ホッカイドウ
ホッカイドウの牧歌的な風景を、タクシーの後部座席に座りながらセイジは眺めていた。
ときおりなんとなくぎしぎしする、生まれて初めての脱色をした髪を触っては、今頃カオルはもうSeIReの手に落ちてしまっているのだろうなと若干暗い気持ちになった。
昨晩フェリーでカオルから伝えられた“アメフラシ大作戦”なる策は見事成功し、貞操管理者の包囲網を潜り抜け港から脱出することには成功した。
その代わりにここでもまた、大きすぎる犠牲を払ってしまったのだ。
ひしひしと自らの覚悟に乗った重みが増していく。
ここまで来たら失敗は許されない。
必ず約束を果たしてみせる。
「……ねぇ、セイジ。それいつまで付けてるの? そろそろ外したら?」
「え? あ、忘れてた。そうだね。邪魔だしもうとるよ」
唯一残った同行者であるセナに指摘され、服の中に詰め込んだ丸めたタオルを取り出す。
むりに詰め込んだせいで本物のカオルに比べナイスバデェになってしまったが、さすがのSeIReといえでもその事には気づかなかったらしい。
窓に映り込む自分の髪は見事に脱色され、小麦のような金色に染まっている。
彫りの浅い平均的なニッポン人顔であるセイジに金髪はまるで似合っていなかったが、今更それを気にすることはできない。
ありとあらゆる状況に対応できるよう準備をしてくれたマモルのおかげで、カオルとの入れ替わり作戦を実行することができた。
囮役を結局二人ともにやってもらったことになる。
滝姉弟には感謝しても感謝しきれない。
最終的にSeIReの手に落ちる前に余裕があれば、カニとウニの贅沢お中元セットを買って配送しようと思った。
とっくにトマコマイ市は抜けて、すでにサッポロ市に入っている。
タクシーに乗り込んでからの時間経過を考えても、じきに目的地には到着しそうだ。
見える景色にもマンションなどが増えてきて、都市部に近づいているのがわかった。
高校の友人であるナオトから教えて貰った住所はすでにタクシーの運転手に伝えてある。
車が止まる時が、とうとう待ちに待った約束の少女、富岡ミユリとの再会の時だった。
「どうもお客さん。着きましたよ。ご利用ありがとうございますな」
「あ、ここですか? ありがとうございます」
ゆっくりと走行速度を落とし、タクシーがついに停車する。
しかし辿り着いた場所はセイジの予想とはまるで違った場所だった。
「本当に、ここに彼女が……?」
一万を超える料金を過不足なく支払うと、そのままタクシーは去って行く。
運転手には何度か住所の確認をしてある。
間違えたということはないはずだった。
「……ここ、病院だね。ここにセイジが約束した子がいるの?」
それは“ナンポロ総合病院”と看板に書かれた巨大な医療施設だった。
マンションや一軒家を想定していたセイジは、虚をつかれたような思いを抱く。
「ここで間違ってないはずだ。とりあえず行ってみよう」
「だね。いけば分かるよね」
何か事故にでもあって長期入院をしていて、その暇な時間を利用してオンラインゲームをしていたのだろうか。
命に関わるものでなければいいけれど、とセイジは再会できる事とはべつの不安を募らせながらも、病院のエントランスを抜けて受付の女性の下へおずおずと近寄る。
「あの、すいません」
「はい、どうされました?」
「ここに富岡ミユリという女の子は入院されていませんか?」
「面会のお申し込みでしょうか? ……少々お待ちください」
二十代前半のように見える女性は、奥の方にいるベテランの風格漂う妙齢のナースに声をかける。
「すいません、富岡さんという方の面会希望者が来られているんですけど、わかりますか? 私まだここに来て間もなくてちょっとまだ患者さんを把握しきれていないんですけど」
「富岡? ……あー、たぶんミッチャンのことね。414号室よ」
「ありがとうございます……お待たせしました。富岡さんの病室は414号室になります。こちらが来客証になりますので、病室に入る際は首からおさげください」
「あ、ありがとうございます」
「どうもでーす」
セイジは二人分の来客証を受け取ると、心臓がドクンドクンと激しく鼓動し出すのがわかった。
どうやらここに本当に、十年以上前に約束をした女の子がいるようだ。
病室にいるということから入院しているようだが、面会謝絶するほどの危険な状態だったわけではないらしい。
病院の案内図をよく見て414号室がどこにあるのかを確認してから、エレベーターに乗り込む。
「いよいよだね。緊張してる?」
「ま、まあ、少しだけ」
「うそつきぃ。めっちゃガクブルじゃん。……約束、覚えていてくれてるといいね」
チン! とエレベーターが大声を上げ、目的の四階に到着したことを知らせる。
病院関係者が往行する長い廊下を歩いていくと、患者のいる病室がずらりと並んでいる場所へ差し掛かった。
401、402、403、404、405。
やけに周囲の音が遠くに聞こえる。喉が異様に渇きだす。
406、407、408、409、410。
いざあったらなんと声をかければいい。
何を話せばいい。
どんな顔で彼女を見ればいい。
髪を手で適当に整えながら、進んでいく。
411、412、413。
そしてとうとうセイジは辿り着く。
ずっと探し求めていた場所に。
様々な人の想いを背負って、ついに目的地に届いたのだ。
“414号室 富岡”。
この十数年間追い求めていたその苗字を目にして、震える手で部屋の扉を開く。
ふわり、と吹き抜けるのは柔らかい風。
明るい光が差し込む病室の清潔なベッドの上でゲームのコントローラーを持ち、大画面のテレビに澄んだ眼差しを向ける一人の少女。
筋の通った鼻梁にはっきりとした二重瞼。
凛々しさの中に可憐さを内包させた整った相貌。
背中まで伸びた長い黒髪には枝毛の一つもない。
その容姿と雰囲気にはたしかに十年以上前にセイジが約束をした少女の面影がある。
やがて、視線と視線が交わり合う。
瞬間、セイジは全てを理解する。
驚愕、そして遅れて困惑に染まる少女の顔の言葉を待つまでもなく、全てを理解してしまった。
「……あの、どちら様ですか?」
若干の怯えを含んで問われたセイジの名。
自分のことを忘れてしまったのかと、セイジが落胆することはない。
なぜなら彼はもう気づいているから。
そこに座る少女が、初めから自分のことを知っているわけがないということに。
「僕の名前は大塚セイジです。あなたは富岡ミユリさんですか?」
素直に名乗ってから、セイジは逆に問う。
その問答に違和感を覚えたのか、病室の入り口付近に立つセナが悟ったような顔をしていた。
「私はミズキです。富岡ミズキ」
あぁ、とセイジは呻くような声を漏らして無機質な天井を仰ぐ。
もはや同姓同名ですらなかった。
そこにいたのは、様々な犠牲を払って辿り着いた場所でセイジを待っていたのは約束の少女ではなく、苗字しか一致していない初めて会う女の子だった。
茫然自失の状態でしばらくセイジが言葉を失っていると、不審気な表情をしていた富岡ミズキと名乗る少女がはっとしたように目を見開く。
「富岡ミユリに大塚セイジ……あの! もしかしてこれ! これに見覚えあったりしますか!?」
「……え? そ、それは……」
突然か細い声を張り上げたミズキは、ベッド横のテーブルに置いてあったポーチからあるものを取り出す。
それは色鮮やかな桜を模した髪飾り。
セイジはその髪飾りをよく知っていた。
それは富岡ミユリがいつも付けていたものだ。
「な、なんで君がそれを? それはミユリちゃんの髪飾りだ」
「あー、やっぱり。うわぁ、信じられない。こんなことがあるなんて。大塚セイジ。こんな人だったんだ。金髪なのはイメージとちょっと違うけど」
「そ、その、君はその髪飾りをどこで?」
先ほどまでの警戒した様子が一変して、まるで遠い親戚を見るような目でミズキはセイジをじろじろと眺めている。
「ということは初めまして、じゃなくて久し振り、ですね大塚セイジさん」
「久し振り? 君は僕のことを知ってるの?」
「あはは。やっぱり私のことの方は全然覚えてないんですね。まあ、それも当然か。公園で遠目に顔を合わせたことはあるけど、たぶんこうやって直接お喋りするのは初めてですもんね」
興味津々といった雰囲気でミズキは前のめりになって、セイジにきらきらとした瞳をみせる。
富岡ミズキ。
Miyuri Tomiokaというオンラインアカウント。
桜の髪飾り。
セイジはミズキのことを知らなくとも、彼女は今から十年以上前から彼のことをよく知っていた。
「あ、ごめんなさい。改めて自己紹介が必要ですね。私の名前は富岡ミズキ。ミユリは私の姉です。セイジさんのことはよく知っていますよ。姉と“ヤクソク”、したんですよね? 恋人になるって」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます