ツイセキ


 

 悔し気にかりんとう饅頭を頬張りながら、レンカはナスぽーとの駐車場まで戻って来ていた。

 SeIReから支給された黒のセダンにはすでによりかかるようにして、何やらノートパソコンの画面を見つめる華奢な少女がいる。

 それは知らない間にレンカの傍から姿を消していた教育中の新人——M.Y.4だった。


「驚きました。まさかR.M.1さんから逃げ切るとは思いませんでした。さすが十八年間、女性を避け続けてきただけありますね」


「私も驚きよ。ちょっと本気で捕まえたくなってきたわ」


 ピピッ、とロックを解除すると、レンカは運転席に、M.Y.4は助手席へと乗り込む。

 あと一歩のところで挿入嫌いのM.Y.4が唯一貞操を欲しがる相手を逃したというのに、当の本人は思案気に桜色の唇に指を当てるだけで、いたって涼しい表情をしていてレンカは若干意外に思う。


「はい、お土産のお饅頭。これで怒ってるだろうあなたの機嫌をとろうと思ったんだけれど、案外平気そうね」


「そんなことで機嫌を悪くなんてしませんよ。それに元々、R.M.1さんにはむりを言って、力づくで屈服させてハァハァ言わせて、ここまで連れてきて貰ってるわけですし」


「そう言われてみれば、それもそうね。もちろん屈服してないしハァハァも言ってないけど」


 ナスぽーとに大塚セイジがいることを予想し、見事的中させたのはM.Y.4の手柄だった。

 彼女はまずセイジの交友関係を徹底的に調べ上げ、彼に協力をしそうな人物を何人かリストアップした。

 そしてその中から運転免許証を持っている可能性がある者に注目し、レンカ経由でSeIReの上層部に頼み位置情報を把握した。

 その位置情報を把握している者たちを寝ずに監視し、明らかに普段と異なる行動を取った人物の後を追い、それがセイジのバイト先同僚滝マモルだったのだ。

 だが本来はそのマモルが不審な動きを見せた時点で上層部に報告し、いまだトウキョウシティでセイジの捜索を続ける他の貞操管理者たちに情報を伝えなくてはならない。

 それにも関わらず、M.Y.4はレンカに頼み込みその報告を怠り、単独でセイジを追いかけることを願ったのだ。


「それで、これからどうするつもり? 大塚セイジは今度はどこに逃げているのかしら?」


「滝マモルは携帯の通信を切ったみたいですね。現在地は不明です」


「あら、それは困ったわね。申し訳ないけれど、ナスぽーとで大塚セイジを目撃したことは上に報告させてもらうわよ。これ以上の単独行動は私のキャリアに響くから」


「はい。構いません。ありがとうございます」


 タブレット端末を取り出すと短いメッセージを作成し、すぐに送信する。

 これで日本中の、特にカントウ圏内、トウホク周辺の高速道路には張り込みが行われることになるだろう。

 しかしあれほど大塚セイジを自分たちで捕まえることにこだわっていたM.Y.4は平静そのままで、いまだにじっとノートパソコンの画面を見つめていた。


「それ、さっきから何を見ているの? そういえば、あなた途中でいなくなって、先にこっちへ戻って来てたわよね?」


「ちょっと気になることがあって、大塚セイジのパーソナルデータを見返してみたくなったんです」


「気になること?」


「はい。まず最初の目撃情報です。通勤電車内で目撃。トウキョウ駅で降車。その後行方不明となっています」


「それがどうしたの?」


「……さっき大塚セイジが電車で目撃した辺りの駅構内の監視カメラ映像をチェックしてみましたが、電車に乗ったのはアキハバラでした。しかしそこで新幹線の切符を購入し、使用したような形跡は見られませんでした」


「駅構内の監視カメラ映像をチェックって……よくやるわね」


 レンカはM.Y.4のあまりの執着心に苦笑いを漏らす。

 トウキョウ駅でセイジに貞操管理者の同僚が一度接触しているのは周知の事実ではあったが、彼がどこの駅から電車に乗ったのかはまだ特定されていないはずだった。


「新幹線を使うためにトウキョウ駅で降りたのではないとしたら、どうして彼はそこで降りたのでしょう」


「色々な可能性が考えられるけれど、やはり元々はトウキョウ駅で降りる予定じゃなかったのだと思うわ。貞操管理機構に見つかったから、慌てて降りたのだと私は思う」


「同感です。私もそう思います。では、本来彼はどこの駅で降りるつもりだったんでしょう?」


「それはさすがにわからないわね」


「私はトウキョウ駅から快速で次の駅、ハママツチョウ駅で降りるつもりだったのではないかと思っています」


 言い回しは仮定のような形を取っているが、確信を持った声色でM.Y.4は自らの推察を述べる。


「トウキョウ駅周辺の監視カメラもチェックしましたが、大塚セイジが駅の近くから姿を消す前に紙切れのようなものをゴミ箱に捨てる様子も確認しました。私の予想では彼が捨てたのは飛行機のチケットではないかと。童貞はかたくなに捨てないくせに、普通の学生にとっては高額だと思われる飛行機のチケットは簡単に捨てたということです」


「なるほどね。だからハママツチョウ、なのね」


 ハママツチョウといえば、そこでモノレールに乗り返ることでニッポン有数の空港であるハネダへと行くことができることでも名が知られている。

 セイジが当初は飛行機を使ってトウキョウシティの外に出ようとしていたことはそこから想像がついた。


「そして今回、彼は滝マモルの協力を仰ぎ、カントウを北上してナスぽーとに辿り着きました。おそらくナスぽーと自体は目的地ではなく、休憩場所に選んだだけでしょう。本来の目的地はおそらくもっと北にあるはずです。あえてサービスエリアではなく、トチギで高速道路から降りて休憩をしたのかと考えると、休んでいる間に貞操管理機構の者に見つかることを怖れたのでしょう。事実、私たちに見つかってなお逃げ切ることができたのは、通常のサービスエリアでは不可能に近いことだったはずです」


 位置情報から途中まで高速道路を利用していたことはすでにレンカも知っている。

 しかしトチギで一般道に戻ったことから、この付近に目的地があるのかと彼女は考えていたが、どうやらそれはM.Y.4の見立てからすると間違っているらしい。


「当初は飛行機を使う予定で、最低でもトチギより北の目的地となると、大塚セイジが目指している場所にだいたい予想はつきます」


「もしかしてあの、“北の大地”を大塚セイジは目指している? でもだとすると、捕まるのも時間の問題かもしれないわね。車であそこに行くためには、海通トンネルを使う必要があるわ。あそこは政府の監視下にある」


「わざわざ携帯電話の通信を切ったくらいです。それくらいは理解しているでしょう。おそらく海通トンネルは使わないはずです」


 レンカにもすでにM.Y.4が想定しているセイジの目的地がどこなのかは察していたが、それでも次に彼がどのような動きをするのかはわかっていない。

 しかしM.Y.4はその執念ともいえるべき情報収集能力と抜群の論理的思考能力から、いまだ大逃走劇を続ける童貞の行動が読めているようだ。


「これから大塚セイジが向かうであろう場所に先回りして頂きたいのですが……お願いできますでしょうか?」


「ふぅ、まったく。そのお願いっていうのは、また“私たちだけ”で先回りできるかどうかという意味のお願いよね?」


「とんでもないわがままを言っているのは重々承知です」


「本当にとんでもなくわがままな子よ。挿入は嫌だと言ったり、童貞を独占しようとしたり。……あと一回だけよ。今回は私の不手際で彼を逃したということもあるから」


「ありがとうございます。この恩は忘れません。乳首くらいなら舐めます」


「私の乳首を舐めたら、それはむしろ恩が増えてると思うわ。安く見ないで」


「たしかにそうですね、すいません。では私のを舐めてください」


「いやだからといって貴女の乳首を舐めても借りはちゃらにならないわよ」


 二度目の単独行動。

 今回のナスぽーとでの報告に関しては情報の真偽が不確かだったとか何とか言って誤魔化せるだろうが、二回目となるとそれも苦しくなる。

 M.Y.4の問題を解決するためにもなるべく彼女の要望を尊重はしたいが、それにも限界があった。

 ゆえにレンカは黒のセダンのエンジンをかけると、首を二回ずつ左右にポキポキと鳴らす。

 それは彼女が本気で仕事をする時に決まって行う癖だった。


「それで? 問題児ちゃん? あなたの予想では大塚セイジは次にどこに向かうのかしら?」


「センダイへ向かってください。空路と陸路を塞がれたらもう海路しかありません。必ずそこに大塚セイジは現れます。……あとその問題児ちゃんっていうのはなんでしょうか? できるなら止めて頂きたいのですが?」


「センダイね。了解。行くわよ問題児ちゃん。シートベルトを締めなさい」


「……わかりました。よろしくお願いします」


 セイジ達からずいぶんと遅れて、レンカはナスぽーとを離れ、車を快走させる。

 まずは高速道路に乗り、一気にM.Y.4の口にする目的地へ向かう。

 隣りではM.Y.4が少しだけ拗ねたような態度でかりんとう饅頭をかじるのだった。




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