第17話

 頭を下にして、地上に向かって俺は落ちていく。なぜだか、少しゆっくりと、景色が、流れていく。

 俺が死ねば、少なくとも真桜まうが新島に殺されるということはないだろう。もし追われても、人1人を抱えていなければ、たぶん、十分、逃げ切れる。

 あの時、生き残った俺は、ずっと、幸せに生きようと生きてきた。それは、いまでも変わらない。

 だから、進んで、死にたいわけじゃない。でも、そのせいで真桜まうを死なせてしまうのは、きっと、不幸な選択だ。

 地面がかなり近くに見える。体にかかる衝撃とそれにともなう死を覚悟して、俺は目を閉じた。

「こ、ん、のぉ、お、お、バカがぁあ」

 大声が耳に刺さる。体が抱き寄せられるのを感じた直後、地面にぶつかったのか、衝撃が骨を走った。

 目を開けると、真桜まうの顔が見えた。目を鋭くして、少し鼻の穴を大きくしていた。

 その顔を見て、思わず俺は目をそらしてしまった。

 地面はひび割れて少し陥没していたけど、不思議と身体は全く痛くなかった。

 隣で、はあとため息をつく声が聞こえる。恐る恐る真桜まうの方に目を向けると、まだ、こっちを見ていた。でも、目からはさっきの鋭さは消えていた。

「人は理由なくこの世に生を受ける……」

 地面に手をついて、天を仰いで、真桜まうが唐突に話し出す。

「でも、神は違うんだ。どんな神でも、邪神だろうが、人間と契約している神だろうが、この世界に降りてきた理由がある。それが人にとって良いものかどうかはまた別の話だけどね」

 そういえば、新島も、知りたいことがあると言っていたのを思い出す。

「僕は、君に、幸せでいてほしかった」

 俺のそばに寄って来て、真桜まうは俺の手を握る。

「死んでしまったら、幸せになることは、叶わない。だから、入丙いるへいには、生きていてほしい。生きていてさえくれれば、僕は必ず、入丙いるへいを幸せにしてみせるから」

 俺の手の上に、雫がぽつぽつと落ちてくる。

 手で顔をぬぐうと、真桜まうは、さらに、付け足して言った。

「それに、忘れてるようだけど、君が死んだら、僕も死ぬんだ。だから、僕に幸せでいて欲しいなら、何がなんでも、生きてくれ」

 手を握り返して、ごめんと、一言、俺は言った。真桜まうの手にも雫がぽつぽつと落ちた。

「見つけたー」

「入丙くーん」

「そんなところに」

「いたんだねー」

 はっと、顔を上げて、俺と真桜まうは、あたりを見回す。それと同時に、空から人間が目にもとまらぬ速さで、周囲に隕石のごとく落ちてくる。

「しまった」

 そう言って真桜まうは、唇を噛む。

 あっという間に、人間で、俺たちの周りは囲まれてしまった。

「すぐに」

「そっちに」

「行くから」

「待っててねー」

 輪唱のように周りの人間が、俺たちに向かって、声を発してくる。でも、その顔たちは、どんな感情も読み取れないうつろな顔だった。

「くそっ。仕方がない。入丙いるへいのために、使いたくなかったけど……」

 そう言って、真桜まうは、血で地面に、「赦」と一瞬で書いて、俺の顔を見る。

「説明は後で。とにかく、『赦す』って言って」

 真剣な目で、真桜まうは俺の顔を見る。つばを飲み込んで、俺は答えた。

「赦す」

 血が熱く波打った。でも、身体は急速に冷たくなる。

 横を見るといつの間にか、真桜まうの姿はなく、かわりに、周りに迫って来ていた人間が吹っ飛ぶのが見えた。

「よしっ、逃げよう」

 周囲の人間を、あらかた、ぶっ倒して戻ってきた真桜まうの翼は、いつの間にか、真っ白に戻っていた。

 逃げていたときのように、また俺を、お姫様抱っこで、真桜まうは抱えると、今度こそ、翼を広げて地面から、飛び立つ。

「残念」

 飛び上がって、今いたところから離れる前に、おびただしい人間の手が飛んできて、無理やり俺をさらって、真桜まうから引き離される。

入丙いるへいも、たた……」

 人間の手の嵐の中で、遠ざかっていく真桜まうから声が届く。でも、その続きは、耳には届かない。

 真桜まうが見えなくなると、手は、俺の目の前に収束していって、人の形を作る。溶け合い、手の形が消えて、それは、新島の姿になった。

「さて、お邪魔虫も消えたことだし……って入丙いるへいくんっ?」

 手の壁が消えたのを見て、新島が話し出したのを無視して、逃げようと新島に背を向ける。前とは違うのだ。今は身体が動く。真桜まうの為にも、こんなところで、死ぬわけにはいかない。

深玖しんくくんと洋子、殺しちゃうよ?」

 反射的に振り向いてしまう。でも、確かに2人は、新島に首根っこを掴まれ、うめいてはいるが、そこにいた。

入丙いるへいくんが逃げるなら、この2人いますぐ死なせるよ」

 そう言って、新島は、俺に向かって、意地悪そうな笑顔をして見せた。

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