを踏みつけシンは自慢の脚力に任せ、隘路へと入る。


 レンガ造りの建物群の一つで止まり打ち付けるようにノック。寒さに震え、けれど三日三晩飲まず食わずで正気を保っているのには、流石に変な笑みが零れた。


「……お兄ちゃん?」


 ゆっくりと鉄戸を開けた茶髪交じりの妹、押しのけて入る。


「早く閉めろ、死ぬぞ」


 花柄の絨毯を濡らし暖炉の前でシンは屈んだ。ツンと逆立つ黒髪から一滴の水が垂れ、もう一度ぶるりと震える。


 窓の向こうの大嵐に紛れて行き過ぎる憲兵。物を盗んだ少年を探しているようで。

 シンは懐からリンゴを取り出し、かじりついた。


「毛布……持ってきたよ、」


 気弱で小柄な妹ミリから毛布を奪いとる。くるまってようやく取り戻した温もりに、シンはようやく心を落ち着かせた。

 じっとミリは背後から動かず、様子に気が付いてリンゴを投げた。


「アイツには、内緒だかんな」

「……うん」


 小さく頷く。夜中の十一時だというのにミリは『約束』を覚え、玄関を即座に開けられるよう待っていた。その報酬にしては些細な物かもしれない。


「お父さん、いた?」

「全く。居場所を探るにはココじゃダメだな。王国の方へ行かねえと、情報はねえかもな……んで、アイツは?」

「多分、寝てる。あの、お兄ちゃん」


 不快にも父親譲りの目つきの鋭さはミリに引き継がれ、近所からの印象は悪い。十一歳になるが、もっと小さい頃は同年代から虐めを受けていた。

 だから、守らなければいけない想いは強いのだが。


「待ってて上げたのに、お礼、ないの?」


 時折、図々しい態度を取るせいで憎い。それでも大切な妹だ。

 顔を顰め一つため息を吐いたシン。


「ありがとよ」

「……うん」


 微笑む妹にくれてやったリンゴに顎を動かす。早く食え、と。

 屋台を閉め始めた頃合いを狙って手に取ったリンゴ。ミリはかじりつこうとして。

 肩に置かれた手に目を丸くする。

 シンは強く舌打ちをした。


「それ、お金払った?」


 苦笑するミラ。秋終わりの季節のため、夜中は随分と冷える。病で弱った身体を気にもせず動くものだから、母親のミラは何かと鼻についた。


「ミリ、寝ようぜ」


 切り捨てるように放ち、毛布にくるまる母親を無視する。

 三日も家を空け、盗みを働き、凍えそうな子を心配するのは当然の摂理だった。シンにはそれが酷く歪んで見えたが。


 乾いてもいない服でベッドに横になる。ミリは母に掴まったまま、無視できるほど母を嫌いではないのだろう。シンはそのまま久しぶりに目を瞑った。


 世界から魔物が消えたのは勇者様のおかげだ。伝説の剣を抜き、魔王を打ち破り、そして世界から脅威は消えた。


 人々には活気が戻りつつ、同時に交易も盛んになり発展。馬が目立つ世の中、以前までは商人や貴族が高いお金を払って手に入れたが、平民でも手に入れやすくはなった。


 食糧、移民、疫病の蔓延、それらの問題も徐々に話題に上がらなくなり。

 恐らく、世の中は平和というやつだ。

 剣を取る者が消えた、魔物がいなくなったからだ。

 同時に、勇者の存在も。


 シンは父を探している。勇者の一行に選ばれ、魔王討伐以降に消息を絶った父を。

 母は必ず帰ってくると言い聞かせ、だがシンには嘘でならない。


 母は、ミラは病に侵され、冬は越せない。二人の子供、働き手はなく食費や住居にお金が消え、医者は呼べず薬すら買えない。日々の生活にも支障を来たし始めた。

 働き手がないのは実に不便だった。父の稼ぎには頼れず、しかし一行に参加し世界を救った。


 ならば、とシンは常に考える。


 残された家族が何故苦しむのかと。一行に参加したせいで金はない。母は死ぬ。その子供と知られ、周りとは馴染めず交流は途絶え。

 救いはどこだろうかと。


 一週間が経過した。


 眩い陽光に目を擦り、シンは隣で眠るミリの頭を撫でる。

 毎朝、起床するとリビングからスープの香りが鼻孔を抜けるのだが、今回はやけに静かだった。


 予想は出来ていたために、あまりにも冷静にその残酷な現実を受け止める。


 母は亡くなった。最後に交わした言葉を覚えていない。罵倒だったろうから思い出す価値もない。


 墓地の前、すすり泣くミリを抱きしめながら思い耽る。


 鼻につく人だった。こうなることを予見できた聡明な人だ。父を送り出さなければ裕福で、ミリは虐めに合わず、今頃暖炉の前で雑談に花を咲かせている。


 それでも母は父を送り出した。


 家庭よりも世界平和を優先した。


 だから死んだ。


 金もなく無様に死んだ。


 大好きだった母は死んだ。


 二人を残して。


 薄情な人に流す涙は毛頭ない。けれど、シンは酷く辛かった。

 頭一つ小さな妹を抱きしめる。


「……お兄ちゃん、それ」


 鼻をすすりながらミリは言う。


「ああ、悪い。少し気分がな」


 無意識に腕をひっかいた。鋭利な爪でひっかいたために線の傷ができた。けれど、すぐに自然治癒。嫌なモノで、父の能力は確かに引き継がれており勇者の息子だと、血が流れているのだと思い知らされる。


 家の前、三人の憲兵が鉄戸をノックしている。


 盗みを繰り返し、迷惑をかけたせいでシンはお尋ね者となった。勇者の息子という事実は隠されているが、裏では利用して共謀する者も。


「ミリ、逃げるぞ。もうここにはいられねえ」


 生きるために盗みを働き、母を失い、それで捕らえられ妹を失うわけにはいかなかった。

 まだ我儘な面も、身体の弱さがある妹にこれ以上辛い想いをさせたくないが。


「王都へ行こう。んで、アイツを探す、」


 言い終えて、シンは憲兵と目が合う。


「走れ‼」


 石畳の通りを疾駆。ミリはすぐに息を切らしたので抱えて走る。


 嫌なるばかりだ。有り余る体力、バカげた筋力、どれも父の能力を引き継いでいる。だが、ミリは弱い。病弱ですぐに倒れる。母と同じ部分を継いでいる。

 シンは国を飛び出した。靴底が禿げようと街道を走り、蹲る妹を落とさないよう強く抱きしめる。


 陽が落ちる。


 寒さが襲う。


 野犬が出るだろう。


 手に武器は無く、身を守る術はない。


 だからといって、シンが止まる理由はない。


 定められた運命に抗うため、父を探す。


 勇者の子供の過酷な旅が幕を開けた。


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