思い上がりの遠吠え-2

 オトはまだ十八の若者だったが、一家の長である彼の父親に、アトリの頭を隠して紹介する思慮深さと、一族の行く末を憂いて星読みを頼る熱量とを持った、まじめな青年だった。性格は家畜の扱いにも如実にあらわれる。彼が引いてきた馬は、数日放浪していたとは思えないほどきっちり毛並みが整い、彼と似たまじめな足取りでコゲを先導してくれた。

 彼ら一族の幕屋は十近く建てられており、真ん中の大きなそれに通されて、アトリは族長に挨拶した。かたい表情だが、息子が連れてきた得体の知れない男を受け入れてくれるだけの柔軟さはあるようだ。

「アトリといいます。北にある星読みの里で、里長の庇護で育ちました。星読みとしては未熟で、この土地に詳しくない私にどれだけのことができるかは分かりませんが、オトに請われて参りました」

「アトリ殿、息子の不躾な願いに答えて下さり、礼を言う」

 険しい表情から意外なほど柔らかい言葉が出てきて、アトリは顔を上げた。族長はアトリほどではないが背の高い男だった。痩せているが、大きな一族を双肩に背負い厳しい条件の土地で家族を養う、懐の深さと芯の強さが感じられ、アトリは彼に好感を持った。

「ここは痩せた土地だ。北の豊かな湖を持つ一族がここまで手を伸ばそうとしており、時に西の外敵もある。その相手をしながら生きるには、ここは草原の恵みに欠けている」

 部族間での勢力争いが激しい土地なのだ。オトの期待に答えるには、ますます条件が難しくなった。アトリが眉をひそめると、ホウエンと名乗った族長は逆にまなじりを下げた。若く未熟な星読みには手に負えない問題だと、分かっているかのような顔だった。

「我らは己をたのみに生きている一族ゆえ、星読みに頼ることもほとんどなかった。アトリ殿の言葉が道しるべになれば僥倖だ。よろしくお願いするが、気負わず頼む」

「ありがとうございます。できる限り、やってみます」

「ここに寝床を用意しよう。娘御と共に、もてなしを受けてくれ」

 予想通りの言葉に、アトリはいえ、と首を振った。

「厳しい状況を打開するために来たというのに、歓待して頂くわけにはいきません。星を読むには夜中に寝床を抜けることもあります。どうか私と連れは、敷地内に幕を張るのをお許しください」

 その返答へ意外だったようで、そうか、と残念そうに族長は肩を落とした。しかし強くすすめることもなく引き下がり、控えていたオトに案内を申しつける。アトリは彼とリコと一緒に幕屋を出て、ほっと息をついた。

「本当にいいのかい、別に寝る場所は余ってるんだ」

「いいんだ。その方が、おれもリコも気楽だから」

 リコが真面目くさった顔でうなずき、頭巾のはしがぴょこんと上下に揺れたので、オトも目を細めた。大勢が休む幕屋で寝てアトリやリコの姿が露見する可能性と、家畜の囲いに近いところに天幕を張ってリコが群れる羊たちを怖がらせる可能性と、両方考えたが前者の方が面倒だった。家畜たちには悪いが、少しでもリコの、狼の気配が彼らに届かないことを祈るしかない。

 それならこっちで、とオトは二人を幕屋が並ぶ外れへ案内した。夏の陽気の下、フェルト干しを手伝っていた子供たちが、なんだなんだと追ってきたが、オトはそれを手で追い払った。

「おまえたち、やることはいくらでもあるんだ。遊ぶのはその後だろ、ほらほら」

 ちぇっ、と残念そうな顔を見せながら、子供たちは素直に仕事に戻っていく。よくしつけられているが、子供らしさを失わないはしゃいだ笑い声もあがっていた。子供が明るく元気なのは大人たちがよく働いているからだ。アトリがオトに手伝ってもらって簡素な天幕を張っている間、リコは背を向けて子供たちを見ていた。


 明るいうちから外で女たちが煮炊きを始め、隊商での一夜のように外で夕飯が振る舞われた。もてなしなら不要なので普段通りで、とアトリは恐縮したが、一族が多いのでこれでも普段通りだという。なるほど、豊かな一族なのだ。

 族長であるホウエンのもと、彼のきょうだいや親族が集まっている。ホウエンにはまだ独立前の子供たちが何人かいて、オトはその一人だった。オトが連れてきた客人として紹介され、アトリは何度も、北の星読みの里で育ったことを話す羽目になった。リコは珍しく人見知りの様子でアトリのそばを離れずにいたが、夕餉もしまいになって、子供たちにひとりひとつずつ甘い菓子が配られているのを見て、もの言いたげにアトリを見上げた。隠されている耳と尻尾がそわそわ動き出そうとするのが見えるようだった。

「いいですか?」

 そばにいた男性に問うともちろんと頷くので、アトリはリコの背を押してやった。

「いいよ、もらってこい」

「うん!」

 小さな手足を思い切り伸ばして駆け出したので、相当気になっていたのだろう。子供たちもちゃんとリコを列に入れてくれたのでほっとする。

「元気のいい娘さんだね、おとなしい子にも見えたが」

「あー、娘ではないんです。養母ははからの預かり子で」

 そうなのかい、と初老の男性は目を細めて子どもたちを見やった。

「星読みの里から来たと言ったね。あんたもあの子も、よき親に恵まれたようだ」

 そうですね、とアトリは短く答えた。アトリもリコも、本当の親を知らない。アトリはもはや知りたいと思わないし知るすべもないが、よき親に恵まれたというその言葉は、掛け値なしに事実だと思えた。


 しばらくすると、リコが子供たちを連れて戻ってきた。もう十歳くらいになるだろう大きな体格の少年から、リコより小さな幼児まで、全員が小さな菓子を手に持っている。それなのに少し不満げな顔をしているリコに、どうした、と問う。

「アトリ、星読みのこと教えてあげて。みんな知らないんだって」

「……星読みのこと?」

 そう、とリコは真剣な顔で頷く。子供たちはアトリのことを興味津々といった様子で見上げていた。彼らにとっても、アトリは珍しい部類の客人なのだろう。どうしたものかと辺りを見たが、オトや、彼と同じくらいの若い男女も似たような顔でアトリを見ていたので、小さな息をついた。

「……星読みは、空の星の動きや位置から、地上の人間や家畜、動物……生き物のあり方や、土地や天候がどう変わっていくか読み解くんだ。人と人の相性や運命とか、どんな夏や冬が来て、家畜をどう生かすかとか……」

 そこまで話して、子供たちはおろかリコまでもよく分かっていない顔をしていることに気づく。アトリはもう一度息をついて、膝をついて彼らと視線を合わせ、ようやく薄紫に暮れ始めた西の空を指さした。

「――まだ明るくて見えにくいけど、あそこに一番星が出てるだろ? あれは宵の明星で、一番早くから輝き始めて、夜明けには一番最後まで残る。太陽を追いかけるように動いて、わずかな時間しか見えないのに力強く輝くから、あれが見える間に生まれた子は強くて足の速い子になるという」

 星読みの里で子供たちに同じような話をすれば、おれだ私だとよく手が挙がる。ここの子らは自分が生まれた時間帯など知らず、初めて聞く内容に不思議そうに目を瞬かせていた。

「太陽と一緒に動くから、あれの見え方が変わると季節も変わる。あれが宵ではなく明けに見えるようになったら夏の終わりで、それが早ければ冬も長くなると言われているんだ」

「空の星のこと、全部を覚えてるの?」

 リコの隣に立っていた少女が信じられないような顔でアトリを見上げる。アトリは苦笑した。彼自身、養母や里の大人たちに何度も繰り返した問いだった。

「大体は覚えてる。……でも、分からないこともある」

 この草原が日々その姿を変えるように、大地は、そして星は生きている。星の命が尽きるとき、燃え上がるように激しく輝き、姿を消すという。流星は前触れもなく起こり、天も星も不動のものではない。


「空をずっと見てるから、空みたいな目になるの?」


 同じ少女から出た問いに、アトリは面食らって態度を取り繕うのも忘れ瞬きした。金髪を隠しても、白い肌や青い瞳までは隠せない。一部を隠しているからこそ、外に出ている面が強調されてしまうこともある。事情ありと見て大人たちが口をつぐむその異質さを、子どもは容赦なく浮き彫りにする。

「……そうだったら面白いけどな」

「ちがわい。だって夜の空は真っ暗じゃないか」

 アトリの返事など聞かず、少女より少し年上に見える少年が、少女の背を小突き笑い声をあげた。少女はやり返そうと勢いよく振り返り、お下げが揺れて隣に立つリコを叩く。わっと盛り上がり言い争いになる子供たちの声が聞こえていないかのように、リコはアトリを見ていた。

 リコは一番冷たい氷みたい、と表現したし、よく晴れた日の空のよう、とも言われるアトリの青い瞳。草原の西に暮らすこの一族なら、その意味を、アトリの他に青い瞳を持つ人々を知っているはずだし、彼らにとってそれは外敵であるはずだった。

「さあさ、もう暗くなるから、寝る時間よ」

 ポンと手を叩きながら子供たちに声をかけたのは族長の妻である。族長に似て痩せ気味の、けれどしっかりとよく響く声質の女性だった。はあい、と親羊のあとを追いかける仔羊さながら、子供たちは争うのをやめてぞろぞろと幕屋へ戻っていく。眠たくて足取りがおぼつかない小さな子を抱き上げて、彼女はアトリとリコを見た。

「お二人も、なにか入り用のものがあったらおっしゃってね。ゆっくり休んでください」

「……はい、ありがとうございます」

 優しい、気遣わしげな言葉の裏に隠しきれない拒絶を感じ、アトリも静かに頭を下げた。大人たちは片付けをしていたが、アトリはリコを連れ先にその場を離れる。二人で天幕に戻り、入り口を紐で縛って結わえると、さすがに少しほっとした。リコも同じだったようで、敷物の上で靴を脱ぎ、アトリを見上げへにゃりと笑った。

「アトリの目は、本当に、空ばかり見てたから青いの?」

 そうではないことを、リコは分かっている。アトリはリコの鼻先をつまんで、頭巾を外してやった。

「なら、リコのこれはなんなんだ? 狼をずっと見てたら、生えてきたのか?」

 ちがうよー、とリコは笑う。他の誰ともちがっても、ちがうから排除されても、それをこうして笑い合える相手がいれば案外気分は悪くならないのだと、アトリは気付いた。たとえそのリコとでさえ、なにもかもがちがったとしても。

「……おれは夜中に、星を見に行く。リコは疲れただろ、早いとこ寝てろ」

「うん、わかった」

 リコは素直にうなずいてコテンと横になってから、目をつむらずに何か考えているように金の瞳を少し細めた。どうした、と目で問うと、大事な秘密をうちあけるような慎重さで、リコはそっとささやいた。

「明日は、あの子たちと遊んでもいい?」

「……いいよ、もちろん。はしゃぎすぎて、尻尾や耳が出ないようにだけ気をつけろよ」

 アトリの答えに、リコは口元を抑えて返事しなかった。ただ隠しきれない喜びで尻尾がぱたぱた揺れて、くふふと笑い声がこぼれる。リコが寝付くのを待ちながら、アトリは夢の中で遊んでいるように元気よく動く尻尾を構っていた。

 やがてその尻尾も静かに地面に落ち、すっかり外が暗くなってから、アトリは外に出た。星と月が明るい夜だった。

 あの星は導きの星、こっちは天頂を高く飛ぶ鷲の羽根星、地に近いところを這う蠍の尾、天を渡る狼の星。

 ひとつひとつ指さして教えてくれた養母の声がよみがえる。砂漠に生きる蠍の尾が低いほどい水は遠く、円い月に鷲が近ければ山に水が湧く、と北では教わった。なじみのないこの土地では、どの山に水が湧くのか、森や湖がどこにあってどれだけ離れているのか分からない。

 星の動きを知り、地上での事象を観測した結果導かれるのが星読みの教えである。分かりきっていたことだが、アトリには全てが足りなかった。

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