12月9日
- - 1978年12月9日(土)
12月9日と言いながら、もう日付は変わりそうである。今日は忙しい一日だった。僕は普段なら遅くとも二十三時半には就寝しているが、今日はその時刻からこの日記を書き始めている。今日は書かずに寝るという手も当然あったが、どうにも寝る前に思考を文章にして落ち着かせたく、そうしなければ上手く寝つけないという予感があったため、筆を執った。
先述してきたように大学へ行った。研究発表は順調に準備完了となるかと思われたが、あとは詰めるだけという所で問題が発生した。僕を含めた五人の班員のうち、なんと二人もの男子学生が、発表資料の引用部分で論文を孫引き、あまつさえ剽窃していたことが判明したのだ。本人達は不注意だと言い訳していたが、孫引きはまだしも、剽窃の方は残念ながら擁護の余地がなかった。孫引きの方も該当箇所の半分以上が孫引きどころか曾孫引き、もっと言えば子孫引き(こんな言葉は存在しないが)で、とにかく酷い有様だった。不真面目にも程がある。他者の成果を盗用するなど、学問に触れる者の端くれとしてあるまじき卑怯だ。第一学問に限らず、他者に情報を渡す時はしっかりとその出所を正し、必ず自分で責任を持てるようにしておくのが当たり前ではないか。大の男が、そんな当たり前のことも出来ずに恥ずかしい。小学生が研究ごっこをやっている訳ではないのだ。奴らは最高学府に三年も在籍しておいて、一体何を学んできたというのか。
いっそそのように思うさま、奴らを罵れたら良かった。だが怒りは全て飲み込んだ。せいぜいが溜息一つで、僕はすぐ修正作業にあたった。問題の箇所を全て抜き出して正しい形の引用に直し、ついでに幾らかの論理破綻まで正してやった。ほとんど完成しかかっていた資料に後追いでそれだけの手を加えるのは並大抵の手間ではなく、他の真面目な班員の助けがなかったら夜まで大学に拘束されていただろう。だが僕の代わりに、と言っては何だが、前に少しだけ言及した熱心な女子学生が剽窃の奴らに厳しく怒ってくれた。あの女子学生は法学部に在籍する数少ない女子だが、そこらの呆けた男子学生よりよほど頭が良い。僕は賢い人間が好きだから、何も分かっていないくせに分かったような顔で闊歩する男より、あのような女性と関わる方が遥かに苦痛でない。剽窃の奴らはあの女子に説教されて小さくなっていたが、反省していないことは明白だった。
発表の準備それ自体は、月曜にあと数時間の最終調整をすれば火曜の本番には間に合うだろう。
僕はあの卑怯な奴らをほとんど咎めなかったが、許したわけではない。真逆だ。あえて咎めず野放しにしてやることで、このさき増長した彼らにもっと酷い破滅が降りかかるのを待つのだ。今回の研究発表では僕と他の班員が甘やかし、助け、良い成績をくれてやる。だが発表が終わった後でそっと、奴らが学問を穢すような真似をしていたことをそれとなく担当教授の耳に入れておこう。あの教授は学科主任である上、僕のことをいたく気に入っている。僕が言えば教授は必ず奴らの今後の動向を注視し、奴らが次にぼろを出した時には惜しげなく厳罰に処すだろう。学部首席である僕に許されたと勘違いして増長した奴らの次のぼろは、今回よりももっと杜撰で、大きいに違いない。
その時が楽しみだ。身から出た錆に足を掬われて腐り落ちてしまえ。
そういえば以前僕は「大学のことはここに書くに値しないと思っている」と記したと思うが、その思いは変わっていない。今日は最も嫌いな部類の人間に振り回された怒りを吐き出すために長々と書いてしまったが、基本的に僕はあの場所に思い入れがないのだ。
わざわざ書くまでもなく、あの場の教授達は大概が僕を気に入っているし、学生達はみな僕に一目も二目も置いており過半数が僕に好印象を持っている。そのような人心掌握をとうに済ませた予定調和の場所が、どうして今更面白いわけがあろうか。
嘘を吐いた、楽しみなことなどない。仮に奴らが停学だか退学だか喰らったところで。
そのような腹立たしい事由で当初の予定より長く大学に拘束されてしまい、急いで家へ帰ったのだが、玄関を入った途端何か焦げたような臭いを感じた。慌てて台所に向かうと父が火を使っており、鍋の中身が焦げていた。すぐに火を消して大事には至らなかったが、その後その場に立ち尽くしていた父の前で僕は膝をついてしまい、「やめてください」と言ってしまった。自然に膝に力が入らなくなることがあるのを初めて知った。床が冷たかった。
父は、僕が勉学に励んでいるから帰りが遅いのだということを十分に了解していて、何とか夕食を用意して労ってやりたいと思ってくれたのだそうだ。父は元々料理ができないのだが。そんな彼の厚意に向かって、僕の第一声はよりにもよって「やめてください」だった。僕の不用意で不孝な言葉が、どれだけ彼を傷付けてしまっただろうか。勿論彼にはきちんと謝意を伝えた上で、それでも今後は絶対に一人で台所の火を使わないようにと、しっかりと言い聞かせて和解した。父もすまなかったと言って落ち込んでいたが、遅めの夕食の後はすっかりいつも通りの穏やかな調子に戻っていた。
床に跪いて見上げた父の顔があんなにもいつの間にか老いていた、その顔の皺の深さが変に印象に残ってしまって困っている。近頃の父はもう視力が低下し過ぎて、眼を開けていた方が逆に混乱するからと普段も瞼を閉じているようになったのだが、そうしている彼は余計に老け込んで見えた。
かつて僕のことを嬉しそうに見守っていた、まるく慈悲深いあの父の瞳はどこだろう。どこに行ったのだろう。純粋な黒よりも少し灰色がかったような虹彩は、病が徐々に濁らせた。
あれでは父は老人ではないか。老いた顔の図像が焼き付いたのを、脳味噌から消す方法を教えて欲しい。
ああ、また感情に任せて書き散らしてしまった。零時もとっくに回っている。しかし、書く前より少しは気持ちを落ち着かせることができた。日々のことを文章の形にしようと思い立った先日の自分に感謝というところか。
今日はここで切り上げる。
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