第3話
眠っていた二人を叩き起こし、車外に出て伸びをする。外の空気は湿り気があってひんやりとしていた。
特殊科の人に導かれて、駐車場に併設されているプレハブ小屋に入る。中にはスーツ姿の男性が一人いて、小声で特殊科の人と何か話すと、すぐに外に出ていった。
中は長机と椅子が数個の殺風景な部屋で、ここで改めて、参拝のやり方を簡単に追った後、特殊科の人がアタッシュケースの中から、書類とペンを取り出して俺たち三人に配った。
この紙は、参拝に使うもので、用紙の左下の署名欄以外には特に文字は書かれていないように見える。渡されたペンでそこに名前を書き入れる。でも、説明されていた通り、ペン先の軌跡が紙には残らない。
俺たちが聞かされているのは参拝の方法だけで、神との契約にどうして真っ白の紙が必要なのかとか、そんなことは教えられていないし、聞いても答えてくれることはない。神との契約の方法は、法律で資格を有する者にしか知ることができないようになっているからだ。
最初に呼ばれたのは、助手席に乗っていた同級生で、しばらくたってから、新島が呼ばれてプレハブ小屋から出ていった。
特殊科の人とはいえ、女性と二人きりでプレハブ小屋の中にいるのは、思春期の男としては何となく落ち着かないなあとか、考えていると、唐突に特殊科の人がさっきまで新島が座っていたすぐ隣の丸椅子に腰かけた。
「ちょっとは緊張してきましたか?それとも怖くなってきました?」
「うーん、不思議な感じかも?」
俺の返答に、少し不可解そうに特殊科の人は俺の顔を見た。
「不思議、ですか……。たまに、乗せてきた高校生に聞くんですけど、そんなこと言った人は初めてですね」
はあと答える。正直言って、公務員にしては無駄口叩きすぎだと思った。でも、暇潰しにはちょうどいい。所持品はハンカチ、ティッシュ、腕時計に至るまで持ち込み不可なのだから、これくらいはサービスのつもりなのだろう。
「他の人は、例えば、なんて答えるんだろう?」
「そうですねー、まっ、やっぱり不安だとか、心配だとか、緊張だとか。あと、楽しみなんていう人もいますね」
「楽しみ?」
「なんでも、特殊科に入って、邪神をぶっ殺したいなんて人もいますから。たまーにですけどね。たまーに」
へーっと独り言のようにつぶやく。確かに言われてみればそういう何かヒーロー的なものにあこがれを持っている人もいるにはいるだろう。
「まっ、私にも楽しみと言うか、神と契約して、神々を皆殺しにしたいとか考えていた時期もありましたけど」
特殊科の人は顔を少しうつむけてそう言った。その顔が少し陰ったような気がして、思わず尋ねてしまう。
「どうして神を殺したかったんです?」
その声が少し切羽詰まった感じだったのだろうか。はっと顔を上げて、特殊科の人がこちらを見る。そして、顔をそらして眉間に拳をつけながら、はあーと息を吐いた。
「すみません。どうでもいいことを話しすぎました……。でも、ここまで話しておいてあれなので……」
そこで、言葉を区切って、彼女は天井を見上げた。
「私の弟なんですけどね、私が高校に入ったばかりの頃に、邪神に殺されてしまったんですよ。それで、神の存在を憎んで、憎んで、まあ、そういったありがちな話です。
でも、私は神と契約できなくて、それでも殺してやりたくて、せめて特殊科の一般職員として、邪神殺しの一助になりたいと考えて、今の職に就いたわけです……」
最後の方は消え入りそうな声だった。俺は気の利いたことも言えないで、しばらく、プレハブ小屋には沈黙が満ちた。
「
ぽつりと、彼女はそう言う。それを聞いて、ああ、たぶんこの人は、俺の身の上を知っているんだろうなと確信を持った。特殊科の職員であれば、知っていても不思議ではない。
どうこたえようかと迷って、一番誠実な話をすることにした。
「昔、俺が子供の頃、両親が死ぬ前、鳥を飼ってて、何の鳥だったのかも思い出せないんですけど、その鳥が家から逃げ出したんですよね。一日中、町を探し回って、暗くなって両親と家に帰ると、玄関の扉の前でのんきそうに羽を休めてたんですよ。それで、安心してこのやろうとか言って泣きつつ家の中に入って、その日はぐっすり寝た記憶があります。
その鳥はもう死んでいないけど、今の生活で満足なんです」
「そうですか、それならいいんです」とだけ、彼女は答えた。
気のいい友人と、多少仲の良い女友達がいて、そんな毎日が今の俺には大切だった。両親を殺した邪神のことが憎くないかと言えば嘘になるけど、もう特殊科の人間に殺されているだろうし、わざわざ俺が邪神殺しをしたいとは思わない。
コンコンとドアがノックされ、彼女が外に出る。戻って来て特殊そうな金属の箱から、小瓶を取り出しながら、背中を向けたまま彼女が話しかけてくる。
「やっぱり、ちょくちょく死人が出るんですよ。特殊科では。主には一般職員なんですけどね。そんなんだから、親には辞めろって言われるし、仲の良かった先輩が目の前で死んだときは、何日も吐き気が込み上げて来て大変だったし、それになにより、死ぬのが怖い」
プレハブ小屋から出るとさっきよりも空気が肌寒かった。彼女から冷たい瓶を受け取って、山頂へ向かう階段に足を掛けたところで、後ろから彼女の声が聞こえてきた。
「今日はありがとう!帰ったら辞表出すことにしますっ」
右腕を上げて、ひらひらと手を振りながら、振り返ることもなく、俺は階段を登りだした。
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