12月11日
- - 1978年12月11日(月)
昨日の日記を見返し、嫌悪感が募っている。
どうして僕は自分の無様な姿を文字にして残しているのだろうか。例えばの話だが、僕が明日外へ出てそこで通り魔にでも遭って、二度と帰宅することなく死んだとしたら。この日記帳を僕は持ち歩いてなどいないから、当たり前に僕の机の引き出しの奥に残存してしまう。僕の無様の記録が。恥の描写が。罪なき父の姿が。僕の管理下から外れ、僕の居ないこの世で文字だけが一人歩きする。そんなことが許されていいだろうか。だから先日(12月7日か)の僕は、記録することはある種の大きな危険であると書いたのである。今や僕はこの日記帳を廃棄してしまいたくなってきた。確実に処理するには、そうだな、灯油でもかけてしっかりと燃やした後に、灰をあのゲヘナの大穴にバラバラと捨ててしまえば二度と誰にも見つからずに終われるだろう。ゲヘナに溜まった大量の死がこの記録をも死なせてくれるに違いない。ああ、それはなかなか完璧な、物体に対する〝殺害〟方法ではなかろうか。気に入った。僕はあのゲヘナは我が一族の愚かしさの象徴と考えて軽蔑してきたが、ものは使いようだ。よし決めた。今後何か見つかりたくない物体を処理する際には、最終廃棄場としてゲヘナの大穴を活用してやろう。
ああだから駄目なのだ。上記のようなことをつらつらと吐き出してしまうからいけないのだ。汚らしくて吐き気がしてきた。僕はこの日記の中であの大穴のことを侮蔑していたり、聖域であっても崩れる物は崩れると断言していたり、大学の人間を総じて見下していることをあからさまに書いていたりする。それらはみな父に明かせない僕の歪んだ思想である。仮に僕が父より先に死んだとしたら、父にも外の世界に頼るつてくらいはある。僕らは息の長い一族だから、外界にもある程度の数の協力者筋は残っている。その時に、外からやって来た父の世話役がこの日記を発見したとしたら。父は間違いなく息子の遺した痕跡について知りたいと望むだろう。そしてこれらの文章が父の前で音読されたとしたら、どうだ。
いけない。こういうことを好き勝手書き散らすことが現在の僕の拠り所となってしまっているのが駄目だと言っているのだ。たったの11日目にして僕は記録することに対して、そしてまた伏せるべき思想の文章化に対して快感を覚えている。何故だ。何故このようなことになってしまった。
疲れた。
聖域があり、その管理者の一族の末裔に父と僕が居る。僕がこの聖域の後継者である。母は僕の物心つく前に病で死んだ。母の骨は聖域の北側に埋まっている。
たったそれだけである。
たったそれだけでしかない暮らしを僕は数々の醜い思想と共に書き留め、悦に入っているのである。穢らわしい。最も断罪されるべき存在とは僕のことなのではないか。
できない。
この日記を廃棄することは、少なくとも今夜の僕にはできそうもない。情けないことだ。来たる日の自分よ、先述の通りゲヘナでも何でも使って完璧な処理を頼む。お前にならどうせ非の打ち所もなく遂行できるのだろう、それがいかなる恥であってもお前は、必ず僕なのだから。
明日は研究発表の本番である。もう就寝するとしよう。
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