受難のはじまり

 前回までの記述で、僕は随分と動揺していたと思う。

 こうして紙に書きつけると、ここまで物事を鮮明に思い出せるものなのか、と感心したほどだ。

 初めて文章で心象を語ったものだから、あそこまで乱れてしまったということだ。


 しかし、あの光景を思い出すと僕はいつでもぞっとする。今でもよく夢に出て来ては飛び起きる。


 その時僕に襲い掛かったのは①冷酷な殺人者②圧倒的な達人の戦闘③人生で初めて見た人間の死体④手足を失ってもがき苦しむ人間というショックの強いものの目白押しだった。


 そのとき失神しなかったのが奇跡だ。

 結果的に少々気はおかしくなっていただろうが、元は強靭にできているのか、日常生活に支障をきたすほどの傷を負うことはなかった。

 それは表皮に残された一生傷のようなもので、専門的ななにかをすれば消えるだろうけれど、日常的には気にならないからそうしない。時々痛んでは、また意識から消えていく。


 独白はここまで。小説を始めるとしよう。




  その時、つまりレックスが突入してきた武装警官五名を撫で切りにした時。

 僕は全く何が起きているのか把握していなかったし、自分の精神がひっかきまわされて傷ついていることにも気が付いていなかった。


 それで、Tが両手足を失ったものの生きていた警官に尋問をしていた時も、思考力は失われ何か話すような気もしなかった。

 しかし、あまりにも衝撃的な出来事であったためか、その尋問の内容は一言一句違えずに聞き取り、記憶している。


 警察官の両手足の切断跡では、既に血が止まっていた。

 改ぞう人間の場合、そういった機能(つまり組織を即座に閉じるような機能)が備わっていることが多いらしい。


「じゃあ、ご用件を聞きましょうか。素直に話してくれれば解放してあげよう」


 実に楽しそうに、彼の前にしゃがんだTは言いながら、被っていたヘルメットを脱がせる。

 苦しそうな顔をし、脂汗をかいた青年の顔がそこに現れた。


 若々しく、肌にもハリがあるがその顔はどこかで見たことのある画一的な清潔な骨格をたたえている。


「だから、そこの青年の解放をだな…………」


「私はそんなにバカじゃない。まだ、公的機関で改ぞう人間を採用するような国はないよ」


 青年は目をそらす。


「お前は偽物だ。どこのどいつから送られてきたんだ?」


 青年は目をそらしたままぐったりとし、動かなくなった。


「死んだか。まあ良い。まともな改ぞう人間から情報を引き出せるわけがないものな」


 Tは鬱陶しそうに立ち上がり、青年の頭を蹴り飛ばした。

 そして部屋を歩き回り、死体を蹴り飛ばしては壁際に片づけていった。


「ジョン、手先は器用か?」


 彼女は突然立ち止まり、何か思いついたように僕に向かって尋ねる。


 混乱の真っ最中だったが、僕はなんとか回復してきて、口を開くことくらいはできるようになっていた。


「どうなんだ?」


 ゆっくりと口を開けて答えかけたところで、Tは急かすように再び尋ねる。


「ああ、機械弄りで困ったことはないよ」


 僕は食い気味でなんとか答えた。

 実際、そういった器用さが必要な授業で困ったことはないし、機械弄りは趣味だったから。


「ふむ。まあ、仕方ないか」


 Tはなにかに納得し、顎に手を当てて短く考え、また口を開く。


「じゃあ、ジョン、君は私たちと一緒に来るんだ」


 言葉の意味を上手く呑み込もうとした。

 しばしの沈黙が流れる。


「つまり、僕が君たちと一緒に行く、ということ?」


 その通り、とばかりにTは大仰に頷いた。


「なかなか話が分かるじゃないか」


 僕は考え込んだ末、一つの言葉に至った。


「なんで?」


「なんでってなにがだ」Tは訊く。


「なにがって、僕が君たちと一緒に行くってことについてだよ」


 僕はだんだんと意味を呑み込んできた。

 そして当然、彼女らに附いてどこかに行く気はなかった。

 異常者どもとこれ以上一緒に居ると気が狂いそうだったし、なにより命の危機を感じていたからだ。


「よかろう、質問に答えてやる。私たちの仲間の内の一人が先の戦闘で死んでしまってね。彼は私たちのメカニックのようなことをしていたから、こうなってしまうと困る。私たち二人は手先が不器用なんだ」


 Tは答える。まっとうな理由だ、と僕は思った。


「しかし、僕は人殺しを手伝うことはできないよ」


 心からそう思っていた。僕はたしかに非日常を求めていたが、非日常を日常に持ち込まれたいとは思っていなかった。


「いいじゃないか、君が殺すわけじゃないんだから」


 Tは不思議そうに、配慮を重ねたとでも言いたげな表情を浮かべていた。


 そこで、レックスがバスルームから歩いてきた。


「なになに? Tちゃんどうしたの?」


 彼は惨殺を引き起こす前と全く変わらない姿で現れた。

 返り血を落とし、あの殺伐とした達人めいた姿勢も消失していた。

 それがまた不気味に感じられた。


「そうそう、洗濯機に入りながら思ったんだけど、ジョンくんはわたしたちの仲間なんだよね?」レックスが言った。


「無論だ」Tが答える。


 レックスが現れた途端、どうしてか僕の心は揺れた。まるでレックスに手を握られた時の感覚がよみがえったようだった。


「僕は…………」


 なにかを言いかけた。が、なにも言葉は出てこなかった。

 たとえ反論したところで無駄だ、と察したのだろうか。

 レックスに逆らおうという気が僕の心からは消え失せていたのだ。


「いや、良いよ。分かった。仕方ないからついてくよ。乗りかかった船だ」


 結局のところ、僕はこの狂気の軍団に加わることになってしまった。

 訳の分からない警官もどきに追われ、殺されかけ、あるいは虐殺して尋問する軍団に。


「うん。若者は素直が一番だな」Tは満足げに頷いた。


「とりあえず、君にはこれを渡しておこう。撃ち方は分かるだろう?」


 彼女は警官もどきが持っていたハンド・レールガンを拾い、僕に手渡そうとした。


「いや、わからないよ。こんなもの、ニュースでしか見たことないからね」


「仕方がないな、全く」


 Tは銃を壁に向けて構えた。


「ここがセーフティ。切り替わっているのが分かるかい?」彼女は安全装置を指で示し、何度か操作してみせた。


「そしてここがトリガーで…………」


 彼女はハンド・レールガンの扱い方と構造を簡単にレクチャーし、分解組み立てまでやってみせてから、改めて銃を手渡した。


「良いかい、これは私が指示しない限りは抜かないことだ。そして仲間に向けてはいけない。その瞬間に君は死ぬと思ってもらおう」


 僕は頷き、えせ警察官からホルスターをはぎとって身に着け、そこに受け取った銃を入れた。


「それじゃあ、そろそろ行こっか。こんなところにいつまでも居られないよ」レックスが言った。


 レックスは窓から外を眺めていた。

 僕も同じようにしてみると、そこには例の武装警官どもの部隊が歩いていた。

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