第2話

 結婚式の後の新婚旅行では視線のことを思い出しもしなかった。

 使用人が側にいるものの、旅行先でレックスとゆっくり過ごしてミュリエルはこの上なく幸せだった。


 新婚旅行あけに仕事へ行く夫をキスで見送って、ミュリエルも準備に取り掛かる。結婚式と新婚旅行の余韻で足取りが軽いのは否定できない。


 ミュリエルはこの上なくいい気分で職場の神殿に向かおうとしていたのに、馬車に乗り込む前に珍しく早起きの義母がやってきた。まだレックスの父親が公爵位をレックスに譲っていないので、義母は公爵夫人だ。


 この公爵夫人である義母こそがこの家で一番厄介である。息子であるレックスを溺愛しているので、婚約していた時からちまちまといびりに余念がない。

 使用人に命じて温い紅茶を出してくるのは当たり前。顔を合わせれば必ず嫌味を言われる。地味に心労を与えてくるが、最近は慣れてきた。図太くなっただけかしら?


「まぁ、ミュリエルさん。また神殿に行くのかしら?」

「お義母様、おはようございます。はい、仕事なので」


 挨拶もしないんかい、と口汚く心の中でツッコミを入れる。


「次期公爵夫人としてのお勉強もあるのに、そんなことで大丈夫なのかしら」


 はい、きましたー嫌味。でもこの義母、朝弱いからまだまだレベル1の嫌味よね。しゃっきりしている時に比べたらこんなの目の前をハエが横切ったようなものだ。婚約した直後には「あなたみたいなのが嫁に来るだなんて、スタイナー家のご先祖様に申し訳なくて寝込んだわ」って言われたものね、あぁ懐かしい。


「まぁ、お義母様! 結婚前にも神殿に週に三回行くことは何度もお伝えしていましたのに! まさかもうお忘れに? 神殿で働くことは治癒魔法を使える者の義務ですのよ?」


「もうボケてるんですか? お義母様」という気持ちを込めて大袈裟に笑顔で言い返す。義母が一瞬悔しそうに唇を引きつらせて再度口を開く前に畳みかける。


「お義父様は私が治癒魔法を使えて神殿で働くのを名誉なことだと仰っておられたのに、もしかしてお義母様は反対だったのですか?」


 疑問形に見せかけた脅し。義母は公爵である義父をそれはそれは愛している。一方通行だが。義父に表立って反対することなど、義母はしないのだ。陰でいじめてくるけれど。

 ちなみに、義父は週に何回か愛人のところに通っていることは調べがついている。義母は知っているのか、それとも見ないふりをしているのかまでは知らない。

 大体、この政略結婚は治癒魔法を使えるミュリエルを欲して義父が強く望んだものだ。


「そ、そんなことはないわよ。ただ、次期公爵夫人としての社交などがあるから心配しただけよ」


 義父を持ち出すと義母は見るからに狼狽した。ミュリエルが義父に告げ口するのを警戒したのだろう。結婚して私、図太くなったのかしら。婚約者だったころは受け流したり、ハイハイ言ったりしていたから慣れてきて言い返すと義母が慌てているわ。


「まぁ、お義母様。心配してくださってありがとうございます! ですが私達がこうやって暮らしていけるのは国民のおかげ。皆さまのために神殿でお仕事ができるのは立派なことだと考えております」


「お義母様のお考えは違うのですか?」とばかりにキラキラした笑みを向けてみる。さぁ、その寝ぼけた頭をフル回転して言い返してみなさいよ。これで神殿での仕事に反対したら国民も神も軽んじていることになる。そんなこと口が裂けても言えませんよね。それにここで反対したら義母に治癒魔法が必要になってもかけないわよ。他の人がかけるだろうけど。


「き、気をつけていってらっしゃいな」

「はい。しっかり務めを果たしてまいりますわ」


 最終的に義母は唇の端を少し引きつらせながら私を見送った。後ろに控える義母付きの侍女は私を睨んでいる。いくら義母が表情を隠しても後ろの侍女が隠せてなかったら意味がないわよね。

 はぁ、嫁ぎ先って疲れる。同居が疲れるのかしら。そもそも同居で幸せになる人っているの? いるなら連れてきてほしいわ。早く隠居して欲しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る