12月12日

- -  1978年12月12日(火)


 研究発表が終わった。手応えとしては何事もなく最高評価を獲得できたと思われる。質疑応答まで含め、教場に新たな議論を提示しつつも、自分達の見解に一貫した説得力を持たせながら最後まで展開できた。教授の反応も上々というところであった。

 発表の終了後、さり気なく教授と二人だけで話す時間を設け、班内の剽窃者どものことを伝えておいた。教授は奴らの動向を注視すると真剣に頷いていたので、あとのことは概ね僕の目論見通りになりそうだ。遠くない将来存分に罰されるがいい、屑どもめ。


 さて、僕はといえば昨日一昨日から口の中が苦い。これは実体を持たない錯覚の苦味であるが、そろそろ仮想の苦さに圧し潰されて現実の味覚が途切れてきたように思う。食物の味そのものは感じられるが、それに対する実感が湧かない状態が続いている。口内と脳の距離が著しく開いており、両者が乖離しているとでも言うべきか。さりとて毎日の料理に支障はなく、父も普段通り僕の作ったものを美味しいと言ってくれているが、現在の僕は食事に関心を持てる精神状態ではない。

 では何が僕の精神を占有しているかというと、やはり我が家の所有域内の庭園を閉じたいという焦燥感である。

 数日間にわたって色々と考えてみたが、どうしても庭園は閉鎖したいという結論に達した。散々述べているように、現実問題として僕一人ではこの家の複数箇所の庭園を守り切ることなど不可能である。ただでさえ庭園以外の場所の老朽化の方が深刻なのだから、そちらに集中するためにも手始めに庭園から始末をつけたい。この家の今後について思考すればするほど庭園が邪魔な物に感じられるようになり、ついに庭園憎しの気持ちすら芽生えて味覚に異常を来すまでになったのである(とは、些か誇張であるかもしれないが)。

 無論このことは父には言わないでいる。彼に物質的な話が通じないことはもう嫌というほど理解したためだ。父への隠し事が増えるたび罪悪感は強まっているが、ここは罪の意識を飲み干してでも庭を畳んでしまおうと思う。


 手間を取らされた研究発表も無事に終わり、明日は講義のない水曜だ。よって早速、その作業に着手するつもりである。

 昨日の日記で僕は、「物体に対する〝殺害〟方法」という言葉を用いていた。その言い回しを流用すれば、明日行うのはいわば庭園に対する〝殺害〟だ。なるべく穏便な方法を既に考えてある。今夜はこれから父の入浴を手伝い、彼の就寝までを見届けたら、庭園を向こう側へ送る準備を一人で整えたいと思う。これが順調に済めば味覚も戻る、と期待したいところだが。

 明日、また詳述しよう。今夜はここで筆を置くこととする。

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