第26話 妄想の無意味さの実証
確率という不確かなものの形を想像しながらルーレットを巡るボールがシュルシュルと滑っていく音を聞いていると、いつの間にか美空先輩のメダルは倍以上に増えていた。興味は増やすことじゃなくて確率を理解することだから、数枚ずつしか賭けていないのにかなりの勝率を誇っていることになる。
「本当に攻略法でも知ってるんですか?」
「まさか。確率についてしっかり考えながらいろいろと試してるだけだよぉ。私、どこに行ってもいつやってもメダルが増えちゃうから大きめのゲームセンターにはだいたいメダルが貯まってるんだよねぇ」
本物のカジノ狂いが聞いたら発狂しそうなことを美空先輩は軽々と言ってのける。
俺だって幼い頃から幾度となくこの
美空先輩がカップ3つ分になったメダルを持ってカウンターに向かう。店員の表情が少しひきつった気がしたのは気のせいではないかもしれないと思った。
ゲームセンターを出るともう夕方を過ぎて夜に近い時間になっていた。美空先輩と一緒にいて大変なことはあっても嫌なことはなかったけど、今まで嫌いだったものを少しだけ好きにしてもらえたことが嬉しかった。
「この後は、どうしましょう?」
俺は美空先輩の顔色を窺いながらやけにゆっくりと言葉を選んだ。
大学生で恋人になったのだから、いろいろと思うところはある。でも初めてのデートでいきなりがっつくようなはしたない真似はしたくない。そんな気持ちが言葉にどれだけこもっていたかはわからない。
美空先輩は少し考えた後、何かを思いついたように両手を合わせた。
「もういっこだけ行きたいところがあるんだけど、いいかなぁ? こーくんがよかったらなんだけどね」
「えぇ。俺は全然大丈夫ですけど」
二つ返事で答えてから、俺は輝が部屋で待っていることを思い出した。もうすぐ夕ご飯の時間になる。昼はいらないとは言ったけど、夜はどうするかは話していなかった。とはいえ、ここでせっかく美空先輩が誘ってくれているのに断るわけにもいかない。スマホくらい持たせてあげたいけど、輝は名前すら本名かもわからないから契約のしようもないし。
「ホント? じゃあ早速行こっか」
「えっと、まだ目的地を聞いてないんですけど」
「あ、そっか。先にOKもらったから、大丈夫だと思っちゃった」
そう言って、美空先輩ははにかむように笑った。
「こーくんのおうちだよ」
「え?」
いきなり言われて、俺の声は思わずひっくり返った。確かに部屋に誘ってみたいとは思っていたし、部屋の掃除だっていつもやってるから大丈夫だ。隠さないといけないようなものなんて。いや、ある!
「うち、輝がいるんですけど」
「うん。知ってるよ。輝ちゃんにも会いたいと思って」
輝も美空先輩を知らないわけじゃないし、懐いている方だとは思うけど。
俺はまだ、美空先輩と付き合ってるって言ってないんですけど。
不安を抱えたまま、いまさら断るわけにもいかず、俺はなんでもないのに浮気がバレそうになっている男のような気分になりながら、美空先輩を連れて自分の部屋へと帰っていった。
オートロックの入り口を解錠して美空先輩を招き入れる。何度も脳内でシミュレーションしたはずなのに、実際に後ろを本物が歩いているだけで、そんなものは何の意味もなかったことがわかる。
思考実験はあくまで思考実験であって実体験じゃない。これから先は紛れもなく俺にとって初めてのことばかりだ。
「ただいま」
「おかえりー。結構遅くまで遊んでたんだ。ってあれ?」
いつものように軽い足取りで玄関まで迎えに来た輝の言葉が止まる。俺の後ろに立っている美空先輩の顔をじっと見たまま、輝は完全に固まってしまっている。
「お邪魔しまーす。輝ちゃん、久しぶりだねぇ。元気だった?」
「えっと、うん。美空も元気そうというか、つやつやしてるというか」
「そうかもねぇ」
「っていうか、美空を連れてくるなら先に言っておいてよ。夕ご飯が足りなくなっちゃう」
「しょうがないな。じゃあ今日は冷凍庫のアイス食べていいよ」
「やったぁ。それなら毎日美空が来てくれた方がいいな。夕ご飯の支度してくるね」
調子のいい輝は、ガッツポーズを胸の前で作ってすぐにキッチンの方へ駆けていく。料理当番を代わってもらっているのに、自分は秘密にしたまま先輩とデートしてきたと思うと、ちょっと罪悪感が湧いてくる。
美空先輩はというと、初めて入った俺の部屋の玄関を物珍しそうに見回している。俺に続いて靴を脱ぐと、丁寧に左右を揃えてくるりと向きを変えて置きなおす。俺の靴が脱いだままになっていることが少し気恥ずかしい。
「へぇ、一人暮らしって言っても、普通の家と変わらないんだねぇ」
「まぁ、うちはかなり広いですからね」
「リビングもあるしダイニングキッチンなんてうちより広いかも。床もきれいだし洗濯ものが落ちてないし」
「男の一人暮らしに偏見あり過ぎじゃないですか?」
美空先輩はそんな俺のツッコミなんて気にしていないように、輝のいるキッチンを覗き込む。
「あっ」
俺は小さく声を上げる。輝にはまだ美空先輩と付き合い始めたことは言えていない。そしてそのことを美空先輩も知らないのだ。
慌てて俺もキッチンに向かうけど、いきなり話に割って入るわけにも美空先輩を引っ張り出すわけにもいかない。
「どうしたの?」
「あぁ、ちょっと喉が渇いたからお茶でもと思って」
「じゃあ美空にも出してあげなよ」
輝は何も疑っている様子もない。このまま何事もなく済んでくれれば。自分でもどうしてこんなに焦っているのか理解できないまま、飲み干した麦茶は真水かと思うほど味がしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます