第29話 逃げたウサギの追いかけ方

 いつもは見上げるだけで溜息が出そうになる階段を一気に駆け上がり、思考実験サークルの部室に飛び込んだ。美空先輩はまだ部室についていないみたいだったけど、そわそわする気持ちを抑えていつもの席に座った。初めて輝と会ったときに座っていた部屋の隅のパイプイスは、当然のように今日は誰もいない。


 長い長い数分を所在なく座っていると、美空先輩はいつもと変わらない様子でゆっくりとした動きで部室に入ってきた。


「輝ちゃんがいなくなっちゃったって?」

「そうです! 朝起きたら荷物もきれいになくなってて」


「うんうん、時間はわかる?」

「いえ、朝起きたらいなかったので。昨日夜の11時にはまだいたのは間違いないんですけど」


 焦っている俺とは対照的に美空先輩は落ち着いた口調で俺から話を聞いていく。俺がわかっていることは多くない。それでも言葉に出していると少しずつ気持ちは落ち着いてきた。輝がいなくなった原因だけははっきりとは言えない。そんなことをしたら今度は美空先輩まで失ってしまいそうだった。


「ふーん、なるほどなるほど」


 美空先輩は俺から聞いた話をノートに走り書きして整理していく。ただ読み返してみてもただ急に輝がいなくなったことしかわからなかった。


「何かわかるんですか?」

「全然わかんないよ。私は探偵じゃないし」


「じゃあ、なんでこんな風にノートにまとめてるんですか?」

「推理はできないけど、思考実験はできるよ。輝ちゃんの立場に立って考えることで何かわかることがあるかも。ここは思考実験サークルなんだから、私たちにできることでやってみようか」


 そう言いながら、美空先輩はノートを広げ、いつもの席でいつもの体勢になった。いつも本を読んでいるだけだと思っていたのに、実際は本から得た情報を整理しながらこうして思考実験にふけっていたのだ。実は真面目に毎日活動していたのか。


 こうして考えると、美空先輩の顔を見るためだけに部室に来ていた自分が恥ずかしくなってくる。


「うーん。どうして急に輝ちゃんは出て行ったんだろうね? 私がこーくんの家に行ったことが何かの引き金になったのかな」


 俺に聞いたのかと思って体が痺れた。でもただの独り言だったらしくそのまま美空先輩はまた思考の海の中に潜っていく。


 美空先輩は数分その体勢のまま、ときどき聞こえないほどの小さな声で何かを言っていたけど、ようやく目を大きく開くと、立ち上がった。


「よし、じゃあ探しに行こうか」

「何かわかったんですか?」


「うん。何もわからないことがわかったよ。今日出て行ったなら誰かが見てるかもしれないから周囲に聞き込みでもしてみようか」


「え、じゃあ今までの時間は?」

「ほら、こーくんもちょっと落ち着いたでしょ?」


 美空先輩はわからなくて困ったというわけでもなく、当然といったようにカバンを肩にかけた。部室を出ていく背を追って、俺も美空先輩に続いて一般教養棟の外へ向かった。


 一限目が始まっている大学の構内はほとんど学生の姿はなく、今日は日曜日だったかと錯覚する。輝と一緒に大学内の人が消えてしまったんじゃないかと考えてしまう。


 以前に撮った写真を手に、まずは大学構内で聞き込みをしてみたんだけど、結果は散々だった。


「え、ついに誘拐事件を起こしたのか?」

「その人の代わりにはなれません!」

「見なかったことにするのでかかわらないで」


 いくら大学一の奇人変人で通っている美空先輩でも扱いが悪すぎる。輝は中学生くらいには見えるとはいえ、大学生が親戚でもない子供と一緒っていうのはやっぱりおかしなことなのか。


「んー、やっぱりダメかー。移動するなら電車かバスだろうし、駅前に行ってみようか」

「美空先輩は全然へこたれませんね」

「毎年部員が辞めてくので慣れてるしねぇ」


 美空先輩はひどい言われようでたくさんの学生に逃げられたっていうのにケロっとしている。こういう唯我独尊ゆいがどくそんというか自分をしっかり持っているから思考実験サークルなんてものも続けていけるのかもしれない。


「それに、今はこーくんっていう理解者がいるからね。一人いれば十分!」

「えっと、ありがとうございます?」

「真面目に答えなくていいから。さ、行こう」


 ちょっと声を上ずらせながら美空先輩は俺を置いて先に向かっていく。不意打ちに赤くなった顔を見られないようにその背中にゆっくりとついていった。


 平日の通勤時間帯も過ぎた駅前はそれなりの落ち着きを取り戻していて、買い物に出てきた主婦や俺たちと同じように授業をサボって遊んでいる学生や高校生の姿が目に付く。


「目撃者は、いなさそうだねぇ」

「交番で警察に聞くわけにもいかないですしね」

「そもそも輝ちゃんは迷子みたいなものだからね」


 もうすっかり俺の部屋が帰ってくる場所になっているけど、輝がどこに住んでいて誰といるべきなのかは俺にもわからない。


「一応、聞いてはみますか」


 駅前で忙しくしていなくてあまり事を大きくしなさそうなおばあちゃんやノリのいい高校生に聞いては見たものの、やっぱりというか情報は得られなかった。ここにきてすっかり手がかりを失ってしまった。


 ふと、自分のスマホの画面を見る。

 あまり友達のいない俺の連絡先に一つ、こういうときに人を探せるだけの力を持つ人間の名前がある。だけど、父親それに頼ってしまっては解決した後どうなるかわかったものじゃない。


「あのクソ野郎に頼るのは」


 プライドと戦っている場合じゃない。でもこれは最後の手段だ。まだできる方法を考えたい。じっと画面を睨んでいると、いきなり電話がかかってきた。

 画面には珍しく関本の名前が表示されている。


「もしもし? 代返だいへんなら今日は俺も授業出てないから無理だよ」

「知ってるよ。どうせなら一緒に行こうと思ってさ」


「何の話? 今ちょっと取り込んでるんだけど」

「まぁまぁ、そう言うなよ。彼女と一緒に出かけるにはちょっと危険すぎる場所だと思うぞ」


 昼間の駅前にいったいどんな危険があるっていうのか。昼から酒を飲んでいるのかちょっとろれつも怪しいしいったいどこにいるのか。


「待て。今どこにいるんだ?」

「んー? とぼけるなよ。鶴浜つるはまでやってるカジノイベントだよ。さっきお前の彼女が歩いてるの見たぞ。あんな小さい子も入れるんだな。一応金は賭けられないみたいだけど」

「助かった!」


 それだけ言うと、俺は関本が何か言おうとしているのを無視して電話を切った。


「美空先輩、電車に乗ります。輝の居場所がわかりました!」

「え、なんで?」

「とりあえず説明は後です!」


 俺は美空先輩の手をつかむと駅の改札に向かって走り出した。

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