第8話 妖精の誘い

 乾いた空気に、俺の声が響いた。


「じょ、女装って、アマネさんいきなり何!?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまったが、『女装』という単語を周囲の人に聞かれてしまったのではないかと、急いで人通りの少ない場所へ逃げた。


『トモから聞いた。困ってるんでしょ、悪かったわね。わたしも宣伝になるならよかれと思って、配信盛り上げたつもりだったんだけど』


「よかれって、散々な目に会ってるからね!?」


 ――トモ、アマネさんに連絡してくれていたのか。


 俺には返事をくれなくなったトモだったが、昨日の『女子だって誤解を解きたい。アマネさんたちに訂正してもらうよう説得してほしい』という頼みをしっかり実行してくれていたのだ。


『だから謝ってるでしょ。なに、怒りっぽいな』


「……誠意がもう少しほしいよ。あと、配信でも訂正してください!」


『悪かったとは思うけど、約束通りリアルの情報は他言していないし、個人の感想を自由に言っただけでしょ。だから訂正してほしいなら、交換条件に女装して』


「交換条件って、なんでそうなるの……」


 謝罪じゃなかったのか。どうして俺がアマネさんの頼みを聞かなくちゃいけないんだ。


『うるさい。いいから、女装して』


「いやだって、女装って……」


 女子じゃないことを説明してもらうのに、何故女子の姿にならなくてはいけないのか。

 だいたい。


「俺が女装して何の得があるの。誰も喜ばないよ」


『……待って、ケイは普段から女装しているんじゃないの?』


「まずアマネさんにもいろいろ訂正しないといけないみたいだ」


 どうやら、俺が性別不詳Vtuberをしている理由が、元々女装などを趣味にしている類いの人間だと勘違いしていたらしい。


『会って確信した。ケイは女装似合う』


「……そんなことないよ? 俺、男らしいとこいっぱいあるよ?」


 背は伸びてきたし、筋トレだってしている。少なくともロリに女子扱いされるような外見はしていないはずだ。――はずだ。


「その確信は間違いだったってことで、……その納得できないけど、交換条件ってことなら別のなにかするから」


『ダメ、女装してくれないと困る』


「……せめて理由を」


 アマネさんが言うように、性別不詳Vtuberをしていたせいなのか。


 女装に対して、多分他の男子よりは抵抗感がない気がする。でもだからと言ってたいした理由もなくするつもりにはなれない。

 納得できる理由なら――って女装に納得できる理由なんて存在するのか?


『わたしの家に来て。そしたら教える」


「家っ!? アマネさんの!? 待って、俺が行くってそれはちょっと」


『それからトモも呼んで。場所はあとでメールするから、二人で来て』


「待ってってば、アマネさんっ、まだ俺なにも了承してな――」


 しかし、俺の言葉など聞く耳もないと言うように、通話は終了する。


 アマネさんの――ロリとはいえ、女子の家に俺がお呼ばれしてしまった。


 出会ってまだ間もない女子のプライベートな場所に俺が入っていいのか? しかもトモと。


 あいつのことだ。『アマネっちがいない間に下着とか漁ろうぜっ! そっちのカラーボックスが怪しいぞケイちゃん!!』と目を輝かせることだろう。


 ――って、そんなわけないか。


 俺の中にいるいがぐり頭のエロガキが悲しい顔で夕日の向こう側へ駆けていく。行かないでくれ! と俺は声を出そうとするが、乾いた喉からはかすれた息がもれただけだ。


 返信はまだ来ていない。


 あんまり追い打ちで連絡をしたくなかったけれど、トモがどこかへ行くんじゃないかという恐怖心から、俺は電話することにした。アマネさんに言い訳を作ってもらったような気分だ。


 出ないんじゃないか。という不安は大きかったが、意外にもワンコール目でトモは通話に応答した。


「もしもし、トモ?」


『……うん』


「ごめん、俺……トモがなんで昨日怒ったのか正直、まだピンとは来てないんだけど。でも俺が何か悪いことしちゃったんだよね。ごめん……無意識になんて、余計悪いんだけど、でもごめん」


 俺はトモにどうしていいのかまだわかっていなかった。でもだからこそ、正直に頭を下げるしかない。


 しばらくトモは無言だった。


『……ケイ、私が悪かったの。だから、その私こそ……ごめん』


「そんな! トモが謝る必要なんてないよ。それよりさ、お願いがあるんだけど」


 実際に会うまでのエロガキだったトモを思うと、二人してこんな真剣に謝り合うなんて考えられなかった。


 気恥ずかしさだが気まずさだかわからないが、そわそわした気持ちとトモとまた仲直りできたことへの喜びで俺はせっつくように次の話題を出した。


「家にさ来てほしいんだ」


『こっ、こばっ!? ……え、ケイ、その私たしかにケイのことは……えっと、今気持ちが通じ合ったとは思うけど家ってまだ早いんじゃ』


「あ、アマネさんの家だよ。一緒に行こう」


『あ、アマネっちの……!? ど、どどういうことよ?』


 そんなことを聞かれても俺もわからない。


『三人なの!? ……え、家に呼ぶってことは、そういうことなのよね? いっ、いきなり三人なのっ!?』


「それは、そうだよね? ……アマネさんと俺とトモの三人だよ。変なこと聞くなぁ」


『だ、だって!! 私、その、は、初め……え、ケイは!? ケイは初めてなの!?」


 何故か通話越しに息の荒いトモ。


 もしかして忙しいときに連絡してしまったのか。


 ――やっぱ、トモも配信者仲間の家へ遊びに行くのは初めてだよな。会って間もない相手だから、同性のトモでも緊張しているんだろう。人見知りって言ってたし。


「俺も初めてだよ。だから……トモがいると、心強かったんだけど」


『うっ……だから女子大生に優しくしてもらうってこと……?』


「うーん? というよりアマネさんが強引で」


『ご、強引に!? へ、変態っ!! ケイ、また鼻の下伸ばしてるっ!!』


 荒々しい息づかいで、トモがまた俺をなじった。


 俺は単なる被害者なのに、どうしてだ。

 けれど理由がわからないから、警戒する気持ちもわかる。無理に誘うのは気が引けてきた。


「……急な話だったし、ごめん。トモが無理なら俺だけで行くよ。アマネさんにも俺からそう伝えるね」


『ねねねえってば、待って! それだと二人じゃないのっ!!』


「なんなのさっきから小学生がやる算数みたいなこと言って……」


『ちちち、違うでしょっ!! 小学生に見せられないようなことしようとしてるくせにっ!!』


 ――たしかに、女装は見せられないけど。


 俺が、見せたくはないな、と言うと、トモはまた無言になった。


 顔が見えないせいで、トモの長い沈黙が怖かった。しかも何故か呼吸音だけはすごく聞こえてくる。


 ジョギングとか、してたのか?


『わ、わかったわよ。……わ、私も行く。……覚悟決めた』


「ありがとう! トモが来てくれて俺も嬉しいよっ」


 ――こうして、トモと二人してアマネさんの家へ行くことになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る