12月3日
- - 1978年12月3日(日)
人間というのは単純なもので、3日目となると、早速脳が日記をつけるという行為を「習慣」として認識し始める。世の中には三日坊主という言葉もあるが、人は飽きやすいのと同じ程度に、慣れやすくもある。今回の僕はどちらへ転ぶだろうか。飽きて筆を止めるか、慣れて続けるか。
どちらでも構わない。僕は何であれ、その時々で出た結果を受け容れよう。
今日は晴天に恵まれたので、昨日書いた通り、買い物と敷地の掃除に充てた。今日も父に生姜湯を作ったが、昨日より具合が良くなってきたとのことで安心した。母の遺骨が埋まっている場所も掃き掃除をしてきた。家族以外の者が見てもそうとは気付かない、控えめな墓標に向かって、手を合わせてきた。合掌も僕の中で、ある種の「習慣」として分類されている動作の一つだ。左右の掌を接触させている間、僕は亡母のことを想うが、それが正しく息子から母への思慕の形を取っているのかは自分では判断できない。
昨日も同じようなことを書いたが、何故、人はカルシウムとタンパク質の塊の前で祈りの動作を選択するのだろう。
墓標の近くの石垣が一部、崩れていた。老朽化だろう。敷地にある建造物は、どこも深刻な老朽化が進んできている。だが僕はこれについて、どのような対策を講じればよいかを決めかねている。なぜならこの家、及びこの家が所有する広大な面積の土地は、外の人間を招き入れることが望ましくない性質の場所だからだ。望ましくないどころか、父は「言語道断」とすら考えているだろう。
外部の業者に修復を依頼する、というわけにはいかない。少なくとも、父が存命のうちは。彼は病身で、近頃は杖がなくては屋外を歩くこともままならないが、それでもこの一帯の所有権が彼にあることは間違いない。穏やかな彼が、穏やかながら強い意思でもって、この場所に外の者を入れてはならないと言い続けるのであれば、僕は最終的に頷くことしかできないのだ。さて、あの崩れた石垣をどうしたものか。
この広い場所を、父子たった二人で(そして現在は実質的に僕一人で)管理していくのには、当然ながら無理がある。父とて、それが信心の深さだけで解決できる問題でないことは薄々感じているはずだが。
いや、もしかするとあの人には、それでも全てが信心の問題に見えているのかもしれない。
視力を失いつつあるからこそ、尚更そう見えている可能性はある。
家のことに関する諸課題は多いが、ひとまず明日は大学だ。今日はここで切り上げる。
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