五. サンドバッグ

 またオーナーが、裏で誰かを怒鳴っている。日付を越えそうなこの時間帯だと、ほとんどお客さんはいないけれども、それをいいことに直情的にいられると、働いているこっちとしても気分が悪い。オーナーたるもの威厳を見せねば、と思っているらしいが(しょっちゅう新人の子になめやがって、と言っているからそうなのだろう)、たぶんこの人はあんまり頭がよくないから、ただ怒鳴って委縮させることでしか威厳を示せないみたいだ。むろんそれが威厳になっているかといえばそんなことはなくて、すぐキレる情けない暴君にしかなれていない。でもそれを指摘したって、なめられるのが大嫌いなオーナーのことだ、どうせ威圧してくるだけに決まっている。ハイハイわかりました、と指示に従っておけば、対応は雑だけれども理不尽に怒鳴ってきはしないので、私は黙って怒られない程度に仕事をこなしている。客が入ってきた。白Tの、ウルフカットの女。ちょうど怒鳴り声は止んでいた。聞かれなくてよかった。

 オーナーが奥から出てきた。バックヤードの方を何度も振り返りながら、なんだよあいつ、ふざけてんじゃねえのかと悪態をついている。レジに立っていた私に気がつくと、急になれなれしくなって(でも話したい内容は変えずに)、

「ねえ聞いてよ夏衣なついちゃん、新しく入った子さ、えーと、何て名前だっけ? あの子さ、俺に質問してきたんだけどさ、何て言って聞いてきたと思う? 「あのー、これって終わったらどうすんすか? 棚に並べるんすか?」だってよ。まったく、あり得んよね。そんな口の利き方をオーナーにするなんてさ、どんな教育受けてきたんだろうね。こんなんじゃ、日本のお先は真っ暗だよ。俺の時代がよかったってわけじゃないけど、時間があってこれじゃあ、ダメだね。やっぱり教育は……」

 はい、とかそうですね、とか適当な相槌を打って聞き流した。この人は喋って、聞いてほしいだけなのだ。別にこっちの意見なんか求めていない。しばらく耐えていると、さっき入店してきた女がカゴに缶を何本もつめてやってきた。酒だ。チャラいバンドでベースを弾いていそうな見た目通りの買い物だった。オーナーはレジに入って彼女の会計をしようと身構えた。下心がわかりやすくて、ほんとうにため息が出てくる。だがワンテンポ遅かったようで、女はオーナーをスルーして私のもとにやってきた。袋はいらないです、と彼女は言った。

 手提げ鞄に酒類をぜんぶ詰めこみ、会釈しながら礼を言って彼女は出ていった。こういう客ばかりだから、接客に関してはこの店舗は非常に楽だ。ネックなのは、唯一このオーナーである。

「何だよあの女、俺の方が近かったのに無視しやがって……なめやがって……どうせ俺は不細工だよ、顔がいいからって、ほんとに……」

 バックヤードから鈴木が出てきた。例の新入りの男の子だ。こそっとこちらを見て、商品の確認のために店の奥に向った。

「おい、夏衣、聞いてんのか? ちゃんと反応しろよ」

 聞いてますよ、と正面を向きながら私はオーナーに返した。セダンタイプの車が1台、駐車場に入ってきた。


(2022.12.6)

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