第三話 右京美夜という人
騒ぎの中心から逃走して15分くらいが経過した。適当な宿に逃げるようにして入り込み、二人で凌ぐには十分なくらいの部屋をとり入室する。
ようやく一息入れられる。本来ならば遊女と客が営むための部屋があるのだが、人目振り切ることに全力を注いだ結果、部屋が用意された建物とは逆方向に逃げざるおえなかった。
戻ってもまだ人目があるだろうと渋々宿をとったのだ。
軽く息を切らしながら壁に寄りかかっていると、視線を感じる。
向けられた視線を辿るとそこには、どこかの学校の年季を感じる夏服を着崩した、だらしない感じの雰囲気を漂わせる男があぐらをかき、頬杖をつきながらこちらをじっとぜぇぜぇ言いながら睨んでいる姿が見える。
先程すれ違いざまに爆弾発言を繰り出し、私に脊髄反射的にぶん殴られた張本人であった。
騒ぎの中、私によって半ば強引に引っ張ってこられたため、私と同様に彼も息を切らしている。
「ハァ、...ハァ...っう...、ハァ...お前さぁ...ハァ...人のことぶん殴っといて...ハァ...こんなににゃるまで走らせるなんて...そりゃぁねーんじゃねぇのぉ...ハァ、ハァ」
疲れすぎて言いたいことを言いきれないだけではなく呂律が回っていない。
「はぁ...軟弱な男ね。このぐらいの運動量で息も根もあげるなんて。もういっそ死んだ方がいいじゃないの?なんじゃったら私が息の根を止めてやってもいいわよ?」
「なっ...がらく、前線からは...ハァ...っ退いてるっ...からな...。てかっ...なんか、すげーっ...あたり、強くない?ハァ...ハァ、お前」
当然だ。ぶん殴った私の方が悪いにせよそうなる原因はこの男にある。ぶん殴った私の方が悪いにせよ、腸は煮えくり返っているのだ。
「当然じゃ。貴様、さっき私に言ったこと忘れたとは言わせないわよ。」
「貴様って...。時代錯誤も甚だしいな...。っていうかお前さっきの騒ぎの時から思ってたんだけどしゃべり方統一しろよな。遊女特有のくるわ言葉ってやつ?正直そっちに気取られて話入ってこないんだけど。」
ようやく規則正しい呼吸をとり戻したと思ったら開口一番がこれか。まったく...。
「普段は標準語よ。でも客の前ではしゃべり方を変えているの。あなたに対してしゃべり方が混ざっているのは...あなたも遊郭にいるならわっち達の客であることに変わりはないのだけれど、すごいウザいからコイツは本当に私達の客なのかと疑問でね...」
「ただウザいから客じゃなくなるってどういう理屈だよ...。つーかしゃべり方ぐちゃぐちゃになる理由めちゃくちゃ腹立つんだけど。」
文句を垂れる青年をよそに、ふと現在の時間が気になり時計に目をやる。すると、時刻は12時を過ぎていた。もたもたしていると夜が明けてしまう。こんなムカつく男にも体を許さなければならないのが、この仕事の嫌なところだ。
「はぁ...。もうよいわ。さぁ。来なんし。」
「は?何言ってんだお前。」
覚悟を決めて青年を誘ってみると、青年は素っ頓狂に聞き返してくる。
「何って、こんなところに来てすることなんて1つだけじゃろう?ぬしもそういうことをするためにここにきたんじゃろ?」
「ただ通りすがっただけだ。つーかそれがお前のプロフェッショナルなのかなんなのか知らねぇけど今更しゃべり方変えたって意味ねぇんだよ。むしろ腹立つからやめろ。......金もねーし。それに俺は、惚れた女しか抱かない主義だからな。ついでに金がない。」
「カッコつけてるけど金がないだけだろ。発言の節々から本音がにじみ出てるわよ...。」
「......。」
図星を付かれたからか青年は黙り込む。
それから気まずい空気が流れる。ここまで来たのだから少々の気前くらい見せてほしいものだが、見た感じただのヒューマンだ。私たちと同じ、ただのヒューマン。元はあっちの世界の住人であり、特出した特性のないただの人間。
どういう経緯でこの遊郭、いや、こっちの世界に来たのかは知らないが、男のヒューマンなんてこっちの世界の他種族に比べて力もステータスもなく、ろくな仕事にありつけない。こっちの世界に残されたヒューマンは職にあぶれてしまう。この男も例に漏れず、職や金に困っているのだろう。
「ま、まぁ私もお前をおもいっきり殴ってしまったからね。粗相のわびや口止めの意味も含めて、今回はお金はいらないわよ。」
そういって、準備を始めようとすると、再び青年は私を睨みつける。が、今回の目は最初に会ったときの目に感じた真っ直ぐなものだ。
「やっぱり...。お前もヒューマンだろ?あの戦争の後どういう仕打ちにあってどういう感情でこんな職についてるのか知らねぇけど、もっと自分を大事に持ったらどうだ?いくら商品とはいえどそれはお前の一部で、そうやすやすと人に許していいもんじゃないはずだろ?」
「......」
私と同様に、この男も私の現状から私の現在までの経緯をなんとなく推察していたらしい。
だが、私の今までの悲惨な過去を正しく私のこれからに反映させられるのは私だけだ。どれだけの傷をどれくらい感受するか、重く受け止めるか、それは私にしかわからない。そして私がくらった量が私の中での正しさなのだ。それが私のこれからの人生においての基準だ。脆いと言われればそれで終わりだ。だが、それが私なのだ。
それをこんな、会って間もないような奴から、上から正論を叩きつけられる筋合いなんてない。
はたから見てこの人生がどれだけ滑稽でも、もがき苦しみながらも生き続ける今の私を否定するのは許さない。それだけは... 絶対に...っ
ずいぶん前から冷え切っていたものが熱くなるのを感じる
しかし、こんな会って間もないような奴の一言に心乱されるほどやわな人生だと思われるのは癪だ。あくまでも冷静に。
言葉を絞り出す
「......人の事情にズカズカ土足で入ってくるもんじゃないよ。」
「そうか...。それがお前の事情か。......重てぇな...やっぱり。計り知れないもんだ。こんなのがここにあとどれだけ転がってるのかと考えると、つい背けたくなっちまう。だが、それもこれも全部俺達のせいなんだから、せめて向き合わなくちゃな。」
「俺達のせい?それはどういう...」
「~~~はどこだ!?探せ!!」
ふとした疑問は外からの怒声にはばかられる。
「こちらにはいません!!」
「クソッ!!ここで奴を逃がして態勢を整えられればのちに厄介なことにっ。絶対に見つけ出せ!!」
聞き耳を立てたところによると、なにやら数人の役人か何かが誰かを追っているらしい。その声から、役人たちは相当焦っていることがわかる。
「食い逃げかなにかか?でもここは遊郭だし、食い逃げはないか...。いや、でもある意味喰い逃げなんじゃねぇのこれ。...俺ももし金も払わずお前と一発イってたらあんな感じで追い回されてたわけ?......よかったー...。」
と、この男は、私に手を出す度胸なんてなかったくせにほっとしている。
外で食い逃げだか喰い逃げだかを追っている屯所の連中の怒声が遠のいていく。
この遊郭で表立って悪事を働くとは、余程の馬鹿なのだろうと呆れていると、青年から声をかけられる。
「で、そういや聞きそびれてたけどさ、お前、名前なんていうの?」
えらく唐突だ。なんの脈略もない。だがまぁ、確かに未だにお互いに名も知らない。タイミングが謎ではあるが、答える。
「......
「へぇ。珍しいな。こういう時はだいたい芸名を名乗るんじゃないのか?」
自分でも少し驚いた。久しく口にしていなかった、れっきとした私の名だ。それが、この男を前にして、こぼれるように出てきた。
「あなたは私の客ではないのでしょう?なら芸名を名乗るのはおかしいじゃない。」
きっと、こんな会話でも、過酷な仕事から解放され、こうやって誰かと話すことが久しかったからだ。
まったく......。どこまで張りつめていたんだか。
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