12月29日

- -  1978年12月29日(金)


 もう沢山だ。

 とかいう可愛い書き出しから始めてやろうかと思っていたのだが、いざ日記帳を前にしたら綺麗にその気が失せた。どうやら僕にはどこまで行っても、憐れっぽく弱る才能が皆無であるらしい。一般的に人は過度に辛いことがあると泣いたり、酒や薬に頼ってみたり、死人のような顔色で空元気を出してみたり、はたまた暴れたり自殺を仄めかしたり、そうやって自分が弱っていることを周囲に知らしめて構ってもらおうとするようだが(そして現金なことに構われるとそれだけでも少し回復するようだが)、僕にはそういう弱り方ができないようだ。己を悲劇のキャラクターと思い込む才能、と言い換えてもいいが、どんなにそれっぽくやろうと「ぶって」みたところで、僕は決して俯瞰的な理性を捨てられない。僕は泣き叫ぶ狂人にはなれないのだ。それは昨日の日記を書いているうちによくよく解った。


 あぁそうだ悪魔、だが僕はまだお前のことを僕自身だとは認めないからな。

 心の底では分かっている。お前が今まで僕の記述の中に横入りさせてきた言葉は、僕自身から出たものであると解釈するのが妥当だ。しかしお前が僕の自我の一部であると認めてしまえば、僕がこの先万に一つでも何かしくじった時、「悪魔のせいだ」と言い訳することができなくなってしまう(少なくとも心証的にしづらくなる)。それは困る。僕は今のところ幻聴に悩まされる精神病患者の男、でありたいのだ。だから僕はお前を、僕とはあくまで別の存在として定義する。

 いいな? 分かったら〝悪魔〟として、僕の茶番にまだ付き合えよ。



 さて、では初心に立ち返って日常の記録に戻ろうか。

 午前十時頃、家の電話が鳴った。世話役の女が取り、僕に回してきたので誰かと思えばあの女子学生からだった。うちの電話番号は教えていなかったが、同学科の他の学生に聞いて回って辿り着いたのだとか。彼女はお世辞にも友人が多いとは言えない手合いだから、つまりまた大して親しくもない周りの奴らにわざわざひけらかすような真似を重ねたのだなと嫌悪感が湧いたが、その上「恋人なのに番号も教えずに放っておくなんて酷い」という旨の文句を割に長々と垂れられたので背筋が寒くなった。彼女のことは25日に大学で少し顔を合わせて以来放置していたが、そのまま年末年始の休みに紛れて距離を取れるかと思ったら大外れだった。何が嫌かと言えば、文句を言う時間すら明らかに戯れとして楽しんでいるその態度が。

 仕方がないので、午後会う約束を取り付けた。まあ家に居るのにも飽きていたし、母の埋葬年の矛盾について父に尋ねようにも切り出し方を考えあぐねていたので、丁度いい時間潰しではあった(そこに嫌悪感しか発生しないとしても)。電話を切ると、世話役の女が実に物言いたげな目で僕をじっと見ていたのでそれもまた面倒だった。だが自称恋人(僕はこれまで一切明言はしていない。あちらの先走りである)と違ってこちらは大恩を売った下僕であるから、まだ扱いやすい。例によって右手一本で髪を撫でてやったり、壁に頭を押し付けて微妙な痛みを与えてやったりしながら支配関係を諭したら数分で従順になった。喜んでいるようだった。右手は無論、後で洗った。

 父は僕が気分転換に出かけてくると言ったら、にこやかに見送ってくれた。彼は松葉杖で右脚を支えれば、家の中はゆっくりと移動できるところまで回復してきた。先日高熱を出して以来、視覚機能がより一層低下した疑いがあるものの、彼は穏やかで元気に過ごしている。

 そして、

 そうだな。書きたくはないが事実だから記述する。

 僕が父から本当に大切に愛されていることは疑いようがない。ただ同じ家の中に居るだけで伝わるそれは、それだけはどう足掻いても認めざるを得ない。


 外出して会った自称恋人だが、抱いて黙らせた。

 自分が普段から眼鏡を掛けて生活していることのほぼ唯一の利点は、眼鏡を外せば見たくない物に焦点を合わせずに済むということだ。レンズを脇に置くことで乗り切れる場合がある。悪辣な儀式の観覧も誰かの吐瀉物も老父の顔貌も、苛立ちしか湧かない女の痴態も。僕の身の内は常に凍り付くほど冷たいというのに、あの女は僕に抱きついてあたたかいなどとふざけたことを抜かした。ただでさえ処女は扱いが厄介だというのに、失笑をこらえる必要まで加わって苦労した。勿論向こうにはそのような思いは欠片も伝わらなかったに違いないが。万事を文句の付けようもなく進め、初めてにも関わらず痛みどころか快感をもたらした稀有な男として記憶された、と思うと吐き気がする。あの性格だから僕と縁が切れた後も語り種として吹聴しかねないな、その勉学しか出来ない脳から僕に関する記憶だけ引き摺り出して焼きたいな。家に帰る前に今度は全身を隈なく洗った。

 確かに世の中では、男が女を道具として扱うことの方が多いやもしれない。僕の母をはじめ、我が家が権力で娶って子を産ませた女達の如く。

 だが僕という男を勝手に理想化し、勝手に惚れて、身勝手に独占しようとしたり被虐願望や崇拝をなすり付けてきたりする女達はどうなんだ? 僕は彼女らを都合よく使っているが、同時に彼女らに都合よく使われてもいるではないか。

 どちらが悪いとかいう話ではない。


 総じて醜いから、男も女もなく皆滅んでしまえと言っている。


 あわよくば僕が、世界という舞台ごと、演者もろとも皆殺しにしてやろうと言っているのだ。君臨と支配の才を持った僕こそが、あらん限りの苦痛と後悔を供花として。




 帰宅し、夕食を済ませて父が寝た後、僕は一人で母の墓を暴きに行った。

 凍える寒さだった。北の地面を掘り返せばすぐに焼き物の骨壺が出てきた。積年の土を払い、懐中電灯で骨壺を照らして見ると、その表面に二行ばかりの不格好な文字が刃物か何かで彫り付けられているのが読み取れた。曰く、


  『1964年 夏

   永遠に愛している』


 これで確定した。

 母の骨が土の下に納められたのは、彼女の没後六年も経過した1964年である。骨壺に直接記されていた以上、目録の埋葬年が間違いだったという線は消えた。しかも上記の文字列は、当教団の当主筋のみが教わる特別な文字を用いて彫り付けられていた。この特殊文字が他派閥の教団にも存在しない、間違いなく我が家だけのものであることは確認済みである。

 1964年時点で聖域内に在住で、壺にあの文字を彫り付けることが可能であった当主筋の人間は、父しか居ない。


 読み取った時、骨壺を抱えた手が震えた。これを書く今も、この段になってから指先が震えそうになっている。

 途方もなく、暗澹とした予感があるのだ。


 お父さん、あなたは母に何をした?

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