ジモト
七月二十二日の朝。
スカイブルーに塗装されたミニバンの助手席に座り、セイジは窓の外から覗く高速道路の景色を眺めていた。
まだ時間帯は昼過ぎ前で、ホッカイドウを目指すカートラベルが始まってからまだそこまで時間は経っていないが、そろそろトウキョウシティを抜け出す頃だった。
「こっからサイタマだな。とりあえずトウキョウは無事抜けたぞ」
「……おお! 本当にありがとうございます! マモルさん!」
「それとあんま窓の外見るなよ。お前は一応指名手配犯なんだから。どこにSeIReの奴らがいるかわかんねぇぞ」
十八歳の誕生日から丸一日経ってしまったが、ついにトウキョウの街から出ることにセイジは成功する。
まさかホッカイドウを目指しているとはSeIReも思うまい。
セイジはこのまま順調にいけば、本当に約束の少女である富岡ミユリと再会できるかもしれないと胸が躍った。
「それにしてもマモルさんって、顔は結構整ってるし、背も百七十は超えてるし、十八を超えた童貞のことも助けてくれるくらい人格者で、なんか非の打ち所がないですよね」
「なんだよいきなり。それに十八超えた童貞を助けるのところはむしろ特大の非の打ち所だろ」
マモルがハンドル横のスマホスタンドを操作し、近距離無線通信“Blueteeth”を起動させる。
すると車内に彼のフェイバリットバンドである“ぬるり”のベストアルバムがランダム再生され始めた。
「不思議です。どうしてマモルさんは彼女をつくらないんですか? 絶対つくろうと思えばつくれますよね? ホモなんですか? いや、ホモだとしてもマモルさんなら相手つくれる気がします。実際僕、約束の子の次に好きなのたぶんマモルさんですよ」
「ホモじゃねぇし、お前の好意も全くいらん。それ以上ふざけたこと言うとここでおろすぞ」
「すいません。でもマモルさんモテそうなのに、あまりに女っ気がないのが不思議だなと思って」
本人がどこまで気づいているのかは定かではないが、バイト先の女性陣の間でもマモルは密かに人気を博している。
キャー! カッコイイ! みたいなアイドル的人気ではなく、滝くんっていいパパになりそうだよねー、わかるー彼女さんとかいるのかなー、みたいなガチ寄りの好感度の高さだ。
比較的マモルと仲の良いセイジもバイト先の女性陣から時々付き合っている相手がいるのかどうかや、狙っている子や気になっている子がいるのか(特にバイト仲間の中で)など訊かれることが多かった。
ちなみにセイジ自身の交際相手有無が尋ねられたことは一度もない。
バイト先ですらそのような状態にも関わらず、華の大学生滝マモルはどうしてか彼女をつくる気配を見せなかった。
セイジの知る範囲でも、女子大生のバイト仲間に飲み会に誘われたり、女子高校生のバイト仲間に勉強を教えてくださいと頼まれている様子を見たことがある。
それでもマモルはお酒苦手なんで、と自宅にはお酒をよく置いてあるくせに言ったり、勉強苦手なんで、と都内でも一、二を争うトップ私立大学に通っているくせに言ったりして、あからさまに異性から距離を置いていた。
「もしかしてですけど、僕みたいに、心に決めた相手がいるんですか?」
「まさか。お前みたいな童貞と一緒にするな。俺はそこまで夢みてねぇよ」
実は自分と同じ様に運命的な片想いを胸に秘めているのではないかとセイジは思ったのだが、そっけなく否定するマモル横顔はどこまでも醒め切っていた。
「俺はお前と違って、たった一人の女をそこまで信じ切ることができないんだ」
女性不審。
薄々感じてはいたが、ついにそれをはっきりとマモルが口にする。
ぬるりの七枚目のシングルとして世に送り出された往年の名曲、“まらの花”が車内に響く。
セイジはこの曲を聞くたびにジンジャーエールの味が思い出せなくなった。
「理由訊いても、いいんですか?」
「そうだな。お前の目が覚めたら、話してやるよ」
「目が覚めたら、ですか?」
「とりあえず今は寝とけ。お前、昨日はほとんど寝てないだろ」
「気づいてたんですか?」
「朝起きたら顔面蒼白のお前が、玄関前で正座してりゃ誰でも気づくわ」
もしもSeIReの人間に居場所がばれたら、その瞬間マモルとは無関係を装うために全力で逃げ出そうと考えていたため、セイジは一晩中眠ることなく外の様子を窺っていたのだ。
そのせいで正直にいえば瞼はもう普段の倍以上の重力の影響を受けていて、少しでも油断すれば真っ暗な宇宙の彼方に意識が飛んで行ってしまいそうだった。
「じゃあお言葉に甘えて、少し寝かせて貰います」
「おう、寝とけ寝とけ」
哀愁漂うギターとシンセサイザー。
鼓膜をつたって頭の中にするりと入り込んでくるミュージックは、いとも簡単にセイジの緊張を緩和させてしまう。
「……それに今は俺自身も“問題”を抱えてて、誰か女性と付き合うには相応しくないからな」
囁くような呟きにセイジは何か言葉を返そうとしたがそれは叶わず、あっけなくそこで意識を手放したのだった。
暖かな日差しが顔にかかる。
知らない間に、空間を満たしていたミュージックが鳴り止んでいたことに気づいた大塚セイジは、目元に溜まった目糞を手で擦り落とした。
隣りの席ではバイト先の先輩であり、今や人生最大の恩人になりつつある滝マモルが変わらずに運転を続けていた。
「お目覚めか? ちょうどいいタイミングだな」
「ふわぁ、よく寝た。あ、すいません熟睡してしまって。何か問題はありましたか?」
「今のところ特に問題はないな。拍子抜けするくらい順調だ」
これまで何度も一人でホッカイドウには行ったことがあるので旅慣れ自体はしているのだが、政府に指名手配されながらの旅は初体験だ。
気づかぬうちに疲労が蓄積していたのであろう。
腕時計を確認してみると、どうやら二時間近く寝てしまっていたようだった。
「今からちょうど休憩するつもりだ。よく寝た後に身体を伸ばすにはうってつけだろ」
「あ、ありがとうございます。……でも僕も外に出て大丈夫ですかね? 高速のサービスエリアって、結構監視がきついというか、目立ちやすい気がするんですけど」
「へへっ、現役大学生様を舐めるなよ? それくらい考慮済みだ」
「え?」
「外見てみろよ。たぶん今は見つかる心配もない」
マモルに言われるがまま、若干遠慮がちに窓を覗き込んでみる。
するとそこに見えたのは想像していた高速道路の変わり映えしない景色ではなく、トウキョウシティに比べると少しだけ道幅が広く感じる普通の街並み。
やがて視界に入ってくるショッピングモールは全容がわからないほどに大きかった。
「あれは最近できた“ナスぽーと”だ。あそこなら平日でもまだ人が沢山いるはずだし、よっぽどのことがなければSeIReにも見つからないだろう」
ナスぽーと。
それはトチギプリファクチアナス市に、ほんの数か月前オープンした大型複合商業施設である。
アウトレットから映画館まで、ありとあらゆるショッピングに関わるものが一つの敷地内で楽しむことができる。
「わざわざ休憩のために下道まで降りてきてくれたんですか? ありがとうございます」
「べつにお前のためじゃない。俺もまだナスぽーとには来たことなかったからな。ついで寄っていこうと思ったんだよ」
「あははっ、もしかしてそれ照れ隠しですか?」
「お前ってちょいちょいムカつくよな? たまにナスの高原に埋めたくなる」
鬱陶しそうにマモルは舌打ちをするが、彼が怒っているわけではないとセイジにはわかっていた。
真っ直ぐと車はナスぽーとの駐車場に入っていく。
マモルの言っていた通り、平日にも関わらず繁盛しているようで、駐車場の三階まで上がってやっと車をとめるスペースを見つけることができた。
つば付きのキャップを深く被ると、セイジは車の外に出る。
蒸し暑い空気が肌に纏わりつき、ウィーンウィーンとバイブみたいに鳴く蝉の声もかすかに聞こえてきた。
「とりえあずメシにするか。お前なに食べたい?」
「揚げ物以外ならなんでもいいです」
「同感だな。せっかくトチギ来たし、餃子でも食うか?」
「いいですね。でもナスぽーとに餃子屋さんあるんですか?」
「わからんがたぶんあるだろ。だってここもトチギだろ?」
トチギなら餃子があって当たり前のような物言いに対してセイジは苦笑いする。
思い返せば、たしかマモルはトチギ出身だった。
地元ということでトチギ事情には詳しいのだろう。
「マモルさんはトチギの人なんですよね。ここら辺ですか?」
「俺はウツノミヤ生まれウツノミヤ育ち嫌いなものはだいたいハママツ。ここら辺にはそこまで馴染みないな。ナスの牧場で乳絞りは小学校だか中学校だかでやらされた気がするけど」
なぜウツノミヤで生まれるとハママツ市のことが嫌いになるのか少し気になったセイジが尋ねてみると、ちょっとだけ嬉しそうな顔をしてマモルはつらつらと語り出した。
どうやらウツノミヤ市民はニッポン一の餃子消費量を誇っているらしいが、毎年シズオカのハママツとトップ争いをしているとのこと。
実際にニッポン一の餃子消費量も年によってはハママツが一位を取るという。
そのせいでウツノミヤ市で生まれ育った人はみな、奇妙なライバル意識をハママツ市に持つらしかった。
「ハママツ餃子なんて馬鹿の食いもんだよ。なんで餃子にモヤシをトッピングするんだ? まったく意味がわからん。メインの餃子に自信がないから、そういう突飛なことをして目立とうとするんだ」
セイジからすればウツノミヤ餃子とハママツ餃子の違いはおろか、普通の餃子との違いさえわからない。
判別できるのはギリギリで焼き餃子と水餃子くらいだ。
それゆえに熱を帯びるマモルの餃子愛に対して、愛想笑いと苦笑いの中間をとった曖昧な表情で適当に流すことにしたのだった。
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