第8話 部屋着とのギャップによって発生する心情の変化

 女子の買い物は長い。うちの母さんですらそうなのだから花盛りの女子大生である美空先輩の買い物が短いわけがない。そういう覚悟はしていた。

 だが、美空先輩の買い物が長いのは、俺の想像とはまったく別方向の理由だった。


「うーん。どれにしようか迷うねぇ」

「美空ー。さっきから考えてばっかりで全然動いてないよ?」


 さっきからずっとこの調子だ。美空先輩が特別のんびりしているのはよく知っていたけど、こんなところでそれが発揮されるとは思っていなかった。輝もだんだん退屈になってきている。


「そんなに悩まなくてもいいんじゃないですか? 輝が普通に外に出られる服があればいいんですけど」

「でもでも。輝ちゃんってかわいいからいろんな服が似合いそうで」


「それならまず着せてみて本人の意見を聞くとか。ちなみにどんなのなんです?」

「でも輝ちゃんは男の子でしょ? こんなの着たくないかなぁって思って」


 美空先輩は俺の問いかけにためらいがちに商品棚から取り出した服を見せる。トップは襟にフリルのついたブラウス。ボトムは黒にピンクのラインが走るレイヤードスカート。たとえ女の子でも着る人を選びそうな組み合わせだ。


「輝ちゃん、お姫様みたいだし、絶対似合うと思うんだけど」


 輝がお姫様だとすれば、わがままで周囲の大人を困らせるおてんば王女だろうな。そんな想像をしてしまう。髪を染めているだけなのは知っているとはいえ、金髪にシャープで端正な顔立ちは日本人離れしたところがあった。


「えぇ、僕は男だって言ってるじゃん」

「まぁ、試着くらいはしてもいいんじゃないか?」


「こーすけ、趣味悪ぅ。男の子にこんな服着せて楽しんじゃうんだ?」

「別にこれをずっと着てろって言ってるわけじゃないだろ」


 毎日これを着て俺の部屋に輝がいることを考える。急に自分の部屋じゃなくなって落ち着かなくなる未来しか見えなかった。やっぱり輝はマンガを読みながらゴロゴロしているのがちょうどいいかもしれない。


「絶対似合うよー。私のためだと思って着てみて」

「もう、しょうがないなぁ」


 そんなにまんざらでもなさそうな顔で美空先輩からかわいらしい服を受け取った輝は、小走りに試着室へと入っていった。


 ごそごそと衣擦れの音がやけに耳に入ってくる。美空先輩はそわそわとまっすぐに伸びたさらさらの黒髪を揺らしながら、輝が出てくるのを待っている。


 長く感じた数分が経ち、試着室のカーテンが開く。ひらりとスカートが揺れて輝が出てくると、周囲の視線が一気に集まった。


 ずっと同じようなパーカー姿ばかり見ていてすっかり忘れていたが、美空先輩の言う通り、輝は美少女にしか見えないのだ。


 染めた金髪は染め直さないせいで根元が黒くなっているのに、それすらも強い個性のように見える。新品の真っ白なブラウスとそれに負けないくらい白い肌の顔に赤く浮かび上がった唇が、アクセントになって周囲の視線を釘づけにしている。


「わー、やっぱり似合うね。かわいいー!」

「別にそんなことないし。ちょっと押しつけないでよっ」


 周囲にはばかることもなく、美空先輩は輝を抱きしめる。激しく抵抗する輝だけど、小柄な輝では暴走モードに入った美空先輩は止められない。


「なんかインスピレーションが湧いてきたかも。これと、あとこれも着てみよう!」

「ねぇ、こーすけ。助けてよー」

「諦めろ。こうなった美空先輩は止まらないから」


 バニーガール姿で早朝の街を徘徊できるくらいの精神力があるなら、女装くらい大したことじゃないだろう。おもちゃにされたバイト代代わりに帰りのアイスクリームは奮発してやろうと思う。


 さっきまでぼんやりとしていた美空先輩は、人が変わったようにコーディネートを考えては輝を試着室に押し込んでいく。もちろん女の子の服ばかりだ。


 お姫様のようなフリルがたくさんついたものや七分丈のデニムにシンプルなシャツとカーディガンというボーイッシュスタイル。着ぐるみ風のくまのパジャマ。


 どれもこれも似合っているんだからこっちも困る。なんでこんな危険な存在と一緒に暮らしているんだ。だんだん直視できなくなった俺の服の裾をふいに輝が控えめに引っ張った。


「もしかして、こーすけは楽しくない?」


 マリンブルーのセーラーワンピースを着た輝は避暑地で迷子になったお嬢様という感じで、麦わら帽子でもかぶってエメラルドグリーンの海岸を歩いている姿が簡単に想像できる。今までの中でも一番に似合っていて、直視できなかった。


「女の子の買い物に付き合うのは男の限りなく義務に近い権利だ」

「じゃあ代わりにこーすけが試着してよ」

「そんなことしたら周りの客が逃げて商売の邪魔になるだろ」


 それは暗に輝がかわいいと認めてしまっているような気がした。輝はそういう意味にはとらえなかったらしく笑っているだけだった。


「でも、どれも買うわけにはいかないよね。僕はやっぱりパーカーがいいや」

「あれは外に着ていけないから一つくらいは買っておけよ」

「うーん」


 輝は首を傾げて少しばかり考えたかと思うと、いたずらを思いついたように悪そうな笑みを浮かべた。


「じゃあ、こーすけのために今までの中で一つだけ買ってあげる」

「なんでそうなる!? 嫌だったんじゃないのか?」


「かわいい僕がどうしても見たいっていうこーすけに僕が協力してあげるって言ってるの」

「それなら、今のが一番似合ってるかもな」


 つい口に出してしまう。輝は男を自称しているんだから、いくら似合っていると言ってもこれじゃ女装男子にしかならない。


「そっか、じゃあこれにする」

「本当にか?」

「こーすけがいいって言うなら別にいいよ」


 意外な答えにまっすぐ見られなかった輝の方を向いてしまう。いたずらっぽくどこかはにかんだ笑顔は誰がどう見たって女の子のそれだった。

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