童貞絶滅

谷川人鳥

プロローグ


 十七歳の誕生日、トウキョウシティタイトウ区に住む極平凡な男子高校生である大塚セイジの下に、繁殖省所管の特定独立行政法人である貞操管理機構(section of in order reproduction)、通称“SeIRe”から童貞卒業の催促状が届いた。


 極東のガラパゴス国家ニッポンでは加速度的に進んでいく少子高齢化に歯止めをかけるべく、今から数年前に“男性貞操維持禁止法”という法律が採決された。この法に乗っ取り、ニッポンの男性は十八の誕生日を迎える前に必ず童貞を捨てなければならない。


 もし童貞のまま十七になると、その時点で政府から童貞卒業の催促状が届き、SeIReに所属する貞操管理者によって童貞を卒業する権利を得る。

 しかし十八の誕生日を過ぎても童貞のままの場合、SeIReから貞操管理者が送り込まれ強制的に童貞を奪われることになってしまう。

 貞操維持禁止法が男性にのみ適応されているのが現状ではあるが、男女差別的に関わる観点から将来的には女性にも適応範囲を広げるべきだという意見も出ている。

 試験的な意味合いも持ち合わせつつ、最初に貞操維持禁止法が男性に適応された理由としては大きく二つあった。


 まず一つ目の理由としては、貞操維持禁止法採決当時のニッポンで若年層から中年層にかけての男性の間で本物の女性の身体でイケないという射精障害が社会現象となっていたというものがある。

 現実より現実的とまで評されるようになったVR技術や人工皮膚を使用した愛玩人形ラブドール等、男性の夜の(人によっては朝や昼の場合もある)自家発電事業用サポートアイテムが科学的発展を遂げたことが原因とされていた。


 二つ目の理由としては、人件費のコスト削減である。

 将来的に女性へも貞操維持禁止法の適用することを見据えた場合、貞操管理者の教育は男性ではなく女性に対して積極的に行うべきだとされた。

 それは男性の貞操管理者であれば、女性に対してのみ基本的に法に乗っ取った性行為を施行できるが、女性の貞操管理者であれば男性に対してはもちろん、同性である女性に対しても性行為が施行することができると考えられたからだ。

 なぜならば現代のニッポンでは着脱式男性器、俗にいう“ペニバン”が広く普及されており、女性が男性役を担うことは男性が女性役を担うことに比べ相対的に容易であるとされていた。

 また性病の感染、拡大を防ぐためにも、取り外しの困難な男性貞操管理者のチンポコを使用するよりは、着脱式で比較的清潔に保つことが可能なペニバンを女性貞操管理者が使用する方が望ましいというのが政府の考えであった。


 そして男性貞操維持禁止法の採決から数年が経った今、新法律施行当時にあった童貞の貞操維持禁止違反による逃走事件もほとんど起こらなくなり、ほぼ100パーセントの男性が十八の誕生日までに童貞を捨てるようになった。

 マスメディアによって草食化男子などと批評されていたニッポン男児の意識は青少年期の性体験によって劇的に変化し、初体験の年齢は年々低下の傾向を示し、長らくニッポン政府を悩ませていた少子高齢化にも見事に改善の兆候が見えるようになった。

 それゆえに、現代のニッポンでSeIReから童貞卒業の催促状が届くセイジはどちらかといえば同年代からすれば少数派だ。

 社会全体で性に開放的な気風となったニッポンで十七まで童貞を捨てない男性は約30パーセントほどと言われ、十八という法に触れる年齢に達せば数字上は100パーセントを記録する。


 一度大きく深呼吸すると、セイジはSeIReから届いた童貞卒業の催促状を迷わずウエノオンシ公園のゴミ箱に丸めて捨ててしまう。

 それは確固たる決意の表れ。

 彼の心の中にいまだに花開いているのは、十年以上も前に交わしたたった一つの約束。


『わたしのコイビトになってくれる?』


 枝毛の一つもない艶やかな長髪には、淡い桜の髪飾り。

 くっきりとした二重瞼からはライトブラウンの瞳が覗き、可憐なはにかみにはいつも笑窪が見えた。


『もちろんだよ。ぼく、きみのコイビトになる。約束だ』


『うん、約束』


 追憶は今も色褪せず、まるで昨日のことかのように鮮明に思い出せる。

 大塚セイジは、いまだに恋をしていた。

 目を閉じれば、仲睦まじく手を繋いで桜の花びら舞い散る公園を走り回る自分と一人の少女の姿が彼には視える。


「そうさ、約束したんだ」


 富岡ミユリ。

 セイジが想い続けるその少女が今どこにいて、何をしているのか、彼は知らない。

 それでも彼は信じていた。

 どこかで彼女がいまだに自分のことを待っていると。

 コイビト以外とはエッチをしないという勝手に一人で立てた誓いを胸に、今日も彼は貞操を守り抜いた成人男性のいない街の空を見仰ぐのだった。





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