第7話
ミュリエルにどんな悩みがあっても、無情にも太陽は昇って朝はやってくる。
「聖女様は俺の気持ちなんて分かんねぇよ!」
「はいはい、落ち着いてね。鼻水出てますよ」
「頼むから死なせてくれぇ!」
ミュリエルは「死にたい」と叫ぶ平民の男性を前にして怯えることなく、笑顔で対応する。貴族相手のように気取った話し方はしない。
「この前は娘が結婚するまで死ねないって言ってたじゃない。娘の結婚相手を『娘は嫁にやらん!』って殴るんでしょ? テーブルひっくり返すんだっけ?」
「うぅ……でも別居してる妻が全然娘に会わせてくれないんだ……」
「仕方ないでしょ。あなたは仕事ばっかりで全然家に帰らなかったんだから」
「聖女様、治癒魔法をかけてくれ! そうしたら風邪で簡単に死ねる!」
「簡単に死ねるとか言わないの。さすがに治癒魔法一回じゃ無理よ。家族の同意書がないとできないから、同意書をもらってきてね」
ミュリエルに縋りつこうとする男を神官と神殿の護衛達が押しとどめる。
「無理やりにでも離婚されてないんだからまだ望みはあるわよ。誠意を見せなきゃ」
ミュリエルはがっくりうなだれた男と目線を合わせて励ます。
「お、なんじゃなんじゃ元気じゃのう。これからちょうど食料が届くから運ぶのをお前さんも手伝え」
今まで走っていたのか暑そうに顔を手で仰ぎながら現れたラルス神殿長は、男の首根っこを掴むと引き摺って行った。いつものことなので、助けを求める男をミュリエルや神官たちは手を振って見送る。
「あの方、毎週来ますね……」
「いや、聖女様がお休みの時は来なかった」
「毎週じゃなくてたまに二週間に一度になる時もあるぞ」
「悩みがあるって言って優しい聖女様に構って欲しいだけだろ」
神官や護衛達が愚痴ともとれる内容を話しながら、さっきの男が倒したイスを直している。
先ほどの男性はほぼ毎週、時に隔週、神殿にやってきて「別居中の妻が娘に全く会わせてくれない。死にたい」と言うのだ。
話を聞くと、仕事と付き合いの飲みばかりで家に帰らず子育て中の妻に愛想を尽かされて出て行かれたようだ。
聖女仲間であるペトラは何て言ってたっけ。「ああいう人間は病める時も健やかなる時も自分のことだけしか考えられないのよ。妻子が出て行ってやっと気付くとかおっそい!」って怒ってたっけ。新婚旅行前からペトラを見ていないから、すごく昔のように感じる。
「聖女様、お疲れ様です。あとは我々でやっておきますので」
神官に言われて休憩に向かう。
聖女の仕事といえば治癒魔法をずっとかけているイメージがあるが、そんなことはない。朝は祈りを捧げて、昼はさっきのように神殿に来た人々の話を聞いたり、子供達と遊んだり、支援のお菓子作りや刺繍をしたり、神事の準備や開催などいろいろだ。もはや何でも屋状態である。
中でも悩みのある人の話を聞くのは疲れる。どうしても気持ちが引き摺られてしまうから。
治癒魔法を使うことももちろんあるが、その機会は少なくなってきている。治癒魔法はかけられた人の回復力を著しく低下させる諸刃の刃だ。
戦争の時は要請を受けて毎日何度も聖女は治癒魔法を使ったという。でも失った目や腕や足が元通りになった人たちはその後、流行病やただの風邪であっさり亡くなった。その後の研究で治癒魔法のデメリットが分かったというわけだ。
だから、今は治癒魔法の使用に緊急時以外は事前の同意書がいる。
今日の様に「死にたいから治癒魔法をかけてくれ」と言われると、なんだか考えてしまう。一回治癒魔法をかけただけでは風邪にかかって死んでしまうことはないのだが。
形骸化し始めている聖女の存在意義ってなんだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます