八. 自販機の脇
初めて、煙草を買った。自動販売機で、1本あたりの値段がもっとも安いのを選んだ。キャメルの何かだ。値段の割に軽くて、振るとなかの紙煙草が羽根ペンのようにぱたぱた動いた。箱を包む手には何かがぶつかる感触はあるのに、現実感はない。まるで発泡スチロールでラリーしている卓球の試合を見ているように浮ついた。
箱を手に持ったまま、ジャージのズボンの左のポケットを探ってライターを出した。煙草を買いに行くついでにコンビニで買ったのだ。たぶん、ここでしか使わないと思う。処分に困りそうだな、と軽く自嘲的に私はなった。
大学を中退して編入し、前いた下宿から少し離れたところへと居を移した。もともと友達はいなかったから寂しくもなんともなかったけれども、入学前に抱いていた朧げな将来の青写真が脆くも風に消えたことが、私の日常においては心細かった。4年続くはずだった計画を崩して、ここから新しく作るのだ。だが方針は何も決まっていない。それでなぜか、「よし、煙草を吸ってみよう」と思った。喘息を持っていたのに、どうしてかはわからない。たぶん、エモさがほしかったんだろうな。
道を引き返して新居に戻る途中、コカ・コーラの自動販売機があった。すごく平凡な赤い機械で、奥に金属製のゴミ箱がある。その背後にはロープで囲った空き地があり、各辺沿いの雑草がかなり伸びてきている。手入れに力は入っていなさそうだった。
私はこの空き地と、その目の前に立つ自動販売機という組み合わせを好ましく思った。すごく、すごく画になるじゃないか。自販機にもたれ、箱を開けて煙草を1本口にくわえた。おがくずをいぶしたようなにおいが懐かしかった。お父さんも吸ってたな。銘柄は何だったろう、セブンスター? メビウス? ハイライト? いいや、何ひとつわからないな。煙草の臭いは嫌いだったから。
そして火をつけた――昔はあんまり好きじゃなかった煙草に。いやなことではあったけど、今回ばかりはそれが私を慰めてくれた。重めの霙みたいに、肺に何かが浸潤してゆく。むせそうになって喉を鳴らした。だがない痰が絡んでできなかった。タール臭くてくわえつづけられん、私は煙草を指に挟んで灰を落とした。咳をすると、胸は多少楽になった。ひどく不快だ。だが私は再び煙草をくわえた。自動販売機にもたれ、ポケットに手を入れて天を見あげた。周りが明るすぎて星は見えなかった。涙を流す準備をして主流煙を飲みこんだ。やっぱりいやな感じだ。それでも私は同じように、煙草をくわえては口から離した。
(2023.3)
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