12月4日

- -  1978年12月4日(月)


 大学の帰りに空を見上げたら、西の方角に三日月が出ていた。今月もあの月が次第に太っていくらしい。あの衛星の形状も、僕に時間の経過と、それに伴う諸事の変化を忘れさせないでくれる一つの指標であるかもしれない。

 なんだか感傷的な書き出しになっているが、この日記は三日坊主ではなかったようだ。


 今日は日暮れまで講義があった。すっかり日も短くなったが、冬至が近付いていることを思えば当然か。息がはっきりと白く見える季節になった。

 講義の後はまっすぐ家に帰り、夕飯を作った。父の体調はほとんど戻ったようで良かった。父に、昼間は何をしていたのかと尋ねたところ、レコードを聴いて過ごしていたとのことだった。音楽は、瞼を閉じていても寄り添ってくれると言っていた。確かにそうだろう(僕は芸術に対する感性が弱いが)。考えてみれば、「娯楽」と呼ばれるもののうち、視覚情報に依存しているものの多さよ。そもそも人間生活それ自体が、眼で見ることを何よりの前提としているように思う。

 底意地の悪い言い方をすれば、父はそれに置いて行かれつつあるということか。


 今度、新しいレコードを何枚か仕入れてこようと思い付いた。大学の近くにそういった店が幾つかあったはずだ。父の好みそうなものを、店主の勧めも聞きつつ選んでくるとしよう。

 僕は感受性に欠けがある割には、その穴を周囲に対する観察力と演技力の高さによって補い、無欠の人間のように振る舞うことが巧い。僕のこの特性は、父にすら気付かれていないようである。だから初めて入るレコードショップでも、僕は好く振る舞えるに違いない。近々試してこよう。


 昨日書いた、老朽化して崩れた石垣の件だが、父には伝えていない。伝えれば恐らく、母の墓の近くであるということが彼を動揺させ、無理にでも様子を確かめに行こうとするからだ。僕の外出中に何かあっては困るので、僕一人で対処する。水曜は講義がないから、そこを修繕なり何なりに充てることにしよう。

 そういえば今日は帰宅時、外から二つ目の門の動きというか滑りが悪く、開けるのに少し苦労したのだが、何か引っ掛かってでもいたのだろうか。暗かったので検証はしなかったが、明るい時間帯にまた見ておく。

 家の所有域のあちらこちらに、古さによるがたが来ているようだ。探せばまだまだ出てくるのだろう。困ったものだ。


 父はそろそろ寝支度か。今日はここで切り上げることにしよう。

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