人の群れ、狼の群れ-2
細工の施された箱を解体して、中の細工を取り出す。小さなネジを外して、砂を噛んでいるところはそれをはらい、油で磨いて元に戻す。もう一度慎重に組み立てて試しにぜんまいを巻くと、なめらかな音が流れ出した。見守っていた人々が、ほうと息をこぼす。
「器用だな、兄ちゃん」
「これ、音楽が鳴る箱だったのか」
アトリの元にそれを持ち込んだ若い男が、しげしげと箱を上下から眺め回して言った。どうやら、手に入れた当初から壊れておりなんだか分からないままに保管していたらしい。アトリは苦笑して答えた。
「一度だけ、よそで見たことがあるよ。けっこう高価なはずだから、財産になると思う」
へえ、と彼はまたおどろく。そのまま少しの間、音に聞き入るように目を瞑った。単純な音階の繰り返しで、もちろん聞いたことのない曲である。もしかすると、これが作られた土地では有名な音楽なのかもしれない。
昔アトリが見たことがあるのは、もう少し大きな箱で、その分音が複雑に重なって、とても一つの箱から奏でられているとは思えないような調べを聞くことができた。今街の広場に流れる曲は単調だが、だからこそ、薄い金属板を弾いてつながっていく音が美しくなめらかに響いた。
「ありがとう。きっと家族も喜んでくれる」
「どういたしまして」
男から報酬を受け取って数え、約束の額と間違いがないことを確認する。それをしまうと、次の男がやってきた。
「次はおれだな。ちょっとうちまで来て、見てもらいたいものがあるんだが」
「いいけど、あんまり細かい細工や難しいものはできんよ」
立ち上がり、少し離れたところに座っているリコを見ると少女はふるふると首を横に振った。アトリと一緒のときははしゃいで走り回るが、離れると不安の方が勝つのかおとなしい。アトリは頷いて立ち上がった。
少しの間金稼ぎをしたいという話を通してもらったところ、こういうのはどうだと宿屋の主人が開かなくなった引き出しを直してくれと言ってきた。くさびがゆがんでいたのを直して問題なく開閉するようにしてやると、手先が器用なんだなと言っていろいろと壊れたものを持ち込んできた。その結果が今である。
財産となる家畜がいればその恵みで生きていくことができたし、星読みとしてもう少し熟練して自信を持って人を導くことができればそれで稼げたかもしれないが、あいにくアトリはなにも持ち合わせていないし自信もない。旅をしていて金が足りなくなったときは、荷運びでも水くみでも牧夫でも、なんでもやった。
大きななりのわりに小心者で手先が器用、は昔から言われていたことである。言った当人は悪口だとは思っていないような顔だった。確かに、細かいものを扱うすべを心得ていることは、旅先でいろいろと己を助けてくれた。
案内された家で、これを直せるか、と渡されたものを見てアトリは眉をひそめた。
ひんやりと冷たい鉄と木でできた棒。持ち手があって細かな金具がついている。それは銃と呼ばれるものだった。
「どこで手に入れたんだ?」
「隊商の紹介をしているから、その筋で」
草原ではまだ弓矢の方が主流である。けれど弓より殺傷力があることはよく知られている。だれにでも扱えるものではないが、弓ほど熟練に年月を要するものではないことも。
「直せるか?」
「さあ……どう壊れているかにもよるし」
「試してくれるか」
右手の指で、組んだ腕をトントンと叩きながら、アトリは少し考えた。草原を荒らす盗賊たち、野生動物、外国から来る兵など、身ひとつで渡るには草原には敵が多い。アトリだって、弓や剣のたぐいは持ち合わせている。けれど好き好んで殺生することはもちろんないし、銃など手にするのは久しぶりで二の足を踏んだ。
それでも、男が言った報酬は魅力的だったし、彼らが銃を必要とする理由もよく分かった。結局アトリは、試してみる、と言ってそれを布に包み直し預かることにした。
時間をもらうと断ってその家を出ると、向かいの道端にリコが座り込んでいて、アトリを見て駆け寄ってきた。
「なんだ、結局ついてきてたのか」
「だって、まってるのつまんない」
うれしそうに飛びつこうとして、リコは急に顔をしかめてぴたりと止まった。どうしたのかと思えば、鼻をつまんでさらに顔をぎゅっと歪める。
「それ、くさい」
「これ?」
預かった銃である。鉄臭さを感じるほどではなかったが、リコにとってはひどい匂いらしい。持ってきたのは間違いだったのかもしれないが、だからといってすぐにやっぱり返すというのも気が引ける。迷ったすえに、リコの機嫌を取る方を選んだ。
「今日はもうこれで終わりだ。この荷物を置いたら、昨日行かなかったところを見てみるか」
「ほんとう!?」
鼻から手を放してぱっと笑ったあと、すぐにまた鼻を覆う。その様子がおかしくて、リコに悪いとは思ってもアトリは笑ってしまった。
「アトリって、けっこういろいろできるの?」
「……なんだそりゃ」
並んで市を冷やかしていると、リコの気持ちは店先に並べられた品物と同じくらい、アトリの方へも向くようだった。くるくる回りながら歩くので危なっかしいが、どうにかどうして、だれにもぶつからないのは子供の特性か獣の特性か。そもそも、そこまでたくさん人や店が立っているわけでもないのだが。
「だって、これはできなかった」
リコは明らかに太さのちがう左右のお下げを握って不満げに言った。直して欲しい、と言い出さないところを見るとアトリにはできないということを理解したらしい。
「だから、あんまりなにもできないのかと思ってた」
あんまりな言い草だが、リコらしい率直な言葉である。こら、と小さな頭に帽子の上からトンと手刀を入れると、リコはきゃーと笑って逃げるふりをして、くるりと回って戻ってきた。
「前にな、ずっとずっと遠くの方まで、旅をしたことがあるんだ」
「ずっととおくって、どこ?」
「……西の果て」
「アトリの生まれたところ?」
大きな声ではなかったが、少しおどろいてアトリは思わずあたりを見渡した。まばらな人混みは、皆それぞれ目的があるようでだれも二人のことなど気にしていない。
「……それは分からん。リコと一緒で、おれは自分がどこで生まれたのかは知らない」
ふうん、とリコは分かっているのかいないのか、首を傾げて頷いた。
「だけどそこで、いろいろ知らないものを見てきた。だから、できることもある」
そうなんだ、とそこまで興味もない様子でリコはまたひとつうなずいた。アトリ以上に出自を探りようのないリコだから、こうも達観して見えるのだろうか、とアトリは考える。
小さな女の子がこうしてなにもかも受け入れたような態度でいるのを見ると、髪の色瞳の色肌の色すべてを隠してやり過ごしたいと思っている自分が、むしょうに小さく思えた。
帽子と巻きスカートの下に耳と尻尾を隠していても、リコは至って自然体に見える。少女自身の特性と、里で分け隔てなく育てられた経験がそうさせているのだろう。その快活さが、少しうらやましくすら思えた。
多くはない天幕の店先には、羊や山羊の乳から作ったチーズや、それを固めてからからに乾燥させた保存食、草原では入手しづらい野菜に麦や芋、色糸に針などの裁縫道具、鉄の鍋や道具たち、そして煙草など、いろいろなものが並んでいる。見たことがないものも多い様子で、リコは例によってアトリになんでも尋ねながら楽しそうにしている。これらの品物も、草原のあちこちから集められ、果ては草原を越えたよそから運ばれたものもあるだろう。
その時、あれこれ品物を物色していたリコが、突然顔を上げ中空を見つめて固まった。虫か鳥でもいたのかと視線の先を追っても、なにもない。
リコ、と声をかけようとして、金の瞳があまりにも遠くを見ているようだったので、息をのんだ。
リコのことだってよく分からない、崇め祀っているものに似ているから、リコに対してもそうしているだけ。
そんな風に話していたホランを思い出す。その瞬間のリコは、アトリにとってさえ、ひとりの少女ではなく遠い別の存在に思えた。
「…………リコ」
それでもなんとか名を呼ぶと、少女はぱっと顔をアトリに向け、なにかを振り払うように頭を振った。
「なにかいたのか」
「ちがうよ。なんだか、声がきこえたような気がしただけ」
何の声、とは聞けなかった。アトリの頭には既に、先日聞いた狼の遠吠えがよみがえっていた。
宿へ戻ると、入り口に馬がいて中で誰かが主人と話をしていた。新しい客か、と考え通り過ぎようとしたところ、気配を察したらしい男が振り返る。その顔を見て、アトリは思わず、げっとうめいた。
「おう、アトリにリコ。おまえたち、まだこんなところにいたのか」
明るく声をかけてきたのはアトリより十歳ほど年長の男で、遊牧民らしい簡素な衣装に、脱いだ帽子を小脇に抱えている。成人の男としては珍しく、その胸にはじゃらじゃらと装飾品がぶら下がっていた。
「カームおじさん!」
「カーム、どうしてこんなとこに」
リコとアトリの声も重なって響いた。
わざわざ顔を合わせなくてもすむように、彼の帰りを待たずに里を出た。折り合いの悪い義兄がそこに立っていた。
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