第5話

 チュンチュンという音が耳につく。

 瞼を持ち上げると、見知らぬ天井が目に入った。

 上半身を起こそうとすると鈍い痛みが全身を走る。仕方がないから上向きに寝たままで、首だけを動かして周りを見回した。

 どうやら、ここは個室の病室のようだった。病院で見かけるようなベッドに寝かされ、ベッドの足先の方にはテレビがあった。窓から見える空は赤と紺青が混ざったような色で、今がどうやら早朝なのが分かった。

 そして、窓の下、ベッドの横にあるソファには、人みたいな姿だけど、翼の生えた神が、こちら向きに横を向いて、すーすーと寝息を立てていた。

 顔を上に向け直して、思わずため息をついてしまった。やっぱり、参拝でのあの出来事は夢ではなかったらしい。運転中にあの特殊科の人が言っていたことが自然と思い出された。確かに、参拝なんて儀式はクソだった。

 これからいったいだうなるんだろうなと思うと、少し胸がざわつく。神と契約した人がどういうふうに扱われるのかは、一般人にはほとんど秘匿されている。唯一、万人が知っているのは、警察の特殊科という部署には、神と契約した人たちが所属しており、公務員として日本の治安のために邪神を狩っているということだ。彼らは、巫戸みこと呼ばれたりもする。

 まあでも、そんなことを考えても仕方がない。いいかげん、上を向いていると腰が痛くなってきたから、身体を横に向けると、横になっている神と目が合った。

「あっ」

 と声が口をついて出る。

 立ち上がって、俺の顔を覗き込んで微笑むと、あくびをしながら音もたてずに、病室から神は出ていった。

 神がいなくなると、なんだか、不覚にも笑いそうになった。だって、嘘みたいな話だ。さっきまでいたのが、神だなんて。両親が死んだときの邪神は別として、あれから9年、一度も神には会っていないし、ましてや、あんな人っぽい見た目の神がいるだなんて知らなかった。でも、あの白い翼が、あいつが人ではないことを物語っている。

 ガラッと戸が開いて、神が入ってくる。その両手にはカップ麺を持ち、両脇にはペットボトルを挟み、そして、口には割り箸を2本くわえていた。それらを、ベッドに備え付けのテーブルに置き、椅子を持ってきて、テーブル横にそいつは座る。

 ピッピとそいつがリモコンを押すと、ベッド上部が起き上がって、背中を預けて座ることができた。

 もう我慢できずに、吹き出して、そのまま腹を抱えて笑い続けてしまう。笑うたびに全身筋肉痛のような痛みが襲うけど、止められなかった。そんな俺を、不満そうに眺めながら、そいつは言った。

「なんでそんなに笑うかな……。どこか人からするとおかしいところでもある?」

「だ、だ、だっ、て、神が、カップ麺、持って、病室に、入ってくる、なんて、シュール、すぎ……」

 それを聞くと明らかに顔をぶすっとさせて、俺にかまわずに、そいつは麺をすすりだした。

 そいつは、そのまま何も言わずに黙々と食べ進め、あっという間に完食すると、もう一つのカップ麺の方にも手をのばす。

「えっ、それ俺に持ってきてくれたんじゃないの?」

「神だからって、笑う人にやるカップ麺はねぇのです」

 ぶっきらぼうな言い方で残りのカップ麺をつかみ取ると、そいつは俺に背を向けた。

 その背中を見て、いまさらながら、罪悪感が込み上げてきた。そりゃ、こっちが勝手に抱いてきた神のイメージと全然違うからって、笑ったりするのは、相手からすれば、不愉快極まりないだろう。例えるなら、全然知らないやつから、変なやつって言われて笑われるようなものだ。普通は嫌な気持ちになるし、俺なら傷つく。

 もうやってしまったことは取り返しがつかない。だからこそ、出来るだけ誠実に俺はその背に話しかけた。

「君の気持ちも考えずに、こっちの勝手な思い込みで笑って、すみませんでした。これからは、君には普通の人と同じように接します……」

 痛い体を無理やり動かして頭を下げた。

「その言葉忘れないでね、約束だよ」

 すぐに、ポンっと頭に手が乗せられる。頭を上げると、なぜだか泣きそうな顔でその人は俺の顔を見つめていた。

「僕も悪かった。さっ、仲直りのしるしにこのカップ麺を食べさせてあげるよ」

 翼の生えた人は、そう言って、俺の口元に麺を運んでくれた。自分の手で食べたほうが食べやすかったのだろうけれど、俺はそのまま、スープから麺がなくなるまで、翼の生えた人に食べさせてもらった。

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