第4話 run
「肉……」
「今度は何?」
宮前がうるさそうに来た道を振り返る。
そこには宮前を追っていたあの黒い違和感が立っていたんだ。
黒い違和感。
僕はそうさっき言ったけど、それは僕の感覚、つまり見た感じでしかない。
黒い違和感といったのは、風景の中の一部分だけがおかしい感じがしたからだ。
そこの部分だけが鏡が割れたように歪んでいて気持ち悪かった。
でも宮前と僕(天野も)の前に立っているのはボロボロの煤で汚れたような黒いコートを上半身にまとい、髪をボサボサにし、体をゆらゆらと左右に揺らしている男だった。
胸の辺りは胸骨と肋骨がはっきりとわかるくらい、やせ細っていて腹は太ったように丸く出ていた。
下半身にはジーパンと思しきものを穿いていたが汚れていて見るだけでは判断できない。
一瞬で推察できたのはそれだけで、それよりも印象に残っていたのは男の表情だった。
ただそれは嬉しそうに笑っていた。口から黄色いあぶくのような涎をたらし、僕らを見ていた。
「肉、肉、肉、肉……」とぶつぶつとつぶやきニヤニヤと笑うその姿は不快感を抱くしかないほどの光景。
その光景を見た宮前は口を開け、ただそれを見つめるだけで、僕を押し付けていた腕からは力が抜けていた。
そりゃあ、誰だって変なことに出くわしてしまったら一瞬、フリーズするしかないよな。
何が起きているのかすら、わかるわけがないのだから。
「こりゃあ、まずいことになったな」
天野がのんきに言った。
「わかっているよ、そんなこと!」
僕は男に気を取られていた宮前の腕を払い、何とか姿勢を直す。
宮前は何秒か呆けていたが、気を取り直したのか男を見据える。
「何なの、次から次へとちょっと、アンタ…」
宮前が口を開くとそこに立っていた男は、大きく口を開け、笑い出した。
「ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!」
男の声は辺りに響き、耳に嫌でも入ってくる。
宮前は気持ちが悪いというような、理解できない表情をしていた。
「――――?」
「天野、あれは一体?」
「オレにもわからねぇよ。ただあのうるさいお嬢ちゃんが狙いってことだけはわかるな」
「確かに」
「とりあえず逃げたほうがいいんじゃないのか? あのお嬢ちゃんに危害が加わる前に」
「わかっているよ」
男は口元を歪ませ、そのままゆっくり宮前に近づこうとしていた。
宮前は恐怖から来るものなのか彼女は男を食い入るように見てフリーズ状態。
僕は彼女に駆け寄り、右腕を掴み、走りだした。
彼女は硬直しているのか、腕に力が入っているのがわかった。
「走るよ」
「えっ……」
僕は宮前の腕を引っ張りつつ、走る。
「ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!」
あたりには男の不気味な笑い声が響き続け、その場から離れるように僕と宮前は駆け出した。
とにかくこの場から離れることが最優先だと思ったのは、そのほうが彼女のためにもなるし僕のためにもなるからだ。
走ることと彼女の腕を掴みながらもそのまま走ることに意識する。
今まで来た道とは別の方向。
そのまま走り続ければ道はいくつにも分かれるからあの男をまくことができる。
このとき僕は内心、焦っていたんだけどその気持ちを抑えつつ、動いた。
走っている最中、天野が黙っていてくれただけでも感謝だ。
あたりに響く男の声がだんだんと小さくなっていき、走っていくうちに消えているのがわわかり足を止める。
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