第14話

 床にぶつかった衝撃で、少し体の感覚が戻る。恐る恐る腰に手を付けると、温かいどっろっとした感触があって、思わず手を引っ込めて目の前に持ってくる。

 手のひらが赤黒かった。それが何を意味するのか理解した瞬間、それまで気づいていなかった激痛が体を走る。

 今まで感じたことのないひどい痛みを腰の右側に感じながら、そういえば新島は、と思い出して、顔を上げる。

 そこには、血に濡れた右手を、じっと見つめる新島の姿があった。

「ど、ゆう、こ、と、……、?」

 うまく声が出ず、途切れ途切れになる。

 俺の声に、はっ、と顔を上げてから、新島は、腰をかがめて俺に視線を合わせる。そして、はーっとため息を吐いた。

「やっぱり、傷つけるぐらいじゃダメか……」

 何かの間違いじゃないかと思って、頭が現実に追いついていなかったけど、その言葉を聞いてようやく、新島が、包丁で刺すみたいに、手で俺の腰を刺したことを俺の理性が認めた。

「どうして……、なんで……、わけがわからない……」

 新島が俺を刺したことを理解しても、それでも、どうしても、それ以上、頭を働かせることができない。

 いまだに、手足に力が入らず、立ち上がれない俺のそばから離れて、窓を背にしながら、こちらを向いて、新島は悲しそうに笑う。

「ごめんね。私、からさ。こういう時、どういう顔をしたらいいか分かんない」

「人間、じゃないって……」

 そう言いながら、まさかという考えが頭を巡る。

「私は、君たちが言うだよ……」

 そう言って、新島はにっこりと笑う。

「神の中でも、私は人間を司る、いわゆる、なんだ。今から300年くらい前にこの世に降りて来て、それからずっと人間に紛れて生活してきたの」

 一度言葉を止めて、窓の外を少し見てから、また、新島は、こちらに顔を向ける。

「私は、人間を取り込んで、その人間に擬態できるの。それで今まで、何人もの人間の人生を歩んできたんだ。

 どうして、私がそんなことしてきたのか、入丙いるへいくんには、分かる?」

 理解が追い付かないけど、辛うじて、首だけ横に振った。

「ずっと、知りたいことがあったんだ。でも、やっぱり、私には無理かも、とも思ってた。だから、この新島芽衣という人間の人生で最後にするつもりだった。けど、あの入学式の日、雨の中、あそこでうずくまっていた私は、もう心が折れていたんだ」

 新島が、その続きを話す前に、俺は、なんとなく、、と思ってしまっていた。

入丙いるへいくんが、あのとき私を覗きこんでくれなかったら、たぶん、私はあの後、自殺してたと思う。でも、入丙いるへいくんのおかげで、もう少し、生きてみようと思えたんだ」

 ふっと、顔を緩めて、新島は口角を上げる。

「でも、それも、もう終わり。ここで、入丙いるへいくんを殺して、私も死んで、それで終わり。でも、心配しないで……」

 そう言うと、新島の手のひらから、2人の身体がにゅるりと流れ出る。

 床に投げ出された2人の顔は、うつぶせでよく見えないが、それは、間違いなく、洋子と深玖の2人だった。

「洋子も、深玖しんくくんも、一緒に旅立つから。他にも、この学校の人全員。でも、それだけじゃ全然釣り合わないから、出来るだけ、私が巫戸みこたちに殺されるまで、たくさん死なせるから……」

 倒れている2人の上を飛び越えて、新島は、俺のすぐ横に降り立つ。

「じゃあね、入丙くん。私もすぐ後を追うよ。おやすみなさい……」

 仰向けに倒れて動けない俺の首めがけて、手刀が振り下ろされる。

 人生の終わりだからだろうか、新島の手の動きが異様に遅く感じる。

 失敗、後悔、罪、不幸、選択、理不尽、青い鳥、……。断片的な思考が頭を駆け巡る。

 最後に残った思いを抱えて、俺は瞳を閉じた。

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