第27話 自分だけが知っている情報の浪費

「へぇー、輝ちゃんってお料理上手なんだねぇ」

「そんなに難しいのは作らないから。美空もできると思うよ」

「私はお母さんからキッチン出禁にされてるからー」


 ダイニングテーブルに座って、空のコップを持ち上げたのはもう何度目かわからない。内心では冷や冷やしながら、俺は二人の会話に聞き耳を立てていたけど、話は輝の料理の話が続いているだけだった。


 美空先輩がつまみ食いをして輝に怒られたり、ちょっとしたコツを教えたりしていて、どっちが先輩なのかわからなくなっている。


 仲の良い姉妹のような二人を眺めながら、俺はどうして自分がこんなにも焦っているのか、と自問する。美空先輩を連れてきても関係ない。こんな風に穏やかに過ごせるはずなのに、俺は何を怖がっていたんだろう。


 心を落ち着けるために大きく息を吐く。ふいに輝がこちらを見ているような視線を感じてキッチンに目を向けた。

 二人は変わらず料理の話で盛り上がっている。


「なんだ、気のせいか」


 最初は家に連れて帰るのも嫌だった。大嫌いな父親とその父親を何とも思わず従っている母親から逃げ出して何とか勝ち取った一人暮らし。気ままに暮らせると思った矢先に転がり込んできた輝は邪魔者でしかなかった。


 追い出すために理由を作ろうとして失敗するたびに少しずつ輝の存在は大きくなって、それがいつの間にか帰ってきたら部屋にいて当然の存在になっていた。


「あぁ、そうか」


 ようやく自分の不安がはっきりと見えてくる。俺はどちらも失いたくないんだ。美空先輩も輝も。輝はああ見えて実は気遣いができるということを俺は一緒に過ごしてきた中で知ってしまっている。もし俺と美空先輩が付き合い始めたと知ったら、輝は自分が邪魔者だと思ってこの部屋から出ていってしまう。それは確信に近い感覚だった。


「ねぇ。落ち着いたならそろそろテーブルの準備してよ」

「あぁ、わかってるよ」


 輝に呼ばれてはっと我に返る。考え込んでいるうちに輝の料理は完成していた。一品料理が出てくることが多いうちの食卓は、今日はオムライスの予定だったらしい。いつもより一回り小さな黄色い楕円が3つ、コンロの前の一段上がったカウンターに並べられる。


 それを受け取ってテーブルに並べると、4人掛けのテーブルに俺と輝はいつものように斜向はすむかいに座る。空いているのは俺の向かいと隣の席。そして、美空先輩は迷うことなく俺の隣の席を選んだ。


「え、こっちに座るんですか?」

「うん。何かおかしいかな?」

「別におかしくはないんですけど」


 ダメだ、美空先輩には隠すという考えなんてない。きっと輝のことを理解してくれれば隠そうとはしてくれるだろうけど、今はそんなことは頭の片隅にもない。もともと行ける限り行け、押せる限り押せってタイプだから。


「ふーん、美空はそっちに座るんだ」

「輝ちゃんはちょっと寂しい?」


「別に。ちょっと気になっただけ」

「じゃあやっぱりこっちに座ろうっと」


 美空先輩は自分の皿を輝の隣へ動かすと輝の頭を撫でながらテーブルを回りこんで俺の向かいに座りなおした。内心ほっとする。ここで美空先輩が俺の隣をキープしようとしたら何と言えばいいかわからなくなるところだった。


 緊張していても食べ慣れている輝のオムライスはいつものほっとする味が感じられた。そういえば一人暮らしになってからもう輝の作ったご飯を食べている期間の方が長いと思うと不思議な気分だ。


「それでさ、今日はどこに行ってたの?」

「んふっふー。輝ちゃんも気になる? 今日はね、初めての」


「ちょっと、美空先輩!」

「初めての?」

「初めての猫カフェに行ってきたんだー」


 初めてのデート、とか言い始めるかと思った。もう美空先輩が口を開くだけで心臓に悪い。


「他には? それだけじゃこんなに遅くならないでしょ」

「うーん。どこって言われると難しいな。いろいろだよ」

「行きたいところに何も考えずに、って感じだったよー」


 改めて今日のプランを話していると、我ながらむちゃくちゃなルートだった。俺たちの話を聞きながら、輝はあからさまに嘘だと思っていそうなじとりと湿った視線で俺を見ている。


「いや、本当なんだって。輝もなんとなくわかるだろ。一緒に行ったの美空先輩だったんだから」

「え、ちょっとこーくんそれはひどくない?」


「うーん、確かに美空だもんね」

「輝ちゃんまで!?」


 美空先輩の悲鳴のようなツッコミを聞きながら、食事を済ませる。その後、ゲームが気に入った美空先輩は輝との対戦ゲームでボコボコにされ、また対戦するために来ると約束をしてから帰っていった。


 俺が心配していたことは何も起こらないまま、だけど一人暮らしを始めた頃に期待していたことも何一つ起こらないまま、一人だけ気を揉んだだけで疲れた一日は終わりを告げたのだった。

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