12月17日

- -  1978年12月17日(日)


 今日はまた動きのある一日だった。だが僕の心は比較的に平静である。昨日からの一連の出来事、及びそれをここに記録する作業の中で、僕は自分の心が一段階の変形を遂げたのを感じた。言い表そうとすると難しいのだが、そうだな。僕という人間は創作物に対して感動を覚えたことがない、とは繰り返し書いてきたが、それに質の近い無感動が心の表層をかっちりと覆っている。例えば劇場に舞台劇を観に行った時の感覚だ。舞台上で役者が懸命に誰か他人の人生を演じているが、それを客席から見上げる僕にはその役の人生など別にどうなろうが関係ないのだし、じっと見ていても何も得られず、ただ物語の筋を追ったり伏線の回収を見届けたりはしているが、結局何も心の内部まで響いてくることはない、あの感覚に近い。今の僕には現実を生きている目の前の人間が、まるで舞台上をぐずぐずと右往左往するためだけに用意された操り人形のように見える。僕だけが客席から彼らの、うだつの上がらぬ藻掻きようを眺めている、そんな心地だ。有り体に言えば僕は面倒臭くなったのだろう。自分の近くに居る他者に、感情移入しようと努力するのが。

 みんな陳腐な箱の中、箱の中でしか成立し得ぬ空しい張りぼて芝居のようだ。


 張りぼての三文芝居にも変化はある。今日は新しい人物らが舞台上に参入してきた。僕が我が家の「協力者筋」から呼んだ二名の世話役が、これから当面の間、父の世話を手伝ってくれることになったのだ。流石に、失明寸前の上に右脚を骨折した老父の世話は僕が学業の片手間に一人で回せるものではないと判断し、助けを呼んだ。幸いにして我が家には、そのような場合にすぐに頼れる人脈が整っている。こういう時ばかりは古い宗教家の家系も悪くはない(いかにその教義が支離滅裂な、耳を傾けるに値せぬ悪辣なものであろうとも)。

 手助けに入ってくれたのは男女の二人組である。かつては我が家が所有するこの街(聖域)の西側に住まい、ゲヘナを用いた諸々の儀式の補佐をやっていた家の末裔たちであるという。見たところ男の方は三十歳になるかならないか、女の方は三十五歳から四十歳の間くらいの年恰好だった。どちらもあまり気さくとは言い難い態度で、無口かつ無表情に仕事を進めていく様子だった。思えば父の定期診察に来るあの医者もそういう態度だ。よく似ている。彼らの表情はみな能面の如く、それこそ操り人形を彷彿とさせる。そのような能面たちに向かってぺこぺこと繰り返し頭を下げる父の姿が、また何とも言えず締まりがないというか、言ってしまえば哀れだった。父は未だ僕に腹を立てているようなので、今日はあまり会話もしなかった。

 二人組の世話役は毎朝七時にこの家にやって来て、平日は僕が大学から帰宅するまで、休日及び大学の講義がない日は午後四時まで家に留まってくれる。父の身の回りの世話に限らず、ある程度は他の家事も頼める。これは単純に助かる。しばらくは僕の負担が軽くなりそうだ。本当はあまり家に他人を上げたくないのだが、今は状況が状況だし、家事まで代行してもらえるならば甘んじて歓迎しよう。それに勿論、彼らへの給与は我が家の貯蓄から順次支払われる。決して少なくない額である。父の世話以外の家事を頼む分は、別途追加の報酬も支払われることになっている。互いに契約内容に異存ないことは、今日しっかりと時間を割いて確認しておいた。


 そのような訳で家に二名の能面を受け容れ、彼らに父のことを任せている間に、僕はまた一つ庭園を潰してきた。

 先日は東側の二つを潰したが、今度は北東の小庭園をやった。三度目ともなると要領が分かってきて、より無駄なく薬剤を撒くなどできた。思ったよりも早く作業が済んだので、先日やった東側の二つの方へも足を運び、そちらには枯れ木・枯れ草の風化を速める新しい薬液を撒いてきた。そちらも上手く効いてくれるといいのだが。今度雨の日があったら、雨粒に打たれた木々の死骸が魔法のように崩れてくれることを期待している。


 庭を潰しながら僕は、幼年期のことをぼんやりと考えていた。父は未だに僕が赤色を好きだと思い込んでいるが、その勘違いの発端を思い出していた。

 あれは僕の五歳の誕生日であったと思う。父が赤色のセーターを贈ってくれたのだ。僕はそれを「かっこいい」と言って喜んだ。しかしそれは、実はそのセーターの色彩が赤色であったこととは何ら関係のない賛辞だった。当時の僕はまだようやく物心ついたかどうかという時期であったし、恐らく色彩全般に対する関心が希薄な子供だったので、要するに「何色が好き」というこだわりが特になかった。ただし幼心の認識として、「子供は親に物を貰ったら喜びの感情を表明するべきである」ということだけは察しており、故に反射的にかっこいいと述べてはしゃいで見せたのだ。あれは父の機嫌を損ねないためだけに演じた、稚拙な処世術であった。

 しかし父は見事にそれに騙され、あまつさえ「息子は〝赤色が好き〟なのだ」と誤った解釈をした。

 以来、僕には赤色の物ばかりが贈られるようになった。もし父が男手一つでなく、母と共に育児をすることが叶っていたのなら、僕の部屋にも多少は赤以外の色が入ってきたかもしれない。女親はそういった贈り物の偏りにも気を配りそうなものだ。だが、父はひたすら僕に赤ばかりを贈った。否、押し付けた。あれの内実は押し付けである。

 昔から疑問なのだ。

 赤とはつまり血液の色だろう? それのどこが魅力的なのか、僕にはさっぱり分からない。

 儀式、と称したおぞましい行事を父に観覧させられている最中に、死体から飛び出た生温かい血液をうっかり浴びてしまった七歳のあの夜から、僕は赤色を嫌悪し続けて今に至る。


 父という人は昔からそうなのだな、と、今日改めて思った。眼病になるより昔からあの人は、とうに盲目だったと思う。

 庭園を潰すのは非常に楽しかった。


 さて、明日はまた大学だ。世話役を呼んだおかげで無事に学校にも行ける。

 と書いていてやっと思い出したが、明日はあの告白するだけして逃げた女子学生と講義が二つも被っているのではなかったか。ああ煩わしい。

 まあ面倒ながら、家のことも学業も人間関係もどうとでもなるだろう。明日もせいぜい頑張るとしようか。今日はここで切り上げる。

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