12月2日
- - 1978年12月2日(土)
今日は大学もなく、特に用事もなかったため、読書に時間を割いて過ごしていた。先日大学図書館で適当に手に取ってきた翻訳小説を読んだが、やはり登場人物の誰に対しても、共感も反感も抱くことができなかった。本を読んでも、映画や舞台などを鑑賞してもそうだが、僕は創作物に対して心を動かすということができない。中学生の頃あたりまでは何とかして他人と同じように「感動」を見出そうとしていたものだが、21歳の今は、もう揺るがない諦観が完成されてしまった。僕の感受性は、どうもある面から見て死んでいるらしい。そのことに対する引け目や悲しみなども、ある時期までは多少は持っていたはずだが、いつからか消失して久しい。
気にしてどうなるわけでもないので、気にするのをやめた。有るものが有る一方で、無いものは無いのだ。存在の有無が勝手に入れ替わることはない。人間にできることは、有無を受け容れ、従うことのみである。
父は昨日に引き続き、風邪気味のようだ。喉に痛みがあるらしいので、生姜湯を作ったら好評だった。生姜が残り少ないことに気付いた。今日は日がな家に居たが、明日は生姜も含めて買い物をしなければ。
こうして筆を執ってみて分かるが、この家には僕と父しか居ないため、僕のこと、彼のこと、そしてこの家自体のこと、この3つしか書くべき事項がない。筆者である僕が他に社会的な関わりを持っている場所といえば大学だが、大学での出来事はどれも書くに値しないと思う。なるほど。静かな生活を送っていると、日記帳の中身も静かにならざるを得ないということか。
もし、この家に母や、兄弟姉妹、あるいは僕自身の配偶者が居たら(僕はこのような仮定にあまり魅力を感じないが)、もっと華やかな生活の記録が綴れたのだろうか。いや、その場合僕はまず、生活を書き留める必要に駆られはしなかっただろう。
そういえば、母の遺骨はこの家の広大な敷地の北のはずれに埋まっているが、あの辺りにも落ち葉が積もっているに違いない。明日は天気が崩れなければそこの掃除もしよう。
遺骨を「眠っている」と表現することに違和感がある。骨は眠らない。「ある」だけだ。物心ついた時には既に母は故人であったが、彼女が遺したカルシウムとタンパク質の塊が地中の特定の場所に埋まっていることについて、一体どのような感動を覚えればよいのだろう。
夜も更けてきた。散漫な内容になってしまったが、今日はここで切り上げることとする。
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