シンユウ

 


 七月二十日。

 大塚セイジが十七歳になってから三百六十四日が過ぎたこの日、彼は教室の片隅でエビフライ弁当を箸でつついていた。

 バイト先の廃棄処分の物を貰ってきたので賞味期限は切れていて、エビフライの衣は湿っていて歯に纏わりつくがそれを彼は気にも留めない。


「おいセイジ。また揚げ物か? そんな油っこいもんばっか食べて、絶対お前将来早死にするぞ?」


 そんなセイジの隣りの席へヒレカツにしたらさぞかし美味になりそうなほどたっぷりと腹に脂肪をまとわりつかせた少年が座る。

 手には紙パックのベジタブルジュースと大豆でできたバランス栄養食が握られていて、どことなく滑稽だった。


「仕方ないだろ。金欠なんだから。それに今のニッポンの平均寿命は九十後半だし、早死にするとしても十分シワシワになれるよ」


「金欠ってお前。週五でバイトしてるのに、なんでそんな金ねぇんだよ」


「今月はそうだな。ホッカイドウとオキナワに土日を使って行ってきたのが結構効いてるかも」


「ホッカイドウはわかるけど、なんでオキナワ?」


「いや逆にオキナワにいるかなって」


「なんの逆だよ」


 セイジの相変わらない様子にブタのようにでっぷりと太った少年——三田ナオトは辟易する。

 ナオトの把握しているだけでも、セイジがホッカイドウに一人で旅行(本人は捜索と称するが)に向かう回数は十を超えている。

 部活にも所属せず、学業も余裕でおろそかにしながらバイトをしてお金を溜めては、ホッカイドウへ行くセイジの事がまるで理解できなかった。

 それはセイジがホッカイドウに何度も向かう理由を知っていたのでなおさらに。


「あと今月は探偵事務所に十万くらい払ったから、本当に生活にお金をかけられないんだよ」


「探偵事務所に十万? はぁ、セイジ。お前って奴は本当に底抜けのアホだなぁ」


「僕はアホじゃないよ。探偵事務所に十万払ったのはたしかだけど、一社じゃないし。一応二社合計で十万ってだけだから」


「いやそういう問題じゃないから」


 セイジのまるで言い訳になっていない言い訳を聞いて、ナオトは頭を抱える。

 そして親友がエビフライを一匹食べ終える前に、ナオトはベジタブルジュースの紙パックを空にして、当たり前のように大豆バーの二本目を開け始めた。


「それで、結局なんか手掛かりは掴めたのか?」


「……いや、ダメだった。ホッカイドウはやっぱり広すぎるね。あと今思い出したけど、これ、オキナワ土産のちんぽこすこう。試食食べたけど美味しかったよ」


「お、さんきゅ。俺、ちんぽこすこう好きなんだよな」


 ダイエット中にも関わらず、セイジからのカロリーが高そうな土産をひょいと口に運ぶ。

 クッキーの風味が口一杯に広がり、水分が欲しくなったので今度は紙パックのオレンジジュースを開封し一気に喉に流し込んだ。

 このオレンジジュースがどこから出てきたのかは誰にもわからない。


「でも悪いな。金欠なのにお土産なんて貰っちゃって」


「いいよ。ナオトにはいつも手伝って貰ってるし」


 むしろありがとうを言うのはこっちだよ、とセイジに真面目な顔で言われるとナオトは若干気まずい気持ちになった。

 セイジが何度もホッカイドウに赴き、探偵事務所に学生としては不相応な大金を支払っている理由はたった一つだ。

 富岡ミユリ。

 今から十年以上も前の知り合いの女の子を探すためだった。


「……まだ、諦めねぇの?」


「もちろん。ミユリちゃんはどこかで今も僕のことを待ってるかもしれないから」


 ナオトはセイジのそのどこまでも真っ直ぐな瞳を見ると、それ以上は何も言えなくなってしまう。

 コイビトになる。

 そんな甘酸っぱい約束をした女の子がいるという話はセイジから何度か聞いている。

 ホッカイドウに引っ越す。

 そうその少女がセイジに告げてから、彼はもうずっと彼女の事を探し続けているのだ。

 だがいくら幼少期に仲が良かったとはいえ、それはもう普通の人なら記憶が曖昧になってしまうほど昔のことだ。

 常識的に考えて、相手の少女がセイジとの約束をいまだに覚えているとは思えない。

 だから前に一度、ナオトはセイジに尋ねたことがある。

 もし、仮にその少女と再会できたとして、その時向こうが約束を忘れていたらどうするのかと。

 するとセイジはいつものように爽やかな笑顔でこう言い切ったのだった。

 思い出してくれるまで待つよ。もし思い出さないまま彼女の人生が終わってしまったとしたら、それはきっととても幸せな人生だったんだと思うから、それはそれで素敵なことなんだと。

 それから時々ナオトも富岡ミユリ探しを、得意のネットストーカー能力を発揮して手伝ってはいるが、成果はいまだ出ていなかった。


「そっか。まあそれはとりあえずいいとして、“アッチ”の方はどうすんだよ?」


「アッチ?」


「お前、明日誕生日だろ? ……SeIReのとこ、行くのか?」


「ああ、ソッチの話か」


 ナオトが確認するように訊けば、セイジは少し沈んだ表情をみせる。

 それはこの国では逃れられない運命さだめ

 純粋であることが許される時間はもうすでに風前の灯火となっていたのだ。


「いや、行かないよ。僕はコイビト以外とはエッチしないって決めてるんだ」


「決めてるんだっていっても、法律違反だぞ? このままだとお前、犯罪者になるんだぞ? わかってんのか?」


「わかってるよ。でも僕、約束したから」


「お前……」


 正気ではない。

 率直に言ってナオトは彼の親友が何を考えているのかさっぱりわからなかった。

 男性貞操維持禁止法。

 それはれっきとした法律だ。

 世界でも有数の法治国家であるニッポンにおいてルールは絶対のもので、反した者には容赦なく社会的制裁が下されることになる。

 ナオトもれっきとした童貞ではあるが、早生まれなのでまだ十八になるまで余裕がある。

 それにいまだにSeIReの下へ行き初心からの卒業を果たしていないのも、できる限り身体を鍛えて、自分の相手をする貞操管理者に対して恥ずかしい思いをしないようにするためという自意識過剰な理由だった。

 本人は至って普通に夏休みの辺りで“調教育ティーチング”と呼ばれる貞操管理者による政府公認の脱童貞プログラムを受けるつもりだ。


「……わかったよ、セイジ。お前の覚悟は伝わった。正直言って、そんな昔のガキの頃の約束に拘る意味も、コイビト以外とはエッチしないとかいう謎の縛りプレイも、俺には一ミリも理解できないけど、とにかくお前の覚悟は伝わったぞ」


「え、えーと、ありがとう?」


 セイジ本人がどこまで今が切羽詰まっている状況なのか分かっているのかは不明だったが、ナオトはその親友の覚悟を受けて本気を出すことにした。

 性欲は人並み以上にあり、セイジのように性癖とさえ呼べるレベルの一途な想い人がいるわけでもないのにナオトがこれまで童貞だったのには当然理由がある。

 それはシンプルに気持ち悪いアプローチの仕方でしか、意中の女性に迫れないというものだった。

 まずナオトが好みの女の子、ここでは便宜上ターゲットと呼ぶ、を見つけた時に行うのはSNS(ソーシャルネットワークサービス)のアカウントを特定することだ。

 特定に成功した後は、わざわざ新しく自分のアカウントを一つ作り、フォローはせずに監視する。もしターゲットのアカウントが友人、知人にしか見せないように設定されていた場合は、時間をかけて、ターゲットのフォローしている相手の中から自由にフォローできて、フォローバックを比較的簡単に行ってくれる相手を片っ端から捕まえて、あたかもターゲットの知り合いの誰かしらであるようなアカウントに見せかけ、フォロー申請が通るであろう状態にするという徹底ぶりだった。

 そしてSNSを監視できる状態にした後は、データ解析ソフトすら導入しつつ、ターゲットの生活パターンを頭に叩き込む。

 ちなみにこの辺りでナオトの頭の中では、かなりターゲットと親密になっていることになっている。

 ターゲットの生活様式を脳みその皺に刻み込んだ後は、特に何の躊躇もなく尾行を始める。

 赤外線カメラや、録音機能付き万年筆を駆使して、ありとあらゆるリアルな情報をかき集め、募る想いを高めていくのだ。

 やがてターゲットへの愛情が収まり切らないところまで行くと、ナオトは最後の行動にでる。

 それは告白だ。

 念には念を入れて、SNSでのDM(ダイレクトメッセージ)、直筆の手紙を自宅ポストに投函、スマートフォンにダウンロードしてある違法同期アプリによって手に入れた電話番号を使っての電信、という三つのパターンで基本的にはナオトは告白を行う。

 結果はもちろん、いつも失敗に終わる。

 なぜなら非常に気持ち悪いし、かなり怖いからだ。

 冷静に考えれば、セイジ以上に法に触れているように思えるが、不思議とナオトはその事に気づいていない。

 頭が良いのか悪いのか、ナオトが犯罪的な想いを伝える際は、いつも自分の本名を伝えないので今のところ前科はついていなかった。


「セイジ、富岡ミユリって子のこと、改めて教えてくれよ」


 ナオトがセイジの想い人に関して知っている事といえば、富岡ミユリという名前とホッカイドウに引っ越したということだけだ。

 過去にはセイジの助けになればと思って、SNSのアカウントを検索したことはあったが、富岡ミユリらしきものは見つけられなかった。


「改めてって言われてもなぁ。なんかこう小動物系の顔でさ、凄い可愛いんだ。笑窪がキュートで、僕はミユリちゃんを笑わせたくて変なことばっかり言ってた気がする」


「いやいや、ミユリちゃんの可愛らしさについてはどうでもいいから。もっとなんか具体的な情報をくれ。そうだな。二人でよく遊んでたんだろ? どんな遊びをした?」


「どんな遊び……基本的には二人で一緒にいて、ただお喋りしてただけかなぁ。どっかに二人で遊びに行ったこともないし」


「その子の家には行ったことあるだろ? なんか覚えていることないのか?」


「いや、ミユリちゃんの家には行ったことないし、向こうも僕の家に来たことはないよ。二人で会うのはいつも公園だった」


「まじかよ。お前ら本当に仲良かったのか?」


「もちろんさ。僕たちは好き合ってはずだよ。少なくともあの頃は」


 なんて使えないんだ、と思わずナオトは頭痛を覚える。

 むしろただ公園で一緒に遊ぶだけの間柄でよくコイビトになるなんて約束をしたものだと感心すらした。

 それかもしかするとセイジはからかわれていただけで、向こうからすれば全く仲が良いと思われておらず、その約束とやらも冗談で適当に言っただけだったのではないか。

 下手をすれば、とんでもないストーカー野郎を友人に持ってしまったのかもしれない。

 ナオトは自分のことは棚に上げてセイジを狂信的勘違いストーキング人間扱いしていた。


「じゃあ、どんなことを喋ったんだよ」


「どんなことって大したことじゃないよ。セアカゴケグモの話とかかな」


「セアカホウケイホモ?」


「ち、違うよ! セアカゴケグモ。スパイダーだよスパイダー。このクモのオスは交尾をした後、自分のチンポコをメスの生殖器の中に置いてくっていう特性があるんだ。その理由までは知らないけれど、このクモのオスの90パーセントはメスに出会えずに死ぬらしいから、もしかしたら運命の出逢いを果たした証明にしてるのかもね。ロマンチックだよ」


「……その話をして、ミユリちゃんは何て言ってたんだ?」


「ヒメグモっていうクモがいて、そのクモはメスを捕まえるために二本あるチンポコのうち一本を切り捨てるっていう話をしてくれたよ。身体が軽くなって早くは走れるようになるらしい。まさに漢気だよね」


 完全にイカレている。

 小学生にも満たない児童同士の会話とは思えない内容にナオトは唖然としてしまう。

 法を破ってまでも童貞を守るくらいなので変人ではあると思っていたが、予想以上のイカレちんぽこだった。


「なぁ、なんか他にまとも話はしてないのか? テレビの話とか、将来の夢の話とか、もっとこう、ほんわかした話ないのかよ? 股間をちょん切る話ばっかじゃねぇかよ。そういう性癖?」


「失礼な。僕にだって自分の股間を着脱式にする趣味はないよ。まあもし、それでミユリちゃんにもう一度会えるなら、半分くらいは切ってもいいかもしれないけど」


 半分切るってなんだろう。

 ナオトは深く考えるのはやめておくことにする。


「まあでも、他の話もふつうにしたよ。将来の夢は可愛いお嫁さんって言ってたかな。あ、あとゲームも趣味だって言ってた。家族と一緒によくゲームするらしい。それと手先が器用でさ、編み物なんかもよくするって言ってた気がする」


「ほう?」


 しかしそこまで聞いて、少しナオトの中にも閃くものがあった。

 もしかすると、もしかするかもしれない。

 ナオトの頭の中でプロストーカー的思考プログラムが高速展開されていく。

 手持ちのスマートフォンでは難しいが、自宅にあるデスクトップパソコンを駆使すれば間に合う可能性が残されている。


「セイジ、結局お前、明日どうするつもりなんだ?」


「うん、放課後に言おうと思ってたんだけど、僕は明日、またホッカイドウに行こうと思ってる。たぶん普通の一般市民として君に会えるのは、今日が最後だ」


「……そっか。なら今訊いておいてよかったぜ。俺は今から早退するからな」


 今夜の零時を回れば、おそらくその瞬間からセイジは非公開ではあるが、指名手配犯となってしまうことだろう。

 名残惜しさから後回しにしていた別れの言葉を、まさかここで伝えなくてはいけないとはセイジも思っていなかった。


「早退? お腹痛いの? 食べなさすぎた?」


「やることができたのさ。少しだけ待ってろ我が親友よ。お前の旅立ちまでには間に合わせてやる」


「どういうこと?」


「じゃあ、俺は急ぐからこれで」


「あ」


 しかし感動的な別れの場面とは程遠い雑な挨拶を最後に、ナオトは足早に教室を去って行く。

 昼休憩の後の授業はどうやら受けるつもりはないらしく、教科書や鞄も机に置きっぱなしだった。

 もっとも教科書や鞄が置きっぱなしなのはいつも通りの光景ではあったのだが。




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