クインテット



 M.Y.4の予想した通り、センダイ港の付近で指名手配中の童貞である大塚セイジを発見し、フェリー乗り場までついてきた武久井レンカはこれは面白いことになっていると内心で心を踊らせていた。

 目の前にフェリー乗り場までの道を塞ぐように立ちはだかる一人の青年。

 それは間違いなくセイジの逃亡を手助けした共犯者ともくされる滝マモルだ。

 フェリーがセンダイを発ちホッカイドウに向かって太平洋の海に出るまで、あと数分しかない。

 それまでの時間を稼ぐつもりなのだろう。

 それはあまりに愚かで、無意味な抵抗に思えて仕方なかった。


「すいませんが、そこをどいて頂けないでしょうか?」


「悪いがそれは、できねぇんだ」


 レンカが声をかける前に、M.Y.4がフェリー乗り場までの道を阻害しているマモルの方へ一歩踏み出る。

 ずっと追いかけ続けてきたターゲットである大塚セイジはもう目と鼻の先にいる。

 フェリーに乗り込んでしまえば、逃げ道はもはや存在しない。

 確実に童貞を奪えるであろう。


「私はまだ研修中で正規の貞操管理者ではありませんが、そこにいるもう一人の女性は免許証も持っています。これ以上の私たちの邪魔をするのであれば、公務執行妨害の現行犯として罪に問われる可能性があります」


「へぇ、そうかよ。それがどうしたんだ?」


「っ! ……正気ですか。自分が何をしているのか、理解できていないようですね。頭のおかしな童貞に感化でもされましたか」


 事前にこの場でセイジを捕縛することができなければ、本部に連絡しトマコマイの船着き場に貞操管理者を配置することになるとM.Y.4には伝えてある。

 つまり単独で動き、セイジの童貞を自らで奪うチャンスはM.Y.4にとってこれが最後。

 それゆえの焦りなのであろう。


「今は貴方のような非童貞に関わっている暇はないんです。そこをどいてください」


「何度も言わせんな。それはできねぇって言ってるだろ」


 構わずM.Y.4が進もうとすると、すっと動いてマモルが道を塞ぐ。

 何度かそれを繰り返して苛立ったM.Y.4が強引に横を通り抜けようとすると、細身の腕を強く握られ動きを止められてしまった。


「離してください」


「断る」


 いくら身体能力的にトップクラスの素質を持っているとはいえ、年齢差のある男女。

 本気で身動きをとれないように腕を掴まれると、さすがのM.Y.4も中々振りほどくことができなかった。


「これは困ったわね。今回はあくまでM.Y.4の意志を尊重した単独行動として、運転手役以外はするつもりなかったのだけれど……さすがにそれはちょっとやりすぎじゃないかしら?」


 両腕でがっしりと掴まれ、必死で振りほどこうとするM.Y.4の様子を見たレンカがついに動く。

 悠然とした態度でマモルを見やり、上唇を艶やかに舐める。

 顔立ちも芸能人顔負けに整っていて、すらりとした高身長でスタイルもいい。

 獲物としては中々の上物だ。


「ごめんなさい。この子は急いでるのよ。だからちょっと最初から本気でイカかせてもらうわよ?」


 レンカは腰につけてあった小さなツールポケットから一つ真っ赤な銃形の物体を取り出す。

 どこか禍々しさすら感じるそのブツを手にする彼女は、どこか嗜虐的な笑みを浮かべている。


「……なっ! まさかR.M.1さん、それは……どうしてそれを?」


「なに? どうして驚いているのかしら? 私をただの教育担当だと思ってた? やっと気づいてくれたみたいね。私からの教えを受けることが、どれほど贅沢なことなのか」


 レンカが取り出した物体を見て、その正体に気づいたM.Y.4は絶句する。

 噂には聞いたことがあった。

 貞操管理者の中でもほんの一握りの、国から特権ともいえる裁量を与えられている存在がいることを。


五人の女王代理クインテット……っ!?」


 心、技、体、その全てにおいて優秀であることを求められる貞操管理者の中でも、特筆した才覚を示した五名。

 “五人の女王代理クインテット”。

 その五人は尊敬の念すら込めて、女王代理、そう呼ばれている。

 

「他の代理たちには出し惜しみをするタイプもいるけれど、私はそうじゃない。初手から全力。迷わず果てさせる。焦らすのは趣味じゃない。本当のプロフェッショナルを教えてあげる」


 本来童貞以外に力を振るうことを禁止されている貞操管理者だが、レンカは異なる。

 ある程度の傲慢は、女王の代わりを担う者たちには許されるのだ。

 さらに高貴な者たちは皆、その権威に相応しい特別な代物を持つ。

 レンカは赤い銃形の物体の先端をマモルに向ける。


「幕を上げなさい、快管楽団ホーケストラ


 特記条件下限定外装トクジョウテンガ

 女王代理の座につく貞操管理者だけが持つ、個人に合わせて調整されたオーダーメイドの支援物資。

 レンカの持つ特記条件下限定外装トクジョウテンガは、股間を、逃さない。


「なんだっ!? くそっ! 離れねぇ!」


「無駄よ。私の快管楽団ホーケストラを存分に楽しんでちょうだい」


 ガブリッ! レンカの快管楽団ホーケストラは遠距離型の特記条件下限定外装トクジョウテンガである。

 打ち出された銃弾は正確にマモルの股間に当たり、着弾した弾は服の部分だけを絶妙に貫き、彼のシワシワなブツに触れた瞬間、ゼリー状に変化し瞬く間に包み込む。


「へぇ? 中々立派なモノ持ってるじゃない?」


「くそがっ! これがSeIReのやり方かよっ!」


「そうよ? あなたは私たちの世話になることなんてなさそうだから、知らなかったでしょう? いいわ。私があなたに本当の快楽を教えてあげる」


「うごぉうぷぅっ!?」


 レンカの握る快管楽団ホーケストラに、そのままマモルのブツの形状、感覚が伝わってくる。

 これこそが彼女だけに許された能力チカラ

 どれほど遠くても、どれほど数があっても、全ては彼女の掌の中。

 

 “紅の代理クイーン・オブ・ルビー”。


 畏怖を込めて、レンカは多くの人々からそう呼ばれることが多い。


「まずは軽く、味見と行こうかしら」


 べろり、とレンカは快管楽団ホーケストラを長い舌で舐める。

 肉厚な唇は貪るように押し当てられ、香水のように芳醇な香りのする唾液を纏った舌が淡水魚のように暴れまわった。


「ふぅん? やるじゃない。まだ勃たないなんて」


「ぷはぁっ! ……へっ、悪いな。俺は手強いぜ? ちょっとした特異体質なんでな」


「あら、もしかして、そうなの? へぇ、若いのに大変ね。でも安心してちょうだい……私が“治療”してあげる」


 マモルはまだ不敵に笑うだけで、股の間にぶら下がるブラックタートルは余裕綽々と頭をたれたままだ。

 SeIReトップクラスの貞操管理者としてプライドの炎が燃え上がり、レンカのスイッチが入る。


 ——必ずイかせる。


 首をポキ、ポキ、と左右に二回ずつ鳴らし、レンカは利き腕の右手を、快管楽団ホーケストラ伝いで、そっと下からカメの首に沿わせた。


「さあ、いい音で喘ぎなさい。……《前戯奏曲テコキソナタ》」


 そして圧倒的経験から生み出されたレンカの超絶技巧がついに発動され、マモルの前立腺へのトロンボーンの爆音を耳元で炸裂されたような衝撃に全身が震える。


「ぐぅっ!? ぬぅぐうあああああっ!!!!」


 あたかもマモルの陰茎を鍵盤に見立てているかのように、繊細かつよどみないタッチでレンカの指が性感帯という性感帯を刺激していく。

 それはまさに快感のラフマニノフ。

 絶妙なクレッシェンドとフォルテがマモルの愚息に襲い掛かり、自然と足が内股になっていく。


「あぁ……ふぅんっ……なっ……はぁはぁ……ぐふう……っ!」


「ああ、聴こえるわ。あなたの喉から奏でられる美しい旋律が。短調、それから分散和音。主旋律がテンポを上げていく」


 うっとりとした恍惚の表情を浮かべるレンカ。

 たしかに貞操管理者試験の成績だけでならM.Y.4に劣るが、彼女もまた世代を代表する傑物であった。

 元来のセンスと熟練のテクニックが合わさり、官能の化身となる。


「があああっ……っ!? 嘘、だろ、俺の、俺のチンポコが……っ!?」


「ふふっ、あらあらずいぶんとお寝坊さんね、やっときてきたのかしら?」


 そしてマモルは信じられないモノを目の当たりにする。

 それは自らの折れた愛剣が、再び鋭い刃を持って切っ先を天に向ける勇ましい姿。

 これまでにどれほど待ち望んでいたのかわからない、しかし今だけは見たくない光景だった。


「でも残念、そろそろ終楽章フィナーレが近いみたい。やっと盛り上がってきたところなのにね」


「あひんっ!? ……あ、し、しまった!」


「助かりました! ありがとうございます! R.M.1さん!」


 やがて完全に屹立してしまった数年振りに目覚めた獣の首を握られると、全身から力が抜け、とうとうマモルはM.Y.4の手を離してしまった。


 ——ブオーン。


 しかし、その時遠くから猛々しい汽笛の音が聴こえてくる。

 それは勝利のホルンにも似た音に感じ、全身の血液が一局部に集中していくせいで近づく貧血の気配の中で、マモルは拳を突き上げる。

 

 おそらく時間は十分に稼げたはず。

 そう考えればこの程度の犠牲、安いものさ。

 

 もう間に合わないとわかっていてもなお駆ける、まだ少女然とした貞操管理者の背中を見やりながら、マモルはホッカイドウへと無事旅立っていく夢見る童貞にエールを送る。


「ほら、いい音で果てなさい。……《絶頂奏曲テクノソナタ》」


 ジュッ、ジュルリィ! ジュポポポポポポポォォッッッ! 屈んだレンカは止めとばかりに、快管楽団ホーケストラを口の中に収納して、凄まじい勢いで絡み錆びつかせていく。

 マモルは視界がホワイトアウトするかのような超然的快楽麻薬が脳からドクドクと分泌され、はちきれんばかりに膨張したタンクが限界を迎え透明のオイルが噴き出し、極太のマッチ棒には火が灯され、その内に蓄積されていた聖なる光が溢れ漏れた。



「あっ、あっ、だっ、だめっ、い、イクぅぅわああああああああああああああああっっっっっっ!!!!!!!」



 断末魔に似た絶叫と共に、暮れたばかりの夏の夜空に白い花火が咲く。

 レンカが舌なめずりをして立ち上がるのとは反対に、全ての魂を抜かれた屍のようになったマモルが膝から崩れ落ちる。


「……お見事。あなたの負けだけれど、あなたたちの勝利というところかしら。死兵としての役目は果たしたわけね」


 地面に倒れてもうぴくりとも動かないマモルは、満足気に微笑んだまま意識を手放していた。

 敵ながらその鮮やかな戦いに賞賛の拍手を小さく送ると、レンカはせめての情けとして、萎れた花茎を隠すように下半身にハンカチを被せておく。

 そしてSeIRe本部から支給されていた超高性能消臭剤を使って身を清めると、港の端で立ち尽くすM.Y.4の下へ歩み寄っていく。

 隣りにまでやってきたレンカに振り向くことなく、若き期待の新人貞操管理者候補はいまだに水平線の向こう側を見つめていた。


「また、逃げられちゃったわね」


「はい、そのようです」


 あと数分あれば届いていただろう。

 気落ちした声にレンカは同情の念を抱くが、これ以上はもうできることがない。

 単独行動をするのにも限界だった。

 M.Y.4の挿入アレルギーを治すために、別の方法を考える必要があるように思えた。


「前に言っていた通り、本部に連絡するわ。おそらく彼らはトマコマイで捕まることになるでしょう」


「……もし、トマコマイでも捕まらなかったら?」


「可能性は非常に低いわ。だけどかりにそうなっても、これ以上は追わないわよ。上層部からトウキョウに戻れとお達しが来てるから」


「……その命令に背いたら?」


「私が背くことはないけれど、もしあなたが単独で背くのなら、当然命令違反として上に報告することになるわね」


 もうだいぶ遠ざかり、見えているのか見えていないのかもわからないほどの距離にフェリーは行ってしまったというのに、M.Y.4は前を見据え続ける。

 そこには揺るぐことのない執着と覚悟が感じられた。


「ねぇ、一つ訊いていい?」


「はい。なんでしょう?」


「どうしてそこまで大塚セイジにこだわるの?」


 数秒の沈黙。

 潮の匂いが乗った海風が並び立つ二人の貞操管理者の髪を揺らす。


「……さっき、あと一歩のところで大塚セイジを逃した時、彼と目が合ったんです」


 レンカの質問には答えず、凪のようなアルトでM.Y.4は語る。

 気づかぬうち日はすっかり落ちてしまい、夜の海面には眩しいくらいの星屑が映り輝いていた。


「正直に言いましょう。これは“私怨”です。私は、どうしても許せないんです。……申し訳ありません、私はホッカイドウに向かいます。私にはまだ覚悟が足りていなかったみたいです」


「私怨、ね。本気なの? あまりこう言い方はしたくないけれど、いくら特別待遇のあなたでも、これ以上勝手をすれば首が飛ぶわよ?」


「構いません。そうなったらもう一度、貞操管理者試験を受け直せばいいだけですから」


「……ふっ、本当にあなたって面白い子ね」


 M.Y.4が口にする復讐や私怨といった台詞の意味がレンカにはわからない。

 しかしもうこれ以上自分が彼女にしてあげられることはないと思った。

 もう止めることはできない。

 そしてまた、止める気もまたなかった。


「行ってきなさい、M.Y.4」


「はい。行ってきます、R.M.1さん」


 それはあまりに短い問答。

 しかしそれだけで十分だった。

 なぜなら前だけを真っ直ぐと見つめ続けるM.Y.4だからこそ、レンカはここまで彼女のわがままに付き合ったのであり、そんな彼女の事を心の底からを美しいと思ったのだ。





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